歴代教皇様の講話集はペトロ文庫より出版されています。以前はよく読んでいたのですが、フランシスコ教皇様になってからあまり読んでいませんでした。
先月洗礼について教皇様が何を話されているのか知りたくて『ミサ・洗礼・堅信』という講話集を(あまり期待せずに)読み始めました。ところがミサについての個所がとても良くて、ミサの素晴らしさにあらためて気づかされました。
ミサについての本は沢山出版されていますが、この講話集は教皇様が様々な人たちを対象に話されているので、優しい言葉で要点をついた内容です。あらためてミサの素晴らしさ、ミサに与る心構えを学びました。
ミサに関する内容の一部
1 ミサはもっとも崇高で卓越した祈りであり、まさに、みことばと、イエスのからだと血を通しての、神との愛の出会いなのです。
2 祈るということは・・・沈黙するすべを心得ていることです。イエスとともにあっての沈黙です。ミサに行くと、五分ほど前に到着して、隣の人とおしゃべりを始めるかもしれません。でもその時間はおしゃべりの時間ではありません。・・・イエスと会うのに備えて集中する時です。沈黙はとても重要です。
3 ミサをささげに聖堂にはいるときには、こう考えましょう。「イエスがわたしたちのためにいのちを投げ出してくださったゴルゴタへ行くのだ」。そうすれば、見世物ではなくなります。この実に美しもの、つまりイエスの勝利であるミサからわたしたちを遠ざけてしまう、おしゃべり、批評、そうしたものは消えていきます。
4 主日に感謝の祭儀を行うことは、教会生活の中心です。・・・キリストなしでは、わたしたちは日々の疲れに、また日常の心配事や将来への不安に支配されてしまいます。主日に主に会うことで、自信と勇気をもって今日を生き、希望をもって前に進む力が与えられます。だからこそわたしたちキリスト者は、感謝の祭儀を通して日曜日に主に会いに行くのです。・・・私たちが本当に必要としているものを神から受けるためにミサに行くのです。
5 ことばの典礼では聖書は、書であることをやめ、神が発した生きることばとなります。・・・そして、わたしたちは信仰をもってそのことばを聞くのです。・・・神が語り、わたしたちは神に聞き、そして聞いたことを実行に移すのです。・・・ミサで朗読が始まったら、神のことばに耳を傾けましょう。
6 品位ある朗読台、朗読用聖書の使用、よい朗読者と詩編唱者の準備が必要です。ことばを間違って読んだり、全然わかっていなかったりする人ではなく、読み方を心得ている人が必要です。・・・ふさわしく朗読するためにはミサの前に準備し、練習すべきです。そうすれば、聞こうとする静かな雰囲気が作られます。
7 教会は、信者がそのミサで聖別されたパンから主のからだを拝領し、できれば聖体拝領が両形態でおこなわれて、聖体の宴のしるしがより完全な形で表されることを強く望んでいます。カトリック教会の教義では、いずれかの形態のみでも欠けることのないキリストのすべてが拝領されることになっているとしてもです。
8 信者は列を成して聖体に近づきます。そして司教協議会の決定に従って、敬意をもって立って、あるいはひざまずいて、口か、許可されていて本人が望むなら手で秘跡を受けます。
本にはミサの始まりから閉祭まで詳しく書かれてます。
私が抜粋した個所、特に2と5と6は私の小教区にも当てはまることです。ミサ前のおしゃべり、朗読用の聖書ではなくパンフレットを使い、聴衆は神のことばを聞かずに、パンフレットに目を落として、一斉にページをめくる音がガサガサ....典礼の勉強会で「パンフレットは置いて、朗読者の神のみ言葉を聴きましょう」と教わったことを話しても何も変わりません。教皇様が話されても変わらないのに私が話して変わるわけないですよね。
最近とても良いお話しの動画を見つけました。前回「愛」についての話をされていたフィリピンのソクラテス・B・ビジェガス大司教様の動画(Father Soc)です。どのお話しもとても良い内容でわかりやすいです。ここに紹介するのは①誰にでもある痛みについてと、②聖年の巡礼者である私たちに向けてのお話し、そして③希望についてです。
①
https://www.youtube.com/shorts/FzgO3dnRDDE
②
https://www.youtube.com/shorts/Hbuj9Ew-xvc
③
すでにわかっている事でも、ビジェガス大司教様のことばで語られると、あらためて心にすっと入ります。チャンネル Father Soc を登録しました。 今までの大司教様のお話を聞くのが日課となってしまいました。(こういう説教をいつも聴きたいな~
)
今話題になっているアラン・ドロンにそっくりなオランダ人のモデルAdonis Wildeさんです。あまりにもそっくりなので、ひょっとしてAI なのでは? と疑われるほどです。真実はどうなの?
