クノックの聖母(沈黙の聖母)
クノックの聖母について私はその名前は聞いたことがありましたが、詳しい内容は知りませんでした。今までの聖母のご出現と違い、聖母のメッセージがないのに教皇様が訪れて祈っておられる巡礼地であることを知りました。
クノックの聖母(8月21日記念日)とはアイルランドのクノックにご出現された聖母のことです。
1879年8月21日、司祭(助祭?)カバナー師の家政婦をしていたメリー・マクローリンさんが教会の脇を通り過ぎようとしたとき、教会の壁に冠をかぶりローブをまとった聖母、聖母に敬意を捧げているかのように少し前かがみの聖ヨセフ、司教の姿をして手に聖書か典礼書のようなものを持った使徒聖ヨハネ、そして祭壇と仔羊に気づきました。それらは白い光を放っていました。祭壇には黄金の光に包まれた仔羊がおり、その上には十字架がありました。マクローリンさんや友人、親戚や近所の人たち(6歳から75歳)の15人がこのご出現の証言者となりました。
クノックの聖母はカトリック教会によって公式に認可されています。1979年に教皇聖ヨハネパウロ二世、2018年にはフランシスコ教皇が訪れて祈りを捧げておられます。
ご出現になった聖母も、聖ヨセフも、使徒聖ヨハネも一言も発することはなく、沈黙のご出現でした。
沈黙は招待状
クノックでは、聖母の出現そのものが典礼でした。祭壇には子羊がおられ、聖人たちと天使たちは崇敬の念に満たされていました。偉大なる大祭司は完全な犠牲を捧げました。付け加えるべきことは何もありません。聖母が語られた言葉は、すでに完全で、すでに十分で、すでに可能な限り完全なコミュニケーションとなっている現実に対する解説に過ぎなかったでしょう。聖母が語られなかったのは、目撃者の目の前の光景がすでにすべてを物語っていたからです。聖母は執り成しの祈りの姿勢を取り、祭壇の子羊に、子羊がいつも言うことを言わせました。「これはあなたたちのために与えられた私の体です。これはあなたたちのために流された私の血です。」
クノックの沈黙もまた、招きです。他の主要な聖母出現は、メッセージや秘密、願いを伝える際に、受け取る人に何か行動を促します。ロザリオを唱える、礼拝堂を建てる、償いをする、スカプラリオを身につける、ロシアを奉献するなどです。これらは良いことであり、重要なことです。しかし、クノックはこう言います。「来て、崇めなさい」。ここですべきことは、ミサに参列するたびにすでに求められていること以外には何もありません。祭壇に来なさい。子羊を見なさい。あなたの信仰がすべての聖体拝領において現存すると説く現実に、心を向けなさい。クノックのメッセージは、そもそもメッセージではありません。それは、洗礼を受けたすべてのカトリック信者がすべてのミサですでに求められていることを、1879年8月21日の夕方に15人の目撃者が経験したような注意深さと驚きをもって行うよう招くものなのです。(TheEasternChurch.com. より抜粋)
またクノックの聖母のメッセージは、「沈黙の勧め」だとも教えています。「現代人、特に深い沈黙の価値を知らない人びとに、沈黙の価値を知らせるよう助けなければなりません」。(140周年記念祭でのフィジケッラ大司教講演より)
確かに今の私たちは沈黙の価値を忘れています。静かに神の存在や声に耳を傾けて、心の中で黙想することの大切さを。ごミサ前の沈黙、説教を聴いた後の沈黙、聖体拝領後の沈黙、ごミサ後の沈黙、そして修道院の沈黙の祈りをわたしたちも倣うべきですね。



