ダンススポーツ
前回のバレエに続いて今回はダンススポーツです。
私が特にバレエやダンススポーツ(社交ダンス)またアイスダンスが好きな理由は男性と女性がペアを組んで踊るからです。男性・女性があたりまえでなくなり、男らしいとか女らしいというだけで差別していると批判される変な世の中になっています。でも男女の違いがお互いを美しく見せるペアの踊りはやはり何とも言えない感動を与えてくれます。男性は女性を大切にし、女性も男性を大切にしている。男女の愛の姿を表現している芸術が好きです。![]()
前回のバレエに続いて今回はダンススポーツです。
私が特にバレエやダンススポーツ(社交ダンス)またアイスダンスが好きな理由は男性と女性がペアを組んで踊るからです。男性・女性があたりまえでなくなり、男らしいとか女らしいというだけで差別していると批判される変な世の中になっています。でも男女の違いがお互いを美しく見せるペアの踊りはやはり何とも言えない感動を与えてくれます。男性は女性を大切にし、女性も男性を大切にしている。男女の愛の姿を表現している芸術が好きです。![]()
私たち日本国民は、憲法において戦争をしないことに決めた。憲法の第九条は、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と決めている。どんなことがあっても戦争をしないということである。
我が子よ—。
・・・・・・
これこそ、戦争の惨禍に目覚めたほんとうの日本人の声なのだよ。しかし理屈はなんとでもつき、世論はどちらへでもなびくものである。日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から、憲法を改めて戦争放棄の条項を削れ、と叫ぶ者が出ないともかぎらない。そしてその叫びが、いかにももっともらしい理屈をつけて、世論を日本再武装に引きつけるかもしれない。
そのときこそ、・・・誠一よ、カヤノよ、たとい最後の二人となっても、どんなののしりや暴力を受けても、きっぱりと「戦争絶対反対」を叫び続け、叫び通しておくれ!たとい卑怯者とさげすまれ、裏切り者とたたかれても、「戦争絶対反対」の叫びをまもっておくれ! (永井隆著『いとし子よ』より)
昭和23年10月(1948年)永井博士が長崎の原子爆弾で被爆して3年、二人の幼子誠一さんと茅乃さんへの遺訓として書かれた本です。それは私たちのためでもあります。
永井博士はすでにあの時に今の時代を予見していたのですね。皆さん終戦記念日になると口では戦争反対と言いますが、一方では憲法第九条は変えた方が良いと言ったり、軍事費はもっと増やした方が安心すると言っています。もしこの憲法第九条がなかったら、あの朝鮮戦争やヴェトナム戦争の時に日本はどうなっていたでしょう。
「戦争反対」と口で言うのは簡単です。「戦争絶対反対」と行動で示さなければなりません。信仰を宣言するのと同じように、それには行いが伴わなければ意味はありません。
今日9月2日は日本が連合国へ降伏文書に調印して正式に戦争が終結した日です。今一度戦争を二度と繰り返さないために、私たちがしなければならないことを考えましょう。
長崎原爆投下80周年にあたる今日、長崎浦上天主堂の「希望のカテリの鐘」が長崎の空に響きわたります。平和への願いが込められた鐘の音です。
YouTube: 原爆で大破 浦上天主堂の鐘が復活 米カトリック信徒らが贈る「希望のカテリの鐘」一般公開
NO MORE NAGASAKI !
