カトリック Feed

2018年9月21日 (金)

罪人だから招かれる

 

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 聖マタイといえばユダヤ人の徴税人、当時ユダヤ人の間で嫌われていた職業でした。イエズス様はそんなマタイを呼ばれました。ここでも主のなさることは不思議です。皆から好かれている人気者を呼べば、それだけで多くの人がついてくると思うのは人間の考え、主の思いは違いました。

 そしてマタイの家で食事をしている時にファリサイ派の人達に向かってこう言われました。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」と。

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(昨日20日の朗読場面:ルカ7章36-50節) 

 そう、私がキリストに呼ばれた(洗礼を受けた)のも、私自身が罪人だからです。この世に罪の全くない人はいないでしょう。皆罪人です。ですからイエズス様はすべての人を招いておられるのです。あなたも、あなたも、そしてあなたも。

2018年9月20日 (木)

聖アンデレ金と同志殉教者(記)

 

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 韓国の司祭の保護者聖アンデレ金は1846年に迫害の厳しかった韓国で殉教しました。司祭になってわずか1年後のことでした。

 韓国では1870年までに約2000人もの信徒が殉教したそうです。今も聖アンデレ金殉教者たちのあつい信仰は韓国の信徒達を励まし支えているのでしょう。私たちもその信仰心に倣い聖アンデレ金に取り次ぎを祈ります。

2018年9月16日 (日)

Daily Prayer for Priests

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 ある一部の聖職者と奉献生活者による権力の乱用や性的虐待、そしてそれを長い間無視したり隠ぺいしてきた一部の高位聖職者。被害者本人だけでなくその家族も長い間苦しみ続けてきました。

 フランシスコ教皇様は今回『神への民への書簡』を私たち信徒に書かれました。その中で「被害者とその家族の痛みはわたしたちの痛みでもあります」と書かれています。私もその通りだと思います。

 また、当時枢機卿であった教皇ベネディクト十六世の『十字架の道行き』のことばを引用されて、「何とひどい汚れが、教会の中に、また、すべてイエスのものであるはずの司祭たちの間に見られることか。何という傲慢、何という自己満足。……弟子たちの裏切り、イエスの御からだと御血の不謹慎な拝領は、確かに、あがない主の最大の苦痛であり、彼の心を刺し貫くものです。魂のもっとも奥深いところから主イエスに向かって、主よ、あわれんでください、と叫び声をあげるほかありません。『主よ、わたしたちを救ってください』(マタイ8・25参照)」と書かれています。つまり当時(教皇ベネディクトが枢機卿の頃)から、あるいはもっと以前からあのような悪事は高位聖職者方の耳に入っていたのでしょう。 

 私たちは教会の一部、教会共同体で起こったことは私たちと無関係ではありません。手紙は続きます。「・・・全世界で共同して取り組む必要があります。起こったことを知ることは、回心に向けたあらゆる歩みにとって欠かせない重要なことですが、それだけでは十分ではありません。今日、神の民であるわたしたちは、身も心も傷ついた兄弟姉妹の痛みを身に受けるよう招かれています。・・・わたしたちも、一人ひとりの人間を傷つけるあらゆる出来事を糾弾しなければなりません。連帯するためには、あらゆる種類の堕落、とりわけ霊的な堕落と闘わなければなりません。・・・過去を振り返り、どんなにゆるしを求め、与えた危害を償おうと努めても、決して十分ではありません。こうした事態が二度と繰り返されない文化、隠ぺいし継続させる余地を与えない文化を築くために、未来を見据えながらどんなに努力しても、努力しすぎることはありません。被害者とその家族の痛みはわたしたちの痛みでもあります。だからこそ、弱い立場に置かれた未成年者と大人を守るために尽力しなければならないことを改めて再確認することが緊急に求められているのです。・・・虐待という罪の前で、悔い改めの念と勇敢に立ち向かう決意を表すのに欠かせない回心と内的な塗油の恵みを、聖霊がわたしたちに与えてくださいますように。

 Fr.Zのブログに『司祭のための毎日の祈り』という新しい祈りが載っていました。英語の祈りですがとても良い祈りなので日本語に訳してもらいました。私は二度とあのような犯罪が起きないようにこの『司祭のための毎日の祈り』を毎晩唱えています。

 

     司祭のための毎日の祈り

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2018年9月14日 (金)

十字架称賛(祝)

 十字架称賛の祝日です。皆さん祝日ですよ。

 イエズス・キリストは私たちの罪の贖いのためにご自分をいけにえとしてささげ、十字架にかけられました。

 私は十字架を見上げる度に、イエズス様のその苦しまれる姿に、ただ感謝の気持ちでいっぱいになります。そして「イエズス様、罪人の私を憐れんでください」と祈るばかりです。

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2018年9月12日 (水)

マリアのみ名の祝日

 今日は「マリアのみ名」の日ですが、私にとっては祝日です。なぜなら私の洗礼名がマリアだから。つまり今日は私のお祝い日です。

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 ということで、ケーキを作りました。これは自分のための小さくて可愛いケーキです。もちろん家族のためにもそれぞれに作りましたよ。喜びはみんなで一緒に。 lovely

 「マリアのみ名」の日は日本