「メジュゴリエに疑問」あたりまえでしょう
フランシスコ教皇様はやっとメジュゴリエの聖母出現について答えられられました。それは私が思っていた通りの答でした。「メジュゴリエに疑問」!
[以下ポルトガル訪問後の教皇特別機上5月13日CNSの記事より抜粋】
ファティマ訪問後の機上で、メジュゴリエでの最初の聖母出現の証言について調査が進行している中、教皇フランシスコは5月13日、ボスニア・ヘルツェゴビナの村でマリアが現れ続けているとする主張には疑いを抱いていると明言した。・・・
カミッロ・ルイーニ枢機卿が率いる調査委員会の報告に言及し、「その報告では疑問が呈されていますが、個人的には、私はさらに疑っています」と教皇は記者団に語った。
「私は母としての聖母が好きなのです。私たちの母です。電報局長のように予告した時間にメッセージを送ってくる聖母ではありません」
「これはイエスの母ではありません」と教皇は続ける。「そして、こうした出現の主張には大切な価値はありません。(81年6月にメジュゴリエでマリアを目撃したと主張する6人の若者たちのうち3人は今も聖母が毎日現れ続けていると言い、他の3人は、今は年に一度だけ現れるとしている。)
メジュゴリエ信奉の方は目を覚ましてください。フランシスコ教皇様もはっきりと否定しておられるのですから。
聖母のご出現が本物であるか偽物であるかを見極めることは難しいことです。わたしも当然できないことです。でも疑わしいと思う決め手はあります。それは
① 聖母のメッセージの内容
② メッセージを受けた人のその後の生き方
この2点です。メッセージの内容は今までのカトリックの教えに反していないこと。メッセージを受けた人はその後すべてをキリストに捧げる生き方をしている。ルルドとファティマは問題ありませんがメジュゴリエは残念ながらどちらにもひっかかります。神学校で勉強していない平信徒の私でもわかることです。
「〇〇さんには毎日聖母が現れます」とすごいことのように話される人がいます。毎日聖母が現れることが素晴らしいのでも無く、価値あることでもありません。聖母が現れなくても聖なる生き方をされている方はたくさんおられます。毎日聖母が現れる・・・だから何?