先日ラジオで聞いた、当時11歳だった沖縄戦で捕虜となり生き延びた金城さんの言葉が印象的でした。「(今は)戦前のにおいがします」。そして今の若者に伝えたいことは「戦争に参加しない。戦争をおこさない、それには右・左はない」
「原子爆弾は恐ろしいから、戦争をするな!」と、私たちは初めのころ叫んできた。しかし、近ごろの私は、原子爆弾そのものよりも、原子爆弾を使おうとたくらむ人の心が恐ろしくなった。
科学は政治を支配したが、科学者は政治家に支配されている。ここに、現代および将来の不安がある。
永遠の平和は、科学者が政治家の支配から独立し、科学を戦争手段から取り返し、それを人類の幸福や文化を高めるといった未来の目的のためにだけ用いる、勇気と実力にかかっている・・・と、私は思う。 (『如己堂随筆』永井隆 著 より)
私は長崎で被爆された永井隆博士こそ聖人だと思っています。永井博士について知らない若いカトリック信者が増えています。ましてや他国の信者はなおさらのこと。永井博士がカトリック教会で聖人と証されれば、永井博士の信仰や行いについて今あらためて世界中の人たちが知るようになるだけでなく、長崎原爆についてももっと詳しく知るようになるでしょう。先ずは永井隆博士を尊者・福者に願いましょう。
YouTube: "Peace!" From Nagasaki to the World: The Story of Takashi Nagai
広島原爆投下から80年。毎年この日、多くの人たちは平和を望み祈ります。
核兵器の恐ろしさは日本が一番よく知っています。でも核兵器は無くなりません。それどころか今も核兵器が欲しいという国さえあります。核兵器があれば自国は平和になると思っているようです。何という愚かな考えでしょう。
核兵器廃絶を訴える国際NGO、ICANというものがあります。でも日本は参加していません。何故なのか?AIが答えてくれています。
「日本が核兵器禁止条約を批准しない主な理由は、安全保障上の懸念と、アメリカの「核の傘」に依存する政策にあります。核兵器禁止条約は核兵器の保有、使用、威嚇を全面的に禁止していますが、日本は米国の核抑止力に依存しており、条約に参加すると、この抑止力が損なわれる可能性があると考えています。また、条約には核兵器保有国は参加しておらず、現実的な核軍縮にはつながらないという懸念も示しています」。
「あっそうですか」としか言葉がありません。
願わくばこれ以上核兵器が増えることなく、使われることのないように:
No More Hiroshima!
今日は4人の子どもたちの初聖体でした。初めてイエズス様をいただいた気持ちはどうだったのでしょうか?
私の場合は正直その時どんな気持ちだったのかは思い出せません。でもきっととても嬉しかったと思います。なぜなら初聖体までとてもわくわくしていたことは覚えているからです。母から「天にまします・・」や「めでたしせいちょう・・」そして「ねがわくは父と子と・・」の祈りを教えてもらい覚えました。覚えることが楽しかったのです。自分も大人の人と同じように祈れることがとても誇らしくもあり嬉しかった。そして初聖体の時に大人の人と同じようにヴェールを被れた嬉しさは特別でしたね。あの頃は教会学校といえばシスターが先生でした。懐かしいです。
初聖体のお祝いに赤いガラスのロザリオを買ってもらいました。母に促されて、七田神父様からロザリオを祝福していただいた時のこともはっきりと覚えています。その時に初めて「祝福」を知りました。そしてロザリオの祈り方も母やシスターから教わりました。
神父様やシスターのお話を聞いて、素直にただ信じていたあの頃の自分を思い出すと、今の自分がちょっと恥ずかしくなります。まさにキリストが言われた「あなたたちは心を入れかえて幼子のようにならなければ、天の国には入れない」(マタイ18;3)とはこのことですね。
ブログの調子がずっと悪くて、書けない状態でした。プロバイダーのサポートを試みましたが改善せず、あきらめていました。今日久しぶりに書いて公開したところ、正しく表示されました。何が原因なのかわかりませんが、とにかくめでたしめでたし。
これからまた書くぞ~!