それにしても科学の進歩によって世の中が便利になったのはとても良いことですが、進歩と共に新しい犯罪も多くなりました。AIを使ったなりすましやフェイクニュース、論文の盗用等々。AIが悪いのではなく、それを使う人の倫理観が問われています。AIに限らず科学の進歩は良いことです。それらをどう使うか神は私たちに選択の自由を与えています。神のみ旨を選ぶか悪魔の囁きに従うか?どちらを選ぶにしても主の最後の審判はすべての人にあることを忘れずに!
今日はヴァレンタインデイです。愛とは何でしょう?ビジェガス大司教様のお話しです。
巡礼指定教会:鹿児島カテドラルザビエル教会
聖年になってからよく全免償の話を聞きます。聖年の間に条件[恵みの状態にあり①どんな小さな罪も避ける決心と全免償を受けたいとの望みを持つ②ゆるしの秘跡に与る③聖体拝領をする(ミサ以外でもよい)④教皇の意向のために祈る]この四つの条件を満たして、巡礼指定の教会・聖堂を訪問すれば全免償を受けられます。
では聖年以外の年での全免償はどうなのでしょうか?
上記の①~④の四つの条件+全免償を満たす行いがあれば受けられます。全免償を満たす行いとは例えば・30分以上の聖体礼拝・11月1日~8日の間のお墓参り・十字架の道行き・教会や家庭、修道院共同体などでロザリオの祈りを唱える・キリストの聖体の祭日に聖体行列に参加する等々他にもまだ色々あります。これらは聖年でも聖年でなくても受けられる全免償です。(詳しくは『内赦院規定・免償の規定』をご覧ください)
そしてもっともよく知られていて、毎年受けることのできる全免償が降誕祭と復活祭に行われる教皇様の「Urbi et Orbi」です。
同じく四つの条件を満たしていれば教皇様の祝福Urbi et Orbiを受けて全免償をいただけます。わざわざローマまで行けなくても、ラジオやTV、インターネットを通して教皇様のUrbi et Orbiを受けられるのは素晴らしいお恵みですね。できるだけ多くの人たちを煉獄から天国へ導きたいという主の愛を感じます。
毎年降誕祭と復活祭には「Urbi et Orbi」を受けるようにしていますが、なにしろローマとの時差があるため、うっかり逃したり他の事で祝福に与れないこともよくありました。しか~し、今年の復活祭は逃さないようにしっかり予定を組んで準備をします。٩(`・ω・´)و
Urbi et Orbi
YouTube: Fathers of Mercy - Purgatory is Easily Defended #shorts
聖書にその言葉が書かれていないからと言って、それが無いとは限りません。煉獄、告解、無原罪の聖母、幼児洗礼、そして司祭が言うように三位一体。それらのことばはそのまま書かれていませんが、それらを意味することは聖書の中にはっきりと書かれています。
聖書に書かれている文字だけを目で追うのではなく、やはりそこに書かれている意味をよく読み取らなくてはいけませんよね。私は聖書はゆっくりと考えながら読むものだと思っています。自分勝手に解釈するのではなく、正しい導き手のもとじっくりと読み、主のみ言葉を正しく理解したいと願っています。祈りと同じで速く唱えたり読んだりすれば良いという物ではないでしょう。祈りはゆっくりと、聖書はじっくりと!
コンプリ神父様の『聖書を考える』講座でも「私たちは正しい聖書の読み方を学ばなければいけません」と、話しておられました。
YouTube: 【聖書を考える】 #3 聖書の読み方・捉え方 【ガエタノ・コンプリ】
今日は主の奉献の祝日です。玄関のクリスマスの飾りをはずして、ロウソクを灯して主の奉献を祝います。