アッシジの聖フランシスコといえば「清貧」。清貧は物を持たないことではなく、物に執着しないこと。それを手ばなす時には執着せずに喜んで手放せることです。富や財産を自分の物と執着せず、主から預かったものと思い、持たない人と分かち合う人が清貧に生きる人だと思います。聖フランシスコとその後のフランシスコ会を支えたのは貧しい人達だけではなく、多くの富かな人々の金銭と祈りがあったことを忘れてはなりません。
教会の中でよく質素に生活している人が豊かに暮らしている人を軽蔑するような言動を耳にしますが、私は賛成できません。それはまるで神を否定する無神論者と同じ、見せかけだけの平等です。貧しい人でも豊かな人でも、富に執着しない人が天に宝をつめる人です。貧しくても豊かでもお金や富に執着する人を主は喜ばないでしょう。
諸事情によりしばらくブログをお休みします。秋休みかな?皆さん秋を満喫してくださいね!
もう10月、今月はロザリオの月。そして今日は守護の天使の記念日です。
守護の天使・・・皆さんは意識していますか?私たちが悪に傾かないように守り助けてくださる天使たちを。毎晩寝る前に守護の天使に感謝しなければいけませんね。
思えばいつも守護の天使に守られてきた私です。あの時・・・あの時・・・そう、どんな時にも必ず導き守られました。それは事故にあわず、病気にならなかったということではありません。苦しみや涙がなかったという意味でもありません。悪から守られたということです。たとえ罪を犯しても回心する道へ導いてもらいました。
守護の天使は無病息災のお守りではありません。主が私たち一人一人それぞれに天使をつけてくださったのは私たちが正しい道を歩むためです。これもまた主のいつくしみでしょう。
三大天使の祝日です。殉教者の祝日とはまた違った華やかさを感じるのは私だけでしょうか。人間と違い神に近い天使たちは特別な力を持っています。
悪魔を足で踏みつけている大天使ミカエル、日本の守護者でもあるので特に身近に感じます。
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ところで話は全く変わりますが、最近世界各地での教皇様のごミサを見ていると、「主の祈り」の時に両手を広げ手のひらを上に向けて祈っている人達が目につきます。また隣の人と手をつないで祈っている人が多いのはアメリカ。イタリアでも手をつないで祈る人たちが増えているとか。日本国内でもちらほら。
私は子供の頃教会学校で「主の祈りの時には両手を胸の前で合わせてお祈りしましょう」とシスターから教わりました。両手を広げて祈るのはミサを司式している司祭だけだと思っていました。
私は祈る時に両手を開いたり手をつないだりするのは馴染めないので遠慮します。シスターは正しいことを教えてくださったと信じています。とはいえ、最近ではシスターの中にも主の祈りの時に両手を広げて祈る人たちもいます。なんでだろ~ なんでだろ~ なんでなんでだろ~?
数年ぶりに家族全員が揃った夏、私の教区に又新しい司祭も誕生し、良いことが続いた二ヶ月間でした。私の弾む心にピッタリの懐かしい曲を見つけました。
YouTube: Ama e capirai CGR 022
YouTube: Gruppo GIOIA- Se un giorno (Gen Rosso)
昔のGEN ROSSO(ジェン・ロッソ)はよかった!今はどんな曲を歌っているのか知りませんが。昔を懐かしむ・・・典型的中高年ですね。
『トマさん祈りの部屋』に「愛」について話されたことが載っていました。最後にこのように書かれていました。
『愛とは相手の善を望むこと』です。辛くても、時には意に反しても踏みとどまります。それが愛です。だから「苦しみは愛の試金石」と言われます。困難を通して愛は成長します。現代社会では、そんな愛は古臭いと考えられています。個人の気持ちを最大限に生きることが愛だと勘違いされています。結局は自分の都合が優先して、神につながる愛に成長しません。浅はかな「愛」の繰り返しです。恋愛が多いほど愛を生きていると思い込んでいるのです。■
*2017/08/24 in別府
確かにその通りです。小説やドラマに映画、人達は簡単にくっついたり離れたり、いったい何人に愛を告白するのでしょうか。そしてそれが良いことのように真似る若者たちの現実。トマさんが言っているように「困難を通して愛は成長する」のです。勿論成長できるためには二人の努力だけではありません。主の恵みがあればこそです。「私たちは主によって生かされている」ことをいつも忘れないでいることです。
(もとの写真:『ブログ.r』より)
「マタイによる福音」とあるように、新約聖書の最初に載っている良い知らせを書いたのが使徒マタイです。
マタイは人々から嫌われていた徴税人でした。そんな彼をイエズス様は呼びました。呼ばれたマタイはイエズス様にすぐに従いました。「この仕事が終わったら・・・」とか「ここを片付けてから・・・」とか言い訳をせずに、イエズス様から呼ばれるとすぐにすべてをおいて従ったのです。
マタイと対照的にイエズス様に従いたかったけれどそうできなかった人達もいましたね。自分の財産に執着があった人、亡くなった家族を葬ることを優先した人など。もしイエズス様があなたに声をかけられて「ついてきなさい」と言われたら、あなたならどうしますか?