今年は梅雨入りが早いでした。今日は梅雨の合間の曇り空、先月頼んでいた庭の草刈りの方たちが来られました。庭の草刈りや木の選定は夫に任せっきりだったので、夫が亡くなり一年以上たつと草は私の背丈ほどに・・・![]()
草を刈ってもらいやっと幽霊屋敷から脱しました。でもただ一つ残念なことは庭で遊ぶ子猫たちの隠れる場所がなくなったことです。特に空のカラスからは丸見え。
実はこのブログの調子が悪くて、なかなか更新できませんでした。文字が入れ替わったり、文章が抜けたり、訂正して再度公開しても直っていない等。これも正しく公開できるかわかりません。機械音痴な私は友人がエクセルピボットを使いこなすのを見てただただ感心するばかり。私ももう少しパソコンの知識があればこの不具合もなおせるのに。
最近メモした紙を失くしたり、通帳が見つからず焦ったり(コピー機に置忘れ)、計算間違い(後から気づく)など思い込み、勘違い、うっかりミス、置忘れ等々数えたらきりがないほどぼ~っとしています。他の方たちに迷惑をかけてしまっては大変です。
老化のせいかなと思ったりもしたのですが、こうミスが一度に重なると『きっとこれは主がそばにおられるのを忘れて、集中して仕事をしていないから。四旬節の間の緊張感が復活祭を迎えたと同時に一気に緩んでしまったせいだ』と思えました。
スイス衛兵を見習って、規律正しく、いつもキリストを傍に感じながら生活をしなければと思いました。このマーチを聴いてシャキッとしなければ!(•̀ω •́ )ゝ
YouTube: Marcia della Guardia Svizzera Pontificia (March of the Pontifical Swiss Guard )
フランシスコ教皇様が23日に退院されてほっとしています。ご復活祭がより一層楽しみです。
2025年3月23日 ジェメッリ病院のバルコニーから
以前フランシスコ教皇様は「自分の洗礼日を知っていますか?生まれた誕生日は皆さんよく知っているのに、霊的に新しく生まれた洗礼日を知らない人が多いです。」と話されていました。
私も長い間自分の洗礼日を知りませんでした。そして調べたところ3月26日で、この日は火曜日、しかも四旬節中でした。私の両親はなぜこの日を選んだのでしょうか?謎です。![]()
そして今日は私が洗礼によって新しく生まれた誕生日です。先ずは主に感謝して、プチケーキでささやかなお祝い
そして何よりも両親が私に洗礼を望んでくれたことに感謝!感謝!
ぼくはファシリティドッグのマサです。以前にも紹介したことがあるよね。
僕の職場は「国立成育医療研究センター」。ここは日本で最大の小児・周産期・産科・母性医療専門の高度専門医療研究センターで、ぼくはここの小児科病棟ともみじの家(医療型短期入所施設)で仕事をしているよ。
ぼくの仕事は子どもたちに寄り添って、子どもたちの不安を和らげて安心して治療を続けてもらえるようにサポートすること。ぼくと子供たちはとっても仲良し。詳しくは下のリンク「マサの部屋」を見てね。ぼくが働いている写真もあるよ。上の写真よりずっとハンサムだからね!
https://www.ncchd.go.jp/hospital/support/facilitydog/
ぼくたちのことを知って、『私も何か手伝いたいな』と思った人は寄付という方法があるのだワン。四旬節中の愛の行いとして
よろしくワン
以前TVの番組でデヴィ夫人自身が「私はカトリックです」と言って、相手の外国人の方が怪訝な顔をされ「イスラム教徒では?」と聞いたところ「カトリックです」とはっきり答えられました。私も日頃の言動から夫人がカトリック信者とはまったく思っていなかったのでびっくりしたことを覚えています。そしてずっと気になっていました。
そんなデヴィ夫人が「12(ワンニャン)平和党」を結成したと聞き、ますますカトリックらしからぬ行動だと思いました。そしてやっとわかったことは、どうも夫人は状況に合わせてご自分の宗教を使い分けておられるようです。これで私の長年のもやもやがすっきりと晴れました。
デヴィ夫人の2010年10月18日のAmebaブログより
私は幼い頃、プロテスタントの日曜学校に行き、中学に入ってからはカソリック教会に通い、 毎日「公教要理」を習いました。そして、インドネシアに渡ってからモスラムとなり、メッカに巡礼にいき、「ハジャ」となりました。私のインドネシアのIDカードの宗教の欄には、〝イスラム〟と書いてあります。
しかし私は、「超教派」です。騎士道精神を大切にしております。地球上に人類はひとつ。人種、国境、言語、宗教、歴史を超えて民族が許しあい、慈愛の心を通して平和を築き、共存共栄、世界が繁栄できればと願う次第です。
因みに彼女のご実家は「浄土宗」だそうです。
今回は本当にどうでもよい内容でしたが、私のもやもやがすっきりしたので書きました。特に有名人の言動は多くの人に影響を与えるものだから。
と、にゃん太郎が申しております。![]()
今話題になっているアラン・ドロンにそっくりなオランダ人のモデルAdonis Wildeさんです。あまりにもそっくりなので、ひょっとしてAI なのでは? と疑われるほどです。真実はどうなの?
