« 聖ヨセフ(祭)その2 | メイン | 賢慮・敬虔・教会と教皇への愛 »

2017年3月21日 (火)

苦しい時に

 ブログ「トマさん祈りの部屋」で、ある若くて美しい女性が癌になった話が書かれていました。人は誰でも何かしらの病気にかかったり、ケガをしたりするものです。不安になったり、時には絶望するほどの衝撃を受けるくらい重い苦しみがあるかもしれません。そんな時にこのトマさんの話は心の平安となるでしょう。

「誘惑(試練)は救いの道」から

聖アウグスティヌスは「誘惑(試練)があるから戦うことができる。戦うから功徳を積める。功徳があるから救われる」と説明しています。もし誘惑や試練がなかったら、生温い人間のままで、神がお望みの人間へと成長できないでしょう。誘惑や苦しみ自体に価値はありませんが、それを通して成長するとき、価値あるものに変えられるのです。そもそも十字架は罰を与える道具でしたが、イエスが十字架を受け入れた時から、それは罰ではなく愛のもう一つの形になりました。罰が恵みに変わりました。「過ぎ越した」のです。(「トマさん祈りの部屋」2017.3.18)

もっと読みたい方はここをクリック→トマさん祈りの部屋

 神の計らいは限りなく、生涯わたしはその中に生きる

              (答唱詩編52番)