カトリック Feed

2018年12月30日 (日)

司祭叙階式

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 カテドラルザビエル教会で司祭叙階式がありました。K神父様おめでとうございます。

 まず初めに彼を呼び、導き祝福してくださった主に感謝!叙階式を司式してくださった司教様方を初め司祭団の方々に感謝!祭壇奉仕者と伴奏者、合唱団の皆様にも感謝!ずっと前からこの日のために準備してくださった方々と当日協力してくださった方々に感謝!そして叙階式に足を運んでくださった方々に感謝!式に出られなくても祈りで支えてくださった方々に感謝!

 司祭になるということは「人々に仕えるため」です。それと同時に主に使えるためでもあります。世間の評判は気にせずに、イエズス様の評価を大切にする司祭であって欲しいです。真直ぐにキリストの教えを伝えてください。

 私たち家族にとって「喜びに喜べ」の日でした。

2018年12月28日 (金)

幼子の殉教者の祝日

 ヘロデ王の命令のもと、兵士たちによって2歳以下の幼子たちが殺された日を何故祝日と呼ぶのでしょうか?その答えとしてスペイン人のキリストバル・バリョヌェボ氏は次のように書いています。(『ミサの前に読む聖人伝』より)

 「幼子たちは、自分では何もしなくても、殉教の冠、すなわち永遠の幸福を神からいただきました。私たちは、幼子が生まれてすぐに殺されたことをかわいそうだと思いがちですが、実際には、永遠の救いを失うことなく、神によって幸福に召された者であるので、幸せなことです。彼らは幼子の時に天に召された子どもたちの代表者だと思われます」。

 そしてブルデンチウスの聖歌を借りて幼子たちに賛美を捧げています。

殉教者の美しい花よ

暴風が

開いたばかりのばらを散らすように

キリストの迫害者は

君たちを生命の入り口で奪い取った

君たちは

キリストの最初の殉教者

犠牲になった小さな小羊

天の祭壇の前に

殉教のシュロと冠を持って

無邪気にあそんでいる

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2018年12月27日 (木)

使徒聖ヨハネ福音記者の祝日

 洗礼者ヨハネの弟子であったヨハネとアンドレアは師の言われた「神の小羊」であるイエズス・キリストの後をついて行き、一晩キリストと共に過ごしました。その後(おそらく数カ月後)兄弟ヤコブといた時に二人はキリストに呼ばれました。二人はすぐにすべてを捨ててキリストに従いました。迷うことなくすぐに従ったのです。これはとても大切なことです。つまりどんな事よりも主キリストが一番大切だということ。それはつまり主日のごミサが他のことよりも一番大切だということですね。

 ヨハネは弟子たちの中で最も若く、キリストが十字架にかけられた時にもその傍らに立ち続けました。そしてキリストは聖母マリア様をすべての人の母として彼に委ねました。キリストに愛された弟子ヨハネは「神は愛である」「愛さない人は神を知らない」と教え、いつも「お互いに愛し合いなさい」と私たちに教えています。

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使徒聖ヨハネ(ちょっと美形すぎるかな)

2018年12月26日 (水)

聖ステファノ殉教者の祝日

 

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 クリスマスの翌日は聖ステファノ殉教者の祝日です。

 上のイコンには石を投げられている聖ステファノ、石を投げて彼を殺そうとする人達とその人達の上着の番をしているサウロ(聖パウロ)の姿が描かれています。

 信仰と聖霊に満ちた聖ステファノは「イスラエルの民はモーセの時代にも神に逆らい、預言者たちを殺し、救い主キリストまで裏切って殺した」とはっきりと述べました。そのためにユダヤ人たちに襲われ、石を投げられて殺されました。彼は天が開けてイエズスが父の右の立っておられるのを見ました。そして「主イエズス、私の魂をお受けください」と祈り、また「主よ、どうぞこの罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫び眠りにつきました。(亡くなりました。)

 私には聖ステファノの力強い回心の呼びかけは洗礼者ヨハネと重なるものがあります。今の時代にこれ程までに回心を呼びかける人がいるでしょうか?