それにしても科学の進歩によって世の中が便利になったのはとても良いことですが、進歩と共に新しい犯罪も多くなりました。AIを使ったなりすましやフェイクニュース、論文の盗用等々。AIが悪いのではなく、それを使う人の倫理観が問われています。AIに限らず科学の進歩は良いことです。それらをどう使うか神は私たちに選択の自由を与えています。神のみ旨を選ぶか悪魔の囁きに従うか?どちらを選ぶにしても主の最後の審判はすべての人にあることを忘れずに!![]()
私自身が自立した生活ができなくなったら介護施設に入る覚悟はできていますが、デイサービスは利用したくないと思っていました。その理由を代弁している記事があったのでそのリンクを貼ります。
https://www.yomiuri.co.jp/yomidr/article/20241113-OYTET50001/
この記事に書いてある通り、何が嫌かと言うとまるで幼稚園のようだからです。多くの経験を積み、さまざまな能力を持っている大人である人たちを同じ決められたプログラムで強制的に過ごさせることはその人にとっては苦痛でしょう。そのプログラムが合う人は楽しいでしょうが、そうでない人もいるのです。
そろそろこのようなデイサービスのやり方を改めてもよいのではないでしょうか。記事にはスウェーデンのデイサービスについて書かれています。これらを参考にして幼稚園から尊厳のある大人のデイサービスに変えられれば多くの人が喜んで利用するようになるでしょう。
大阪高松教区の死者記念ミサの説教です。いつものことながら良い説教で、皆さんにも聞いてもらいたいと思います。
この説教を聞いて、私の姉が亡くなった時のことを思い出しました。姉は11歳になったばかり、私はまだ6歳でした。母は信仰の深い人でしたが、その母が姉の身につけていた物を手に取るたびに涙を流していた姿をはっきりと思い出します。
以前病院で働くファシリティドッグについて書きました。実は入院患者さんに癒しを与えるのは犬だけでなく、お馬さんもいました。
私は馬に触ったことがないので最初はビビってしまうかもしれませんが、あの可愛いおめめで見つめられたらきっとなでてしまうでしょうね。![]()
約2週間前の9日(水)に、パウロ袴田巌さん(88)の再審無罪判決は、静岡地検が上訴権(控訴)を放棄したことによって、無罪が確定しました。
あの日、このニュースを聞いた時には、言葉にならない喜びがこみ上げてきました。やっと無実が認められ、身も心も自由を得られたのだと思うと、胸にぐっとくるものがありました。
パウロ袴田さんが洗礼を受けられたのは1984年のことだそうです。その頃の心境については毎日新聞の記事に書かれています。
・・・袴田さんが獄中で書いた日記や手紙をまとめた書簡集には、82年に収容先の東京拘置所で記した当時の心境が残されている。
この頃から、袴田さんは拘置所内で神父の教誨(きょうかい)を受けるようになり、面会などでも神にすがるような言葉を頻繁に使うようになった。「古今東西、宗教が人間を支えた部分は大きい。それは謙虚な気持ちで合掌し、信ずるものを得るところに大きな救いがあるからだ」。袴田さんは84年10月の日記で、信仰する理由をこうつづっている。そして、同年12月24日に洗礼を受けてカトリック信者になった。(毎日新聞2019年12月15日記事より)
フランシスコ教皇様が来日された時の東京ドームでのごミサに(2019年11月25日)パウロ袴田さんと御姉様を招待されました。
王室衛兵に心無い言葉をあびせたり、攻撃的あるいは馬鹿にするような態度をとる人、またルールを守らない人たちに対して彼らは厳しい対応をします。それは当然のことですね。でも彼らは本当にとても心優しい人たちです。そうでなければこのような大切な仕事は務まりません。お馬さんたちもよくわかっているようです。
ヴァチカンで働くスイス衛兵も全く同じですね。
YouTube: When Royal Guards Break Character & Show Emotional Moments of RESPECT!
