「ペトロがいるところに教会がある。教会があるところに、キリストがいる」( 聖アンブロジオ)
今日は猫の日ですが、それよりも比較にならない大切な日、「聖ペトロの使徒座」の祝日です。
マタイ福音書16章18~19節 (イエズスは)「…それでは、わたしもあなたに言う。あなたはペトロである。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。よみの国の門も、これに勝つことはできない。わたしはあなたに天の国のかぎを授けよう。あなたが地上でつなぐものは、天においてもつながれ、あなたが地上で解くものは、天においても解かれるであろう」。
ヴァチカン: 聖ペトロ大聖堂の聖ペトロ像
初代司教聖ペトロから現フランシスコ教皇まで266代、ずっとその使命が果されています。これがカトリック教会です。
実は消費期限が一日過ぎた絹ごし豆腐があったので、昨日はホットケーキミック粉に混ぜてケーキを焼きました。
今日も又、絹ごし豆腐(消費期限20日)が一丁あったので、今回はロシアチーズケーキ(リナのケーキ)のレシピに日本の絹ごし豆腐を合体させて「ロシア日本仲良しケーキ」を焼きました。絹ごし豆腐とクリームチーズ、プレーンヨーグルト、(サワークリーム)、卵、砂糖と小麦粉が材料です。柔らかなケーキなので歯の弱いお年寄りや小さなお子さんにも食べやすいでしょう。
絹ごし豆腐 約200g.
プレーンヨーグルト 約450g. 水切りしてギリシャヨーグルトに
クリームチーズ 200g.
砂糖 200g.~250g.
卵 4個
小麦粉 100g.
*サワークリーム 100g.(今回は使わず)
クリームチーズ、卵、砂糖、ヨーグルト、絹ごし豆腐、小麦粉の順に加えて混ぜていきます。200度のオーブンで25分~30分焼きます。オーブンによってはもっと短いor長い時間かかるかもしれませんので、様子を見ながら調整してください。
久しぶりのお花教室。今日は祭壇のお花当番でした。先生が生けてくださったお花をそのまま祭壇に飾りました。
今日の花材は桃、カラー、麦、スイートピー、ドラセナです。桃の節句をイメージして丸くふくよかなイメージで。
・カラーや麦はすっと真っすぐに伸びているので生ける時には直立型に。
・「桃の先枯れ」という言葉があり、枝の先の方が枯れていても切らずにそのまま生かす。
・陽方と陰方(日が当たっていた方と陰になっていた方)があり、陽方は左に陰方は右に。
・直立型の「型」と「形」の違いについて。簡単に言えば「型」は決まったかたちで「形」は自由なかたち。
「型」はパターン、手本などで「芝居の型」や「型にはまる」等、「形」は「物の姿やかたち」「形状」です。ですから華道・書道・茶道・舞踊・声楽何事もすべてはまず「型」を学び、それから自由な形へと発展する。「型」をしっかりと身に着けていればより自由なかたちが創造できるでしょう。
そういえばピカソの若い頃のデッサンは素晴らしいです。デッサン力があるからこそ自由な線も生きているのでしょう。また水墨画を習っていた人が最初は線ばかりひいて(描いて)いたと言っていました。線を描くことによって水墨画の基礎(力の入れ具合や水の含ませ具合による墨の濃淡や線の太さなど)を学んだのでしょう。そういえば柔道、剣道、空手もまず型から。型がしっかりとできるようになってから組手を始めます。
お花の話からどんどん横道にそれてしまいました。これから少しずつ暖かくなり、お花も増えてきます。🌸~春よ来い、早く来い~♪
先月の第4主日のミサの朗読箇所は真福八端でした。そのなかで「心の貧しい人」について幸田司教様は次のようの意味のことを話されています。
福音的な貧しさとは、ただの貧乏や貧困とは違いキリストの貧しさにあずかることです。・・・・福音のイメージで言えば、5つのパンと2匹の魚を大群衆で分かち合う世界。そこにはわずかなたまものについての感謝と賛美。神への信頼。兄弟姉妹への思いやり。そして分かち合いがあります。・・・ただの貧しさではなくて、キリストの貧しさにならう貧しさ。それをマタイは「心の貧しさ」というのです。・・・貧しいこと自体が良いのではありません。普通は贅沢や無駄を避け、単純質素な生活をすることが清貧と思ってしまいますが、福音的な貧しさはそうではありません。(『毎日がクリスマス』2017年1月29日)
その後『トマさん祈りの部屋』にも丁度この箇所について書かれていました。トマさんは以下のように解説しています。
・・・最初の「心の貧しい人は幸いである」は広く知られています。しかし、その意味していることは案外知られていません。キリスト信者でも誤解していることがあります。結びに「天には大きな報いがある」との言葉があるので、勘違いしやすいのです。「この世は苦しいことが多いが、天国で報われるから、辛抱して、我慢しなさい」という解釈が、その代表です。・・・もし天国の報いのために、この世の苦しみを我慢するだけなら、キリスト教は哀れな宗教になってしまいます。・・・イエスが高らかに宣言しているのは、この世でも幸せになり、あの世で幸せがマックスになる約束です。この世の苦しみを我慢するのではなく、苦しみや悲しみでも消え失せない幸せをイエスが拓きました。・・・それは、この世で既に天国の喜びが始まる道です。・・・この世が望む幸せ(、富、権力、快楽、安楽な生活、苦しみがない人生)は、崩れやすい上に、確実に死によって終わりを迎えます。虚しいものです。これとは全く別の道を拓いたイエスに倣うように、人々を招きました。・・・心が貧しいとは、この世の富に執着しないことです。苦しみは執着から生まれるからです。反対に天国に富を積むとは、徳を積むことです。この世の苦しみは悪ではなく、イエスと結ばれる道に高められました。イエスと共に生きる人は、苦しみが取り去られるのではなく、苦しみを愛する心に変えられます。こうして、イエスを信じて共に生きる人は、この世に生きながらにして、既に天国の喜びを生き始めています。それは天国で完成されます。だから、天国の報いを受ける人は、すでにこの世でも幸せを生きています。それが天国へ入る「印」なのです。■
*年間第4主日ミサ説教より
財産への執着、健康・若さ・美への執着、安楽への執着・・・様々な執着を断ち切れば苦しみから解放されます。だから聖人たちは「病気や苦しみも神からの恵み」と言えたのでしょう。
わたしが思うに確かにキリストの貧しさにならう生き方をされた「心の貧しい人」が聖マザーテレサや聖ホセマリアです。
カンデラリア=聖燭祭は「主の奉献」の祝日です。日本ではイエズス様が生まれてから40日後に神殿に奉献したので「主の奉献」と言って祝いますが、ヨーロッパでは昔から「Candelaria」又は「マリアの清めの祝日」と呼ばれています。
その時神殿にいたシメオンが救い主イエズスを抱き、神に感謝したのが「シメオンの歌」です。教会の祈りをされる方ならよくご存じでしょう。
神よ、いまこそ あなたは おことばのとおり、
しもべを安らかに行かせてくださる。
わたしは この目で あなたの救いを見た。
あなたが万民の前に備えられた救い、
諸国の民を照らす光、
あなたの民イスラエルの光栄。
去年も書きましたが、フランスではこの日クレープを食べます。その理由は去年のブログをご覧ください。
(写真:googleより)
今日クリスマスの片づけをする人もいます。主の公現ではなく主の奉献までクリスマスを祝う国は結構あります。我が家もできるだけ長くお祝いしたいので、今日馬小屋やツリーを片付けます。でもクレープは食べません。かわりにバタークリームケーキをいただきます。