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聖霊に満ちていた助祭ステファノが石打ちにあったのは、神の御子イエス・キリストにおける信仰を宣言したためでした。主を愛したステファノは、すべての人の光であり 道であるキリストを選びました。真理を選ぶことで、同時に彼は世に存在する邪悪の神秘の犠牲となりました。しかし、キリストにおいて彼は勝利したのです。教皇フランシスコ2016年12月26日)

聖ペトロ大聖堂「主のご降誕夜半のミサ」

 

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 教皇様の「主のご降誕夜半のミサ」ではローマの神学校「Sedes  Sapientiae」の神学生たちが侍者を務めました。 

 

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 また今年は幼子イエズス様にお花を捧げる子どもたちの中に着物姿の可愛らしい女の子二人がいました。


YouTube: Pope Francis - St. Peter’s Basilica - Holy Mass of the Christmas Vigil 2018-12-24

 25日は恒例の祝福「Urbi et Orbi」。


YouTube: Pope Francis - Christmas Message and” Urbi et Orbi” Blessing 2018-12-25

2018年12月25日 (火)

ご降誕の主日

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 さて、羊飼いたちが、その地方で野宿をして、夜どおし羊の群れの番をしていた。すると、主の使いが羊飼いたちのそばに立ち、主の栄光が羊飼いたちを覆い照らしたので、彼らはひどく恐れた。み使いは言った。「恐れることはない。わたしは、すべての民に及ぶ大きな喜びのおとずれをあなたがたに告げる。きょう、ダビデの町に、あなたがたのために、救い主がお生まれになった。このかたこそ主メシアである。あなたがたは、うぶぎにくるまれて、かいばおけに寝ている乳飲み子を見るであろう。これがしるしである」。すると突然、み使いに天の大群が加わり、

  「いと高き天においては神に栄光、

   地においてはみ心にかなう人々に平安」

と、神を賛美した。(ルカ2章8~14節)


YouTube: The Best Christmas Song I've Ever Heard. It Will Give You Chills.

 神の子、救い主キリストは私たちのためにマリア様から生まれ、私たちと同じように乳飲み子の姿でこの世に降りてこられました。これはとても意味深いことです。

 この大きな恵みを世界中の多くの人達と喜び分かち合いたい!クリスマスこそ憎しみのあるところにゆるしを!争う人達には和解を!弱い人達にたすけを!そしてなによりも心がバラバラに離れている家族に一致を!キリストは愛ですから。

 


YouTube: GOLEC uORKIESTRA - CICHA NOC, KONCERT KOLĘD I PASTORAŁEK DVD +CD, JASNA GÓRA

2018年12月23日 (日)

1日の始まりは日没から

 今日の神父様の説教の一部:昔(イエズス様が生まれた頃)は、一日の始まりは日没からでした。つまり今のように真夜中0時が日付変更ではなく、日没で1日が終わり次の日が始まるということです。ですから典礼では24日の日没から25日が始まっていることになるので、24日の夜のミサではなくて25日主の降誕の夜半のミサであり、続いて早朝のミサ、日中のミサとなります。

 なるほど、典礼暦では『王たるキリスト』の次の主日から新年が始まるのと同じで、教会の暦は世間一般のそれとは違うのですね。今日の説教も勉強になりました。

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祭壇前には幼子イエズス様を迎える準備ができています。クリスマスまでもう少し happy01


YouTube: MercyMe--It Came Upon the Midnight Clear

2018年12月16日 (日)

喜びの主日~Gaudete


YouTube: Gaudete - With Lyrics

 喜びの主日、皆さん喜んでいますか?喜びを表すバラ色の祭壇とカズラ。

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 「今日はノヴェナを始める日です。昔からクリスマスが近づく今日から人達はノヴェナの祈りを24日までしていました。私たちも各家庭で今日からノヴェナ(九日間の祈り)を始めましょう」と神父様が話されました。昔からクリスマスの前や復活祭の前、大きな祝日の前、特別なことがある前にはノヴェナをしていたものです。神父様の話によると今でもヨーロッパやアメリカの大きな教会ではノヴェナをしているそうです。しかし日本では(修道会以外)教会ですることはあまりないので各自各家庭でするようにしましょう、とのことです。

 そして今日は「ごミサの時の中心は十字架・キリスト・祭壇であって司祭ではない」ということを話されました。その通りです。以前は司祭も会衆と同じく祭壇の方を向いていたのでそのことがはっきりとわかりました。しかし今は司祭は祭壇をはさんで会衆の方を向いているので、会衆は司祭が中心だと勘違いして,司祭のパフォーマンス(余計な話や楽しく笑わせてくれること)を期待している人もおられます。

 S神父様はいつもごミサを典礼通り(自分流に変えず)にたててくださるので、私は心穏やかにごミサに与れます。今日のお説教も良かったです。喜びの日です。 

2018年12月12日 (水)

黒いカズラ

 