今年は英国も特に暑い夏でした。暑い日も雪の日も馬上でじっと王室を守っている彼らの忍耐には頭が下がります。人馬一体となって仕事をしている彼らにご加護を!またスイス衛兵たちにも聖母マリア様のご加護を!
以前、私は外食する時に周りに人がいても「父と子と聖霊のみ名によってアーメン」と十字架のしるしをすると書きました。
フランシスコ教皇様はインドネシア訪問の時に、様々な宗教の人々との会合に出席され、最後に祝福(ベネディクション)を与えられました。教皇様曰く、「祝福は常にすべての宗教に有効です。なぜなら祝福は常に愛のしぐさであり、普遍的なものだからです」と。そして祝福が始まり、「神が一人一人を祝福してください。あなたの家族を祝福してください。あなたの現在も未来も祝福してください。アーメン。」と言って終わりました。???「父と子と聖霊のみ名によって」も十字架のしるしもない教皇様の祝福でした。以前にも教皇様はユダヤ教のラビに会われた時に首からかけておられた十字架をサッシュの中に隠されましたね。
これらを見て私は自分が他宗教の人の前で十字を切ることは間違いだと責められているような気持になりました。キリストを信じない人たちの前で十字を切るのは配慮のない良くない行為なのでしょうか?
教会は跪いたらだめ、ご聖体は手で受けるように、他宗教の人に配慮してその人たちのいるところでは十字架のしるしはしない、みことばのわかちあい、・・・私は教会から徐々に締め出されているような気持になります。
「みことばのわかちあい」やシノドス的な(共に歩む)教会になるために「霊における会話」が、本当に散らされた羊たちを集め、教会の危機を救うことになるのでしょうか?カトリック教会が「みことばのわかちあい」を始めだしてしばらく経った頃からごミサに与る信徒は減り始めました。
フランシスコ教皇様が薦めている「霊における会話」がとても素晴らしいとの声を聞いたので、『シノドスハンドブック』を読みました。
その中の「霊における会話」のプログラムとシートを読みました。最後の方に「教会内のさまざまな立場の人が同じテーブルで分かち合い、平等に発言する機会と、こころ静かに相手の話を聞く機会が与えられる」と、きれいな言葉で結んでいましたが、最終的には「最終的な合意の際に、真っ向から対立する意見があるような場合、審議・決断する人たちは、対立意見があることを充分理解した上で、決断することが求められます。グループのメンバーも、決断する人たちを信頼しながらゆだねることが重要です。この意味では、疑いのこころではなく、「霊」の導きにこころを開かせてもらえるような、信頼できる雰囲気づくりは必要になるでしょう。」と、書かれていました。「決断する人たちを信頼しながらゆだねることが重要・・・」だそうです。私には無理な気がします。信仰心が足りないのかもしれません。![]()
ブログはしばらくお休みします。
近頃は人や物の名前がすっと出てこないことがよくあります。また正座をしようとすると足が痛くてできなくなりました。老いとはこういうものかと実感しています。
頭がしっかりしているうちに、認知症でも受け入れてくれる施設等を調べています。
夫のいない私は一人で生活できなくなったら施設で面倒を見てもらうつもりでいます。どこでも主が与えてくださる場所が私の住処です。と、子どもたちにも伝えてありますが、言うだけではなく一筆書いておいた方が良いですね。
とは言っても、今は一人で生活できるので、できるだけ怪我や事故に気をつけて、規則正しい生活を心掛けています。
車の免許も高齢者講習を受けたので更新できます。![]()
久しぶりにコーヒーゼリーと蒸し菓子を作りました。やはり手作りは美味しいです。たまには血糖値を気にしながらでも、脳へのエネルギー注入のために甘い物をいただきましょう。今日はマリアの聖名の祝日ですね。私のお祝いの日で~す。 ![]()