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2026年1月11日 (日)

主の洗礼の祝日

 

Battesimodelsignore
 私たちは神の子として生きるために洗礼の恵みを願います。洗礼の秘跡を受けると、罪をゆるしてもらう「ゆるしの秘跡」やごミサに与りキリストの御身体をいただく「聖体の秘跡」そして「堅信」「病者の塗油」「叙階」「結婚の秘跡」も受けられます。

 洗礼が無ければこれらの素晴らしい恵みを受け取ることはできません。ですから私たちは洗礼の恵みを願い祈るのです。

 でも不思議なことに私たちが誰かに洗礼の恵みを願っても、いつまでもその人は洗礼を受けないことがあります。それは主が与えてくださらないからではなく、主は与えようとしているのに、その人が頑なに受け取ろうとしないからではないでしょうか?

 マタイの福音書28章19~20節にこう書かれています。「だから、あなたたちは行って、すべての国の人々を弟子にしなさい。父と子と聖霊のみ名に入れる洗礼を彼らに授け、わたしがあなたたちに命じたことを、すべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたたちとともにいるのである」。

 主は人間に自由意思をお与えになりました。『私は主の教えを守る自信がない…、まだよく理解できない…』等様々な理由で自分から自分の意思で洗礼を拒否しているのでは?主はすべての国の人々に洗礼を授けたいのに、それを拒むなんてなんと愚かなことでしょう。

 夫婦や家族が皆洗礼を受けていれば、死んでも天の国でまた一緒に復活の栄光を待ち望むことができるのです。先ずは理解するより信じること、洗礼を受け、徐々に理解を深め、信仰も深まっていくものです。赤ちゃんは何も理解していませんよね。でも幼児洗礼は素晴らしい!

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