キリストは神
昨日は聖モニカ、今日は聖アウグスチヌス、明日は洗礼者ヨハネの殉教と記念日が続きます。
今日のマタイ福音書を読んで改めてわかりました。キリストはすべての人を招かれましたが、すべての人が招きに応じたわけではありませんでした。そしてキリストは厳しいことも言っています。
そのとき、イエスは言われた。「・・・律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。ものの見えないファリサイ派の人々、まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる。」(マタイ23:25-26)
キリストはすべての人に好かれるために、自分の信徒を増やすために、甘く優しい言葉だけをかけてまわりませんでした。相手が怒ろうが時には厳しいことも言っています。キリストは畑にまかれた種のたとえのように、よい土にしっかりと根を下ろし、陽を浴びてすくすくと成長する種とそうでない種があることを教えています。
永遠のいのち・天の国にすべての人を招いても、その恵みを自ら選ばない人もいることをキリストは知っています(神様だから)。ですからすべての人がキリストに従わないからといって、それはキリスト(神)のせいではなく、キリスト(神)の教え方の失敗でもないでしょう。
キリストは人の子として生まれたましたが私たち人間とは違います。現代はあまりにもキリストの人間性を強調して神性を軽視する傾向があるのではないでしょうか。誤ったいつくしみと愛の結果が何年も隠ぺいされ続けたチリやアメリカ、ドイツ、アイルランド等の事件です。
聖アウグスティヌス教会:聖モニカ礼拝堂