祈りについて
今日の説教から:
(F神父様が聞いた話からの説教です。)自分の願いを祈ってもなかなか主からの応えはないものです。ある人が司祭に尋ねました。「願いを聞き入れてもらうにはどのように祈ったらよいでしょうか?」司祭は答えました。「主が聴き入れてくださるまで祈り続けなさい。あるいは主は祈りの意向を変えてくださるかもしれません(祈りの意向が間違っていることに気づかせてくださる)」と。
この話のように主のみ旨に適う願いならかなえてくださるでしょうし、もしその願いが主のみ旨と違うならば、主はそれに気づかせてくださるかもしれません。主のみ旨をそのまま受け入れることが大切です。「主が望むことを私も望みます」はOpus Deiの本に書かれてあった祈りです。私は朝目覚めた時に必ずこの祈りを唱えます。
今日のごミサは説教だけでなく、ごミサそのものも気持ちの良いものでした。F神父様もそうでしたがM神父様、K神父様、いづれのごミサでも、記念唱は:
司祭:わたしたちはいま、御子キリストの救いをもたらす受難・復活・昇天をきねし、・・・地上を旅する教会、私たちの教父フランシスコ、私たちの司教フランシスコ・ザビエル中野裕明、・・・亡くなった私たちの兄弟、また、み旨に従って生活し、いまはこの世を去ったすべての人をあなたの国に受け入れてください。・・・あなたにはすべてのよいものを世にお与えになります。キリストのよってキリストとともにキリストのうちに、聖霊の交わりの中で、全能の神、父であるあなたに、すべての誉れと栄光は世々に至るまで。
会衆:アーメン
と、唱えられていました。やはり間違いを正しているごミサに与るとほっとします。
『カトリックの祈り』のミサの司式代にも「・・・すべての誉れと栄光は世々に至るまで。」までを司祭が唱えると書かれてあるのに、いまだに私の所属する教会のごミサでは信徒が唱えています。いい加減改めないと・・・教皇様のごミサの時に間違ってしまいますよ。でももしかしたら教皇様はラテン語ミサかも?天使ミサなら良いのにな~。・