明後日23日はカテドラルザビエル教会でビアンネ助祭司祭叙階式があります。彼はイエズス様に呼ばれて「はい」と言って従った人です。司祭様たちは皆そうですね。改めて使徒職について考えさせられました。
今までフラ・アンジェリコの受胎告知の絵をパソコンの壁紙にしていましたが先日子どもたちの写真に変えました。
画面を開くたびに子どもたちのアップ、綺麗な瞳(←親バカです)にいっせいに見つめられます。子どもたちから「お母さんしっかり!」と励まされているような気持ちになり、『子どもたちのためにもっと頑張らなければ』と気合が入ります。今日の敬老の日にぴったりかな。
最近フラ・アンジェリコの絵が特に好きになり、色々な作品を本やネットで観ています。若い頃に比べて私の心も少しはきれいになり、天使のような修道士の描いた絵の良さがわかるようになったのかもしれません。
壁紙にしていた絵はこちら⇩
これらの絵も良いですね。⇩
次に壁紙にするのはこの絵かな?⇩
キリストの手にある紙に書かれていることばは「わたしは世の光である」
今回の台風18号もまた近くを通ったのに、強風や大雨もなく無事に過ぎました。
ラジオからの「強い台風が近づいています」「避難勧告が出されました」との声に、いつものようにパンとカップ麺を多めに買い、水を汲み置きし、懐中電灯とロウソクを用意して、雨戸も早めに閉めて台風が来るのを待ちましたが・・・、それらを使わずに済んだことは幸いでした。
「台風が南九州市に上陸しました」という放送を聞いても外は変わらず静かでした。私の所はたまたま台風の雨風が弱い所にあたったのでしょう。少しの吹き返しがあっただけですみました。大分や宮崎では雨や風がとても強い所もあったようです。台風は生き物のようにスピードを上げたり落としたり立ち止まったり、右へ行ったり左へ行ったり後戻りしたり・・・、どの部分が大暴れするのか予想できないのでやっかいです。
今回も被害にあわれた方々がおられます。物の復旧だけでなく、疲れた心の回復もお祈りいたします。
注文していた葉室麟さんの新作『嵯峨野花譜』が届いたので早速読み始めました。アマゾンでのこの本の紹介文より。
舞台は文政13年(1830年)の京都。年若くして活花の名手と評判の高い少年僧・胤舜(いんしゅん)は、ある理由から父母と別れ、大覚寺で修行に励む。
「昔を忘れる花を活けてほしい」「亡くなった弟のような花を」「闇の中で花を活けよ」……次から次へと出される難題に、胤舜は、少年のまっすぐな心で挑んでいく。
歴史、能、和歌にまつわる、あるいは生まれたままの、さまざまな花の姿を追い求め、繊細な感受性を持つ少年僧が、母を想い、父と対決していくうちに成長をとげていく、美しい物語。
舞台が大覚寺とあったので、「いけばな嵯峨御流」と関係があるような気がして嵯峨御流のいけばなの写真集(古本ですが)を買いました。まさに小説に出てくるように、自然の花がいける人の心を表している作品ばかりです。
葉室さんは歴史・日本画・和歌・茶道・華道など日本の歴史文化に造詣深く、私の知らない世界を教えてくれます。
私はお茶席の花が特に好きです。夏は茶室の竹の花器に一枝か二枝生けてある花の姿が涼しげで。母がお茶を点てていた頃を思い出します。
写真はブログ『一期一会』より(木槿に朝顔)
神は御独り子を与えたもうほどこの世を愛された。それは、彼を信じる人々がみな滅びることなく永遠の命を受けるためである。神のみ子を世に送られたのは、世をさばくためではなく世をすくうためである。(ヨハネ3:16-17)
今日は十字架称賛の祝日。
カテドラルの二階の聖堂と一階の小聖堂にキリストのご像のついた十字架(キリスト磔刑の十字架)を一日も早く置いてほしいと願うばかりです。