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 今日はグアダルペの聖母の日です。フランシスコ教皇様がメキシコを訪問された時に、この聖母の御絵の前で祈られた姿が思い出されます。

 ところで、全く関係のない話ですが、これは最近のアメリカでの葬儀ミサの写真です。

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 何故葬儀の話かと言うと、先日ラジオで「宇宙葬」なるものについての話を聞いたからです。『自分が死んだ後のことは生きている人に任せてかれらの好きなようにしてもらえばよいのに』と思った私です。

 しかし、そう言う私は葬儀ミサの時には司祭のカズラは黒色でお願いしたいと思っているのです。遺族に任せずに・・・。coldsweats01

 以前は日本でも葬儀の時には黒色(紫)を用いていましたが、最近は「復活の希望」を表すという考えから白色を用いています。私が「復活の希望を持って」死んだとしても、復活して永遠のいのちをいただいたわけではないし、教会の祝日や結婚式と同じ白色では気が引けます。私が聖人で天国へ直行するのであれば白色でもよいでしょうが、そうではないのでやはり黒色がふさわしいですね。私の葬儀ミサの時には是非黒いカズラでお願いします。・・・と、自分の葬儀に注文をつけている私です。

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 ついでに祭服について『サンパウロ編:イラストで知るカトリック教会生活』の本の中では「現代ではバラ色の祭服は使用されていません」(26P.)とありますが、教皇様をはじめ多くの司祭は今も使用されています。また国内でもバラ色を使う司祭は増えています。バラ色の祭服は年にたった2回だけしか用いられませんが、それ故になお一層希望が感じられて、特別なその時にふさわしい祭服だと思います。

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 今年のgaudete・喜びの主日は16日です。

2018年12月 8日 (土)

無原罪の聖マリア(祭)[無原罪の御宿り]

[Immaculata Conceptio Beatae Virginis Mariae]

 今から164年前の1854年12月8日、ピオ9世教皇は「聖母マリアが受胎の瞬間から原罪のあらゆる穢れから免れていた」と宣言されました。これは「聖母マリアはその存在の最初から原罪を免れていた」ということです。

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 我が家では昔から子どもたちと一緒に唱える聖母マリアへの祈りがあります。この祈りはまた夫が小さい頃に親から教えられて夫が家族と毎晩唱えていた祈りでもあります。それは『聖アロイジオの祈り』(カトリックの祈りp.256)です。『聖母に一切を託する祈り』と言われています。

 わが元后、童貞聖マリア、われは、御身の尊き御保護と、特別なる御守護とのもとにわが身を置き、今日、毎日、また臨終の時、わが霊魂と肉身とを、あわれみ深き御手のうちに任せ奉る。われはわが一切の希望と喜び、困難と悲しみ、一生と最後とを御身に捧げ奉る。御身の御取次と御勲とによりて、われらのすべての仕業が、御身と御子との御旨に添うよう導き給わんことを願い奉る。アーメン。

2018年11月30日 (金)

痛悔の心~ゆるしの秘跡(告解)

私は痛悔の定義を知るよりも痛悔の心を感じたい。もし聖書のすべてと哲学説のすべてを知っていたとしても、カリタスと恩寵がなければ、何の利益があるだろう。神を愛し神に仕えること、これ以外は空の空、すべては空しい。(『キリストにならう』bot)

 今日は聖アンドレ使徒の祝日です。明後日の日曜日からは待降節(新年)が始まります。

 今年こそは自分と考えの違う人に対して公然と非難するのではなく、その人のために祈り優しい気持ちで見守りたいと思います。ただ非難・攻撃するのは神のない人々と同じ、主の愛を忘れないように過ごす1年にしたいです。

 そのことも含めてそろそろクリスマス前のゆるしの秘跡を受ける準備をしなければと思っています。準備とは良心の糾明をして痛悔をすることです。

 よく準備ができていない時とは糾明よりも痛悔をしていない時のように思います。そういう時は罪をゆるされても、あまり喜びや感謝の気持ちはわかないからです。

 昔のことばかり書きますが、ゆるしの秘跡も変わりましたね。昔は罪の告白の後に続けて「かくおぼえたる罪とおぼえざる罪と洗礼以来犯したる罪とをことごとく痛悔し、これが赦しと償いとの御恵みとを請い求め奉る。」と、願い祈ったものですが、今は「今日までの主な罪を告白しました。ゆるしをお願いいたします。」とだけです。

