娘の合宿(黙想会)に誘われて星塚敬愛園を訪ねました。何年も前から行きたいと思っていたところ、やっとその願いがかないました。園長の後藤正道先生に案内していただきました。そして園に住んでおられる方にご自分の体験を語っていただきました。
ある程度ハンセン病やその歴史について知っていたつもりでしたが、やはり直接体験者からお話を伺い現地に立つことは、ただの知識ではなく、同じ人間としてその方の苦しみや悲しみそして喜びをも感じとることができました。うまく表現できないのですが、ハンセン病がやっと私の心の中に入った感じがしました。
差別が生まれるのは無知からです。正しい知識があれば差別しなかったかもしれません。でもそれだけでは不十分です。人間は自分より下のものを作りたがります。人種、仕事、性別、経済力、容姿・・・いくらでも差別する理由をみつけます。だから差別=悪、差別することは罪であると小さい頃からはっきり教えなければなりません。差別するのは人間としてとても恥ずかしいことです。
星塚敬愛園カトリック教会
園にはカトリックの方もおられます。カトリックの聖堂があり鹿屋カトリック教会のスティーブ神父様がごミサをあげに来られます。しかし高齢や病気の方が多く、聖堂まで来られない方のために神父様はごミサ後にご聖体を持ってその方達の所を回られます。ごミサには近くに住んでいる方も与っておられました。「主の昇天」の祭日、ここでごミサに与れた幸せを主に感謝!
今回このような機会を与えてくださった後藤正道園長先生をはじめカトリック医師会の皆様に感謝いたします。そして誘ってくれた娘にも感謝。
ローマといえば食べ物がおいしいと言われます。サラダひとつとってもレタス、ルッコラ、トマト、きゅうり、それぞれにしっかりとその物の味がします。日本の野菜はそれに比べて何か水っぽいような。乳製品も同じ。バター、ミルク、チーズ、そしてサラミ、生ハム、ドルチェ、パン・・・どれもとても美味しいでした。
肉は子牛、仔羊、兎など種類も豊富で、値段も日本よりはるかに安い。そして美味しい。勿論葡萄酒や果物も。
私たちはホテルではなくアパートを借りました。Wベッドの入ったベッドルームが2部屋、居間、キッチン、シャワー・トイレがついています。全自動の洗濯機、食洗器、冷蔵庫、食器と調理器具も当然ついているので、ホテルよりもずっと経済的に過ごせました。娘が探してネット予約してくれたのです。アパートの予約だけでなく航空券の予約やネットチェックイン、空港での乗り換えなど娘がとても頼りになりました。現代はネットの時代、英語でネットをうまく使いこなせばとても便利だとつくづく思いました。
寝室⇧⇩ 居間⇧ 台所⇩
イタリアは豊かな国だとあらためて思いました。住んでみたい・・・けれどローマでの車の運転は絶対に無理。ローマの人達は運転が上手すぎます。特にタクシーの運転手さんはスゴイ!
今回の旅行ではショーペロ(ストライキ)に一度もあわず、ジンガラに囲まれることもなく、以前のローマと全く違いました。その代わりあちらこちらに警察と軍の車両があり、銃を持った兵士達が立っていました。ショーペロも嫌だけれど銃も嫌ですね。
今回のローマの旅は助祭叙階式に参加することが第一の目的でした。二番目が聖ホセマリアの墓前で感謝の祈りを捧げること。三番目はRegina Coeli。四番目は教会で祈ること。五番目にヴァチカン博物館。
素晴らしい助祭叙階式に与り、翌日はオプスデイ本部で聖ホセマリアが眠っておられる主祭壇でのラテン語ミサに与ることができました。Regina Coeli でパパ様の祝福を受け、12の教会で祈り、ヴァチカン博物館とバルベリーニ宮殿を見学しました。ボルゲーゼ美術館の予約が取れなかったのは残念ですが次回?の楽しみにとっておきます。カタコンベも娘に見せたかった。
思っていた以上にずっとずっと素晴らしいローマ滞在でした。ローマにいる息子に感謝!滞在中にお世話になったすべての方々に感謝!そして何よりも主に感謝、アレルヤ!