カテドラルザビエル教会
小聖堂
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国分カトリック教会 鴨池カトリック教会
大口カトリック教会 他のカトリック教会にはあるのにな・・・キリストのいない十字架なんて・・・プロテスタントの教会みたい
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昨日は夫が突然「牧場に行こう!」と言い出したので、昼食を早めに済ませて高千穂牧場へ。ここちよい風があり、トンボが飛び回り、もう秋の気配です。
牧場内を一巡りしたら、後はいつも通りただひたすら夫と対話。信仰のこと、カトリックのこと、子どもたちのこと、進化論にLGBT,体外受精等々・・・。そして美味しいものを食べて心も身体もいっぱいになりました。
今の中国の様子が書かれたブログを読んで、中国のカトリック事情を少し調べてみました。
現在中国には中国政府公認のカトリックと政府非公認の地下カトリックがあるようです。中国政府の公認のカトリック団体の代表者らが集うのが「中国カトリック全国代表会議」。
政府公認の「中国天主教愛国会」の信者は約550万人、非公認の「地下教会」に所属する信者はその数倍だそうです。私が読んだブログに出てくる信者さん方はどちらの教会に属されているのでしょうか。興味あるところです。
地下教会の指導者は「中国は独自の基準で宗教問題を取り上げ、バチカンに反抗している。私は信仰を汚したくない。教会とバチカンに従いたい」と言っているそうです。
政治が絡んでいるし、私は直接見たり聞いたりしたわけではないので何も言えませんが、二つの教会(本当は一つのはずです)があることは事実のようです。
(写真:産経WEST 2017.1.15 より)
今日はお花教室でした。生けた花はユキヤナギ、リンドウ、ガーベラ、シネンシス、たましだ です。
先生がゆきやなぎの無駄な枝を取ってくださったのですっきりとなり、涼しげな作品になりました。今の時期この暑さの中で花を長持ちさせるのは難しそうです。水はたっぷりとあげてくださいとのことでした。
教室のあとはいつも茶話会です。今日は神父様も加わり大島紬の話で盛り上がりました。大島出身の方が多いので、皆さん大島紬を見る目は肥えています。わたしも大島紬の着物が好きで、特に竜郷柄が大好き。蛇が苦手な私ですが竜郷柄は別。紬の着物は張りがあり裾さばきが良く、とても着やすいのが特徴です。
お花から着物へと話がそれてしまいました。これから秋になると花だけでなく葉の紅葉や実も楽しめます。秋にはどんな花材を扱うのかこれからも楽しみです。
この写真を見て思わず笑ってしまいました。典礼をいい加減にしている教会はアメリカでも多いのでしょう。以前私の教会の主任司祭だったP神父様は「私の趣味は・・・典礼かな?」と言われたくらい、いつも典礼を勉強されて、私たちにも教えてくださいました。
例えば、ミサの中での祈りやロザリオは言葉の意味をかみしめてゆっくりと唱えること。ロザリオは時間内に終わらない時は途中まででもよいのでゆっくりと。使徒信条の時、「主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ」の所では頭を下げるなど、大切なことを色々と教えてくださいましたが、神父様が移られた後はもう皆さん教わったことは忘れています。とても残念です。
大阪では典礼委員会が定期的にあるそうです。おそらくそこではローソクも真直ぐにシャキッとしているでしょう。