 また、悔い改めの祈りでは「痛悔の祈り」をとなえました。今は悔い改めの祈りはとても短くなっています。どちらの祈りも心が大切ですが、「痛悔の祈り」の方が痛悔の心をよく表しているような気がします。とは言っても、夫の国では告解の前に痛悔をするのであらためて痛悔の祈りは唱えないそうです。おそらくそのような国の方が多いと思います。

 先日見つけた『ゆるしの秘跡:よい告解のための手引き』というリーフレットはとても使いやすい手引書です。興味のある方はグーグルで検索してみてください。

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(リーフレット内容の一部)


YouTube: Messa a San Marco, KYRIE IV, Schola Gregoriana Mediolanensis, Giovanni Vianini, Milano, Italia

2018年11月28日 (水)

聖カタリナ・ラブレ(不思議のメダイ)

 「不思議のメダイ」はカトリック信者さんなら必ず一つは持っておられると思います。ロザリオについているメダイもこれが多いです。

 今日は聖母マリア様からこのメダイを作るようにと言われた聖カタリナ・ラブレの日です。1830年7月18日~19日の夜にかけてと11月27日の2回、聖母マリア様は愛徳姉妹会の修道女であった彼女に現れました。

 ご出現の時のマリア様は下のような絵姿でした。

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 そしてマリア様は「(この手から出ている)光は、処女マリアに願う人々のために神からいただいてくださる恵みのシンボルです」言われました。

 そして聖母のお姿のまわりには『ああ、けがれなくお宿りになられた聖マリア、あなたにより頼むわたしたちのためにお祈りください。(Ô Marie, conçue sans péché, priez pour nous qui avons recours à vous.)』と言う言葉が見えました。

 絵のようなお姿が回ると反対側にはMの文字と十字架、み心がみえました。

 聖母マリア様は「このモデルに従ってメダイを作りなさい。祝福されたメダイを身に着けて『ああ、けがれなくお宿りになられた聖マリア、あなたにより頼むわたしたちのためにお祈りください』と祈りを唱える人には、神の母の特別なご保護があたえられます」と言われました。

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 このメダイは愛徳姉妹会本部のあるパリ大司教区の大司教様の許可を受けて作られるようになりました。世界中に広まったメダイによって、無原罪の聖母の取り次ぎによる多くの奇跡的ないやしがあったために、いつしか「不思議のメダイ」と呼ばれるようになりました。

 

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聖カタリナ・ラブレ

2018年11月25日 (日)

王であるキリスト(祭)

  

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 今日は王であるキリストの祭日、典礼暦年最後の主日です。次の日曜日は待降節第1主日、いよいよ新しい典礼暦(=新年)が始まります。

 『教会暦と聖書朗読2019年度』も『教会の祈り日々の手引き2019年』も準備しました。新年を迎える準備はばっちりです。なぜだかワクワクします。


 主よ恵み豊かだったこの一年に感謝します。罪人の私にいつもいつくしみを注いでくださった主よ、ありがとうございます。

2018年11月16日 (金)

諸聖人にならう(聖ゲルトルードおとめ)

どうして諸聖人のうちのある人々はあれほど完全になり、観想を行えたのか。なぜなら彼らは地上の望みのすべてについて全く死んだ者となろうと努力したからである。だから彼らは心の奥底から神に寄りすがり、自由に自分のことに専念できたのである。(『キリストにならう』bot)

 マルコによる福音12章30節『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』とイエズス・キリストが言われたことを実行したのが聖人たちですね。

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聖ゲルトルードおとめ

2018年11月 8日 (木)

沈黙を守る

できる限り沈黙と観想を保ちなさい。しかし常に他人に迷惑をかけないようにそうするよう努めなさい。あなたが話さなければならないときは、常に自制と節度と単純さをもって話しなさい。(『謙遜の実践』bot)

 これからは余計なおしゃべりはせずに、沈黙と観想を保つこと。話すときは軽率にならないように注意しましす。また感情的にならず、だらだらと話さないようにします。

 そして外でよりも先ずは家庭の中で気をつけなければ。息子によく言われます。「お母さん、また不平不満?」と。家族の前で当たり前のように不平不満を言ってしまいますがそれを聞かされる方はとても不快でしょうね。反省しています。 今一度聖母マリア様に倣う心を!

