« 悲しみの聖母 | メイン | 聖アンデレ金と同志殉教者(記) »

2018年9月16日 (日)

Daily Prayer for Priests

14_2
 ある一部の聖職者と奉献生活者による権力の乱用や性的虐待、そしてそれを長い間無視したり隠ぺいしてきた一部の高位聖職者。被害者本人だけでなくその家族も長い間苦しみ続けてきました。

 フランシスコ教皇様は今回『神への民への書簡』を私たち信徒に書かれました。その中で「被害者とその家族の痛みはわたしたちの痛みでもあります」と書かれています。私もその通りだと思います。

 また、当時枢機卿であった教皇ベネディクト十六世の『十字架の道行き』のことばを引用されて、「何とひどい汚れが、教会の中に、また、すべてイエスのものであるはずの司祭たちの間に見られることか。何という傲慢、何という自己満足。……弟子たちの裏切り、イエスの御からだと御血の不謹慎な拝領は、確かに、あがない主の最大の苦痛であり、彼の心を刺し貫くものです。魂のもっとも奥深いところから主イエスに向かって、主よ、あわれんでください、と叫び声をあげるほかありません。『主よ、わたしたちを救ってください』(マタイ8・25参照)」と書かれています。つまり当時(教皇ベネディクトが枢機卿の頃)から、あるいはもっと以前からあのような悪事は高位聖職者方の耳に入っていたのでしょう。 

 私たちは教会の一部、教会共同体で起こったことは私たちと無関係ではありません。手紙は続きます。「・・・全世界で共同して取り組む必要があります。起こったことを知ることは、回心に向けたあらゆる歩みにとって欠かせない重要なことですが、それだけでは十分ではありません。今日、神の民であるわたしたちは、身も心も傷ついた兄弟姉妹の痛みを身に受けるよう招かれています。・・・わたしたちも、一人ひとりの人間を傷つけるあらゆる出来事を糾弾しなければなりません。連帯するためには、あらゆる種類の堕落、とりわけ霊的な堕落と闘わなければなりません。・・・過去を振り返り、どんなにゆるしを求め、与えた危害を償おうと努めても、決して十分ではありません。こうした事態が二度と繰り返されない文化、隠ぺいし継続させる余地を与えない文化を築くために、未来を見据えながらどんなに努力しても、努力しすぎることはありません。被害者とその家族の痛みはわたしたちの痛みでもあります。だからこそ、弱い立場に置かれた未成年者と大人を守るために尽力しなければならないことを改めて再確認することが緊急に求められているのです。・・・虐待という罪の前で、悔い改めの念と勇敢に立ち向かう決意を表すのに欠かせない回心と内的な塗油の恵みを、聖霊がわたしたちに与えてくださいますように。

 Fr.Zのブログに『司祭のための毎日の祈り』という新しい祈りが載っていました。英語の祈りですがとても良い祈りなので日本語に訳してもらいました。私は二度とあのような犯罪が起きないようにこの『司祭のための毎日の祈り』を毎晩唱えています。

 

     司祭のための毎日の祈り

Photo_3Maryqueenoftheclergyprayerthourgb31

Maryqueenoftheclergyrgbw325x525_1