Arrivederci Roma ~ ![]()
ローマではお祝いや記念のごミサには普通にラテン語ミサがあげられていました。様々な国の人々が集まる時に、昔からごミサで使われていた共通のラテン語を使うことによって、キリストを中心に集まった一つの羊の群れを思いおこさせます。キリスト教徒は言葉、人種の違いを超えて一つであるとラテン語ミサは示しています。私がラテン語ミサが好きなのはそういう理由からです。
助祭叙階式が行われた BASILICA DI SANT'APOLLINARE
さて、肝心の助祭叙階式です。Giuseppe Versaldi 枢機卿様の主司式でラテン語で行われました(みことばの典礼と叙階の儀はイタリア語)。連願もラテン語です。入祭の唱は「Cant'ingresso」、ご聖体拝領の時の唱は「Anima Christi」、閉祭の唱は「Regina Caeli」。聖堂に響く神学生のパイプオルガンの音と合唱、一気に荘厳な雰囲気へと・・・。祭壇上の人々の服装・動きが洗練されていて、叙階の儀式も流れるようにスムーズに運び、見ていてとても心地よいものでした。
一人のタンザニアの神学生には彼の教区の司教様が来ておられました。8年ぶりに両親に会った神学生がいたり、叙階の儀の時に号泣される家族がいたり・・・。それぞれにこみ上げるものがあったでしょう。そしてすべての人が感じたのは主の限りないいつくしみと愛だと思います。
神学校の祝賀会で歌うタンザニアの女性たち:美しい!
祝賀会場には「わたしが来たのは仕えるためである」というキリストの言葉がそれぞれ6か国語で書かれ、国旗と共に貼られていました。
歌と踊りで喜びを表現するアフリカの学生たち ![]()
最後にヨハネ・パウロ二世の「召命のための祈り(Preghiera per le Vocazioni)」をとなえて終わりました。素晴らしい助祭叙階式と祝賀会でした。主に賛美と感謝!
ローマにある 「Sedes Sapientiae :Collegio Ecclesiastico Internazionale」は教区司祭を育てる神学院です。アフリカ、ヨーロッパ、アジア、アメリカ、世界中から若者が勉強に来ています。約85名の神学生は Pontificia Universita della Santa Croce(教皇庁立聖十字架大学)で約5年間勉強します。
この神学院はオプスデイ創立者の聖ホセマリアが「教区司祭を育てるための国際的な神学院」を作りたいと強く望んでできたものです(オプスデイメンバーの神学院は別にあります)。ですからオプスデイの精神が反映され、学生たちは教皇様に従うことや告解・ミサ・ご聖体等の秘跡を特に大切にし、よく祈り、教会の正しい教えを伝えられるように、そしてキリストが言ったように「仕える者となる」よう日々学んでいます。
神学生、先生(司祭)方は皆さん丁寧で明るくて温かい・・・とても居心地の良い・・・幸せな気持ちでした。昼食後は御聖体訪問をしてロザリオを祈ります。
私たちを空港に迎えに来てくださったのはなんと神学院の副院長様、私のスーツケースを喜んで運んでくださる姿はキリストの教えそのものです。また教会から神学院まで車で往復してくださったのは前院長様。空港まで見送ってくださったのも神学院の神父様でした。この神学校でこのような司祭様方の姿を見ながら勉強できる学生は幸せだなとつくづく思いました。
後日、オプス・デイ本部に行きました。案内してくださったのはオプス・デイのヌメラリー。彼はブラジル人で京都大学に留学後ローマのサンタ・クローチェ大学で勉強を続けている学生です。ポルトガル語・日本語・イタリア語にスペイン語そしてラテン語もできる優秀な好青年でした。彼にも滞在中お世話になりました。感謝!
本部にはオプス・デイ創立者の聖ホセマリア、その後継者であった福者ドン・アルバロとドン・ハビエルが埋葬されています。
聖ホセマリアの聖遺物が展示されていている部屋もありました。また、聖ホセマリアの後継者である福者ドン・アルバロは教皇ヨハネパウロ二世と特に親しかったので、教皇様が亡くなられた後オプス・デイ本部に教皇様の服が寄贈され、それも展示されていました。オプス・デイはご聖体と告解をとても大切にしています。ですから聖櫃のある祭壇は特に美しく、また告解室も6部屋位ありました。
オプス・デイとは「神の業」という意味です。詳しく知りたい方は下記のリンクへ。
石畳の道を歩く・・・なんてロマンティック・・・ではなくて、なんて歩きにくいこと。ローマは石畳の道が続きます。ベビーカーは揺れる、子どもも揺れる、お父さんお母さんは押しにくそう。でもアスファルトにしないところが良い!
ローマに着いて最初に訪れたのは勿論聖ペトロ大聖堂。先ずCappella del Santissimo Sacramentoで祈りました。ここは祈るための人しか入れないので、ご聖体の前で静かに祈ることができます。私も助祭叙階を受ける7名の神学生とSedes Sapientiae神学院のため、そしてK司教様とAカトリック教会とK教会そしてOpus Dei のために祈りました。主のいつくしみに感謝!
