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2017年6月13日 (火)

パドヴァの聖アントニオ司祭教会博士 記念日

 

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 パドヴァの聖アントニオはとても有名で、しかも人気のある聖人なので、そのご絵や聖像も沢山あります。聖アントニオの遺骨まで写真になっているのにはちょっとびっくり。

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 幼きイエズスを抱いているご像の多い聖アントニオは1195年ポルトガルのリスボンで生まれ、司祭になりたくてアウグスチノ会に入りました。その後モロッコで殉教したフランシスコ会員に憧れてフランシスコ会に移り、念願のモロッコへ派遣されました。しかしそこで病気になりポルトガルに帰ることに。ところが彼が乗った船は強風に流されてイタリアへ。

 フランシスコ会とドミニコ会の集会の時にフランシスコ会の上長から突然説教をするように命じられます。そしてその説教こそが神から彼に与えられたタラントでした。彼の素晴らしい説教は多くの人の心に響きました。彼の説教を聴くために、どの町でも大勢の人が集まりました。パドヴァでは大聖堂に人が入りきれなくて町一番の広場に移ってもまだ足りなかったそうです。

 彼の説教によって回心した人は数知れず、また贅沢な暮らしをしていた大司教の前でも説教し、大司教は恥じて生活を改めました。 

 初めはモロッコで殉教したフランシスコ会員に憧れてフランシスコ会に移り、モロッコへ行きましたが、そこは主のみ旨の場所ではありませんでした。主は彼をイタリアのパドヴァへと導きました。

 聖アントニオの一生は典礼聖歌52番の祈りのようです。

note 神の計らいは限りなく 生涯わたしはその中に生きるnote

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