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2018年11月 6日 (火)

すべては神の栄光のために

純粋で単純、安定した人は多くの仕事のさなかでも気を散らさない。なぜならすべてを神の栄光のために行うからであり、自分のうちに安息しており、自分のものを追求することに煩わされないように努めるからである。(『キリストにならう』bot)

 新しくツイッター『謙遜の実践』botを教えてもらいました。教皇レオ13世の『謙遜の実践』を私訳しランダムにツイートしたものです。昔の教皇様の厳しさが今は懐かしい。常に信徒が悪に傾かないように励まし、力づけてくださいます。聖ホセマリアに通じるところがありますね。

あなた自身に属するものは、罪と弱さと悲惨しかなく、あなたが享受している自然と恩寵の恵みは、あなたが神から受け取ったものである。神はあなたの存在の原理であり、それゆえ、神にのみ栄光が着せられるべきである。(『謙遜の実践』bot

 教皇レオ13世と言えば「大天使ミカエルへの祈り」が浮かびます。この祈りはごミサの終わりに跪いて唱えられていました。しかし第二ヴァチカン公会議の典礼刷新でこの祈りは唱えられなくなりました。もしかしたらこの祈りによって教会は守られていたのかも知れまさん。私はごミサ後にこの祈りを唱えるように典礼を元に戻すことを望みます。

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教皇レオ13世

2018年10月30日 (火)

中国カトリックについて

Card. Zen’s op-ed in the NYT

Be sure to read thoroughly the opinion piece in the NYT offered a couple days ago by His Eminence Joseph Card. Zen Ze-Kiun, Bishop Emeritus of Hong Kong. HERE

The Pope Doesn’t Understand China

I know the Church in China, I know the Communists and I know the Holy See. I’m a Chinese from Shanghai. I lived many years in the mainland and many years in Hong Kong. I taught in seminaries throughout China — in Shanghai, Xian, Beijing, Wuhan, Shenyang — between 1989 and 1996.

Pope Francis, an Argentine, doesn’t seem to understand the Communists. He is very pastoral, and he comes from South America, where historically military governments and the rich got together to oppress poor people. And who there would come out to defend the poor? The Communists. Maybe even some Jesuits, and the government would call those Jesuits Communists.

Francis may have natural sympathy for Communists because for him, they are the persecuted. He doesn’t know them as the persecutors they become once in power, like the Communists in China. (Fr.Zブログより)

【10月27日 AFP】率直な物言いで知られ、かつて香港で司教職を務めたジョセフ・ゼン(Joseph Zen)枢機卿は25日、ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王(Pope Francis)が中国政府と歴史的合意に達したことについて、法王は中国の体制を理解していないと批判し、この合意は中国における「真の教会の消滅」につながる恐れがあると警鐘を鳴らした。

 中国国内の推定1200万人のカトリック教徒は、「家庭教会」や「地下教会」と呼ばれる、バチカンに忠誠を誓う非公認の教会に通う信者と、共産党が聖職者を選任する政府公認の教会を訪れる信者とに分かれている。

 バチカンと中国は1951年以来、外交関係を結んでいないが、中国国内での司教任命をめぐる先月の合意により、関係回復への道が開かれた。またフランシス法王は合意の一環として、中国によって任命された司教7人を承認した。

 だが、この歴史的合意についてゼン枢機卿は、米紙ニューヨーク・タイムズ(New York Times)国際版への寄稿で、法王は中国に対して譲歩し過ぎてしまい、合意の結果、中国政府によってカトリック教徒が迫害される下地がつくられたと批判。「合意は実のところ、中国における真の教会の消滅に向けた大きなステップだ」と主張した。

 さらに「私が風刺漫画家なら、法王がひざまずき、中国の習近平(Xi Jinping)国家主席に天国の鍵を差し出して、『どうか私を法王として認めてください』と言っている絵を描くだろう」との見解を披露した。

 また法王はアルゼンチン出身であるため、「共産主義について生来、楽観的な考えを持っている」とも指摘し、その結果、中国を統治する共産党に信を置くという過ちに至ったと述べるとともに、「中国の共産主義者がそうであるように、彼らは一度権力の座に就いたら迫害者になるということを知らないのだ」とも主張している。(c)AFP

 

2018年10月29日 (月)

教訓

使徒パウロのエフェソの教会への手紙(4:32、5:1-8)

