主の洗礼の祝日
洗礼者ヨハネから洗礼を受けるイエズス
今日は主の洗礼の祝日。
そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」しかし、イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。(マタイ3:13~17)
私たちの受ける洗礼は罪の赦しの悔い改めの洗礼ですが、イエズス様の洗礼は私たちの場合と違います。イエズス様の洗礼によって今日の第一朗読で読まれたイザヤ書、「(主は言われる。)見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ彼は国々の裁きを導き出す。・・・主であるわたしは、恵みをもってあなたを呼びあなたの手を取った。民の契約、諸国の光としてあなたを形づくり、あなたを立てた。見ることのできない目を開き、捕らわれ人をその枷から闇に住む人をその牢獄から救い出すために。」(イザヤ書42章1~4節、8~7節)が成就したのです。
今日のロザリオは「栄えの玄義」ではなく「光の玄義」から唱えることにしましょう。特にまだ洗礼の恵みを受けていない人たちのために。