聖ペトロ大聖堂内では写真を撮りませんでしたが唯一撮ったのが中庭に見えた聖ホセマリアのご像です。
29日日曜日はサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ大聖堂(Basilica Sanctae Mariae supra Minervam)の18時のごミサに与りました。ここにはシエナの聖カタリナが埋葬されていて29日は聖カタリナの日、枢機卿様司式の荘厳なラテン語ミサでした。実は朝、ポルトガルの聖アントニオ教会(Chiesa San'Antonio dei Portoghesi )のごミサに与ろうと行ったのですがごミサはなくて、12時のRegina Coeli に行きたかったのでミネルヴァ聖堂の夕方のごミサに変更したのです。勿論シエナの聖カタリナの日であることはすっかり忘れていました。これはただの偶然ではなく、やはり主のお恵みだと思います。
うわさに聞いていた「恐ロシア」は全く過去の事。モスクワ(シェレメチボ)空港は明るくて綺麗、椅子もあります。確かにトランスファーにもパスポートチェックとセキュリティーがあり、特にセキュリティーの所は団子状態ですが、それでもゆっくりとは進むので何とかなります(ストレスではありますが
)。パスポートチェックは写真と顔を見るだけなので予想していたほど時間はかかりませんでした。ただし自販機で水を買いたくてもユーロが使えないので換金しなければ・・・そこも行列・・・。
トランスファーのパスポートチェックとセキュリティーを除けば他の空港と大差なし。職員の対応も良く今回乗り継ぎ時間が1時間45分しかありませんでしたが十分間に合いました。要するに他の空港と同じく混む時期(夏休みや旧暦の正月など)以外なら大丈夫だということです。
アエロフロートのサービスも価格を思えば十分満足しました。
アエロフロートの機内食
今年6月にはFIFAワールドカップロシアが開催されます。そのためにも空港はもっと使い良くなると期待しています。
今日の福音:ヨハネ6章35節
イエズスは仰せになった。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は、決して飢えることがなく、わたしを信じる者は、もはや決して渇くことがない。」
今日の福音の通り、私はイエズスを信じています。私の洗礼は私が新しく生まれた日です。
以前S神父様が説教で「洗礼日が信者にとっては本当の誕生日です。自分の洗礼日を知っていますか?」と言う問いに私は『霊名日ならわかるけれど、洗礼日は・・・』。そう、自分の洗礼日を覚えていませんでした。以前息子に調べてもらい手帳に書いていたのですがそのまま忘れていました。帰宅後早速確認したら3月26日。これを機会に子供達にもそれぞれの洗礼日を教えました。
教皇様から洗礼を受ける赤ちゃん、可愛い~![]()
誕生日を祝うのもよいけれど、やはり洗礼日も大切な日です。今年は過ぎてしまったけれど、来年からは3月26日もお祝いしましょう。でも、もしかして・・・四旬節中?2019年の灰の水曜日は3月6日でご復活祭は4月21日。確かに3月26日は毎年四旬節中の可能性が高いです。
皆さんは自分の洗礼日を覚えていますか?誕生日と同じようにお祝いしていますか?
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極楽鳥花:一日後⇩
三日後⇩
次の花が出てきて咲きました。
今日のお花教室、春バラの季節らしくこのような盛花になりました。
(カメラのせいか、写す角度が悪いのかいつも実物とは違って写ります)
花材はストレリチア、カラー、ミニバラ、ブルースターです。今日は教会の大きな花器を借りて生けました。
ストレリチアは別名「極楽鳥花」。すっと真直ぐに伸びた茎と変わった形の鮮やかな花(まるで鳥の頭のよう)、そして大きな葉。いかにも南アフリカ原産の植物らしく色鮮やかです。でも不思議と花瓶よりも盛花で映えるお花ですね。(写真ではすごく丈が高くバランス悪く見えますが、実際にはもう少し低いです。黄色いミニバラもなぜか左の花だけ以上に大きく写っています。)
広い花器の時にはそれに合わせてお花も広く生けた方が良いと教わりました。せっかくの広がりをお花が止めてしまっては花器の美しさまでだめにしてしまいますね。今日はお花だけでなく花器とのバランスも大切だと習いました。
実は私はまだ花器の良し悪しがわかりません。他の生徒さん方はわかるようで「これは良い花器」「これは生けやすそう」とか言われます。私も生ける回数が増えればきっと花器の良さもわかるようになるでしょう(たぶん
)。
ところで背景にあるのは神父様のカズラとストラです。かけてあったので記念に一緒に写しました。(A神父様、無許可で載せてごめんなさい(*_ _)人 ) 復活祭から続く白いカズラ良いですね。喜びが続いています。