そして、互いに親切にし、おもいやりあつく、心からゆるし合う者となりなさい。神も、キリストに結ばれたあなたがたを心からゆるしてくださったのです。ですから、神に愛された子として、神に倣う者となりなさい。そして、愛に基づいて生活しなさい。キリストもわたしたちを愛し、わたしたちのためにご自分を、神のかぐわしい香りの供え物、いけにえとしてさし出されたのです。聖なる人々に似つかわしく、あなたがたの間では、みだらなこと、汚らわしいすべてのこと、それに貪欲なことは口にさえもしてはなりません。また、顔を赤らめるような話、くだらないおしゃべり、あるいは品のない冗談なども似つかわしくありません。むしら、口にすべきは感謝に満ちた言葉です。すべてみだらなことを行う者、汚らわしいことを行う者、また、偶像崇拝者に等しい貪欲な者には、キリストと神が統治する国において約束されたものを相続する資格がないことをわきまえなさい。むなしい言葉に惑わされてはいけません。先に述べた行いのために、神に従わない者たちの上に神の怒りが下るからです。彼らの仲間入りをしてはなりません。かつて、あなたがたは闇でしたが、今は、主に結ばれて光となっています。「光の子」として生活しなさい。(今日の福音より)

ときおり人々の反対にあい、我々が良く行為し、良い意図を持っているにもかかわらず、我々が悪く不十分だと思われることは良いことである。そのことはしばしば我々を謙遜にさせるのに役立ち、空しい栄光から我々を守ってくれる。(『キリストにならう』bot)

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2018年10月27日 (土)

七つの罪源

自分に死にきれていない人はすぐに誘惑され些細なつまらないことに負けてしまう。心が定まらない人、肉的な人、感覚的な物に傾いている人は地上の欲望から自分を完全に引き離すことが難しい。だからしばしば身を引くときに悲しみを覚える。またもし誰かが彼に逆らうとすぐに怒るのである。(『キリストにならう』bot )

 私自身のことを言われているようで catface 反省! 些細なことに怒ってしまうのは年のせいにしていましたが、それは違いますね。逆に年を重ねるにつれ地上の欲望から解放されるのが正しいはず。

 パソコンに貼ってあるメモには「欲しい物は買わない!必要な物を買う!」と、書いています。が、つい誘惑に負けて本やCDを買ってしまいます。メモのおかげで以前よりは少なくなりましたがまだまだです。

 自分の心の中の欲望や不安、悪と戦うことの大変さ、難しさを実感しています。

septem peccata mortalia(七つの大罪=カトリック七つの罪源

傲慢・憤怒・嫉妬・怠惰・強欲・暴食・色欲

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謙譲・慈悲・忍耐・勤勉・救恤・節制・純潔 (七つの美徳)

私はこれに「絶望」「希望」を加えたいです。ある聖書学者はイエズス・キリストは絶望のどん底で死んだ(詩編を唱えたのではなく)と話したそうですが、私は違うと思います。何故ならキリストは自分自身が神であり、3日目に復活することを知っていたからです。聖書にも書かれている通りです。

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マリア様の助けを借りて七つの美徳を目指しましょう。そしていつか復活するという希望を持って臨終を迎えましょう。

2018年10月24日 (水)

間違いは直しましょう

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 中野司教様の司教叙階式の時、式が始まる前に神父様から歌の練習とお願いがありました。それはごミサ(上の写真)の時、

司祭:キリストによってキリストとともににキリストのうち、聖霊の交わりの中で、全能の神、父であるあなたに、すべての誉れと栄光は、世々に至るまで、

信徒:アーメン。

のところで、鹿児島では司祭が唱えるべきところ「すべての誉れと栄光は世々に至るまで」を信徒が唱えていますが、信徒は「アーメン」とだけ応えるようにと指導されました。練習までしたのにその甲斐なく本番になるとほとんどの人は司祭が唱えるところも大きな声で唱えていました。

 おそらくこの間違いをおかしているのは日本だけです。ヴァチカンをはじめ他のすべての国では信徒は「アーメン」とだけ応えています。

 間違って習慣になってしまっていることを直すのは難しそうですが、意識してごミサに与れば簡単なことです。間違いは正しましょう。特に典礼に関することはとても大切です。さあ、次のごミサからは「アーメン。」だけ。司祭のことばを横取りしないように!happy01

参考にしたのはこちらの本 ⇩

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この本の112ページ ⇩

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 ついでに、奉納行列の時には行列する人以外は皆さん座りましょうね。カテドラルでは皆さん座るのに、私の教会では立ったままの人が多いのです。奉納行列と奉納は違います。奉納行列は供え物の準備です。司祭が奉納祈願(「皆さん、このささげものを、全能の、神である父が・・・」)を唱える時が奉納なので、その時立ちましょう。

 と、私が何度書いても少しも変わらないのです。おそらく次の日曜日のごミサもいつもと同じでしょう。sad