生命の価値
今日は菊地司教様の「年頭司牧書簡2017」で相模原市津久井やまゆり園での事件に触れて書かれた一文です。
わたしたちキリスト教の信仰に生きる者にとって、生命の価値を量る権利は、神にしかありません。わたしたち人間にではなく、その人間に生命を与えられた神、生命の創造主である神にしかありません。
どの生命が生存して良いのか、どの生命が生存する価値があるのか。そんなことを判断する権利を神はわたしたちに与えておられません。
菊地司教様も書いておられますが「犯行に及んだ青年の考え方とまたそれを支持する人もわずかですがいるということの衝撃」は言葉になりません。この人達の闇の部分はどのようにして彼らの心に育ったのでしょうか?
人間の驕り、神の被造物でしかない人間が神の代わりになろうとする時、このような闇が生まれるのかもしれません。人間は神の前でもっと謙遜になるべきでしょう。そしてそのことを小さい頃から教え育てなければ・・・心の教育の大切さを改めて考えています。
菊地司教様も郡山司教様も相対主義への警告、そして神様の前で私たち人間はもっと謙遜になりなさいと言っておられます。