信心業
KYOTVで日本の宣教についの紹介がありました。その中で、ある時ご婦人が神父様に「初金」について尋ねたところ、その神父様は「初金や十字架の道行き等の信心業は必要ありません。全部捨ててください。ごミサだけを大切にしてください」と、言われたそうです。この考えはある時期多くの司祭に影響を与えました。
私はこの話を聞いて妙に納得しました。それは世界的に信徒が少なくなり召出しが少なくなっている原因の一つがわかったような気がしたからです。この話を聞いて私が思ったのは神父様の答とは違い「信心業を大切にする人はごミサも大切にする」ということです。
信心業は初金ミサ、十字架の道行きだけではありません。ロザリオの祈り・ノヴェナも信心業、ご聖体訪問も信心業です。他にもお告げの祈りや聖母マリアの七つの悲しみの道行き、グアダルーペやルルド、ファティマ、チェンストホーヴァ等の聖母への信心業、またメダイやご絵も信心業の道具の一つです。
昔は多くの家庭で信心業を通して親は子どもに信仰を伝えていました。家庭での信仰教育です。親は子どもと一緒にロザリオを祈り、教会の前を通るときには十字を切り、あるいは聖堂に入りご聖体の前に跪いて短い祈りをしました。しかし第二ヴァチカン公会議後信心業を軽視する神父様が増え、結果、子どもたちに信仰が伝わりにくくなりました。ご聖体を一番大切にする信心が育たなければ当然ごミサに与る意味も薄れてしまいます。
長い年月をかけて形作られ伝えられてきた伝統は人々の知恵と信仰によって生み出されたものです。私は古くから受け継がれているそれらを簡単に捨ててはいけないと思っています。
近年信心業を勧める神父様方が増えています。今まで教皇様方は一度もロザリオなどの信心業をやめなさいと言ったことはありません。それどころか聖母訪問をし、道行きをし、ロザリオを祈っておられます。
信仰生活とはごミサに与るだけでなく、その時以外もイエズス様やマリア様を忘れずに、信心業をしながら祈り生活することではないでしょうか。かえって信心業によってごミサを大切にする心が育つのだと思います。
今日5日は日本26聖人殉教者の祝日です。殉教された聖人の皆さんもきっと信心業が大好きだったと思いますよ。
作詩:永井 隆