いつも教えられることばかりのブログ『トマさん祈りの部屋』ですが、住人のトマさんがやっと巡礼から帰ってこられてブログを更新されました。私は早速読みながら「そうそう、そうなのよ」と肯いてばかり。
ローマの名もない教会でさえその荘厳な作りに心打たれたことが書かれていました。そして教会の中で祈っていて、これは当時の人々の信仰の証であると気づいたそうです。
「建築家、彫刻家、画家、石工、大工、音楽家、多くの人達が自分の技を生かして主を讃え主に栄光を帰しました。貧しい信徒も建設費用の寄付を捻出して主を讃えました。工事の人達は汗水たらして主の家を作ることに喜びを感じました。それらが一つに集まって大聖堂が完成しました。大理石でできているように見えて、本当は人々の神への愛で出来ているのです」とトマさんは書いています。
私も全く同感です。フランスに住んでいる日本人の方も書いておられました。当時は天の国=神の国を教会に再現したかったのだと。荘厳な大聖堂や壮麗な教会は主を信じる人達たちの信仰の証であると。
そしてトマさんは「キリストは『福音を信じ、全世界に伝えなさい』と言っているように、心の中で信じるだけでは証されません。次の世代に信仰を伝えることもできません。迫害がない今、私たちは愛と慈しみの行いによって証できます。『出かけて行きましょう!』」と書いておられます。
今日は神のいつくしみの主日(白衣の主日)です。この白衣とは復活祭の洗礼式の時に「白い衣を受けなさい。あなたは新しい人となり、キリストを着る者となりました。神の国の完成を待ち望みながら、キリストに従って歩みなさい」と言われた「白い衣」のことです。この時に女性はヴェールを被せてもらいます。(男女とも同じ白い衣を着る教会もあります)ヴェールはただの飾りではありません。
復活節中は信仰生活の初心者?でしたが今日は一人前となり白い衣を脱ぐのです。白い衣が取れてもキリストを着て、キリストに従って歩み続けるという気持ちでヴェールは被り続けます。しかし残念なことに第二ヴァチカン公会議以降被らない人が増えました。
実は私も被らない時期がありました。それが進歩的でカッコイイと思っていたのです。でもそれは間違った考えだと悟りました。私は今ではヴェールが好きで被ります。
ごミサの時に女性だけがヴェールを被るのは「女性差別だ」「単なる古い習慣」「自分を着飾るためのもの」と様々に批判する人はいますがその批判はあたっていません。
私のヴェールはご聖体への尊敬と礼拝の気持ちをあらわすためです。ですからごミサの時(聖櫃のあるところ)とご聖体の前で被ります。納骨堂で祈る時や行列(聖体行列の時は別)の時には被りません。
私はヴェールを被る時に女性差別だと思ったことはまったくありません。それどころかむしろ素晴らしい恵みを与えられているような気持ちです。意味なくただの習慣として被ったこともありません。自分のために着飾るというよりもイエズス様のためにきれいなヴェールを被ります。
ヴェールを被るのは悪いことではありません。それどころか正しくて良いことだと思います。カトリック教会ではカトリックの洗礼を受けている女性だけが被ることのできるヴェールです。洗礼の時の「キリストを着てキリストに従う」ことを思いおこして次のごミサからあなたも被ってみてはいかがですか? ![]()
⇧ ヴェールを被ると可愛い子がより可愛いくなりますね ![]()
ヴェールも色々⇩

* 最近ではスパンコールのついたものやピンク等のカラーのものまであるようです。ヴェールの意味をよく考えたうえでどれを身に着けるかはご自分で決めたらよいでしょう。
久しぶりに美しい音楽を聴きました。「天使にショパンの歌声を」です。
ショパンだけでなくモーツァルト、リスト、ベートーベンなど様々な曲を合唱やピアノで聴かせます。アリス役のライサンダー・メナード本人がピアノを弾いていますが、これも素晴らしい!カトリックの女子高の話なので宗教音楽もあり私は大満足。
ただしこれは音楽に関して。シスターたちの修道院生活や信仰については物足りないでした。主を信頼してマリア様の「おことば通りになりますように」と受け入れるのではなく「私たちの力でかえましょう」と言う話は修道院経営の学校以外なら「素晴らしい!」となるのですが。勿論努力は必要です。何もせずに祈るだけではだめです。しかし結果は素直に受け入れなければ。次の赴任地に行くことも喜んで受け入れるのが神に仕える修道者・・・。
修道院総長のやり方は別として、言っていることにも一理あります。というよりもこの総長と同じ決断をせざるおえない修道会は今たくさんあります。教会、修道院、幼稚園、学校が次々と閉鎖されています。この映画では総長はただお金にしか興味がなく、意地悪でそうしているようにしか見えません。しかし現実には自分の好みだけで判断する総長はいません。いつも修道会全体のことを考えています。その責任の重さと苦労は私たちにはわからないでしょう。
兎に角美しい音楽を聴きたい方にはお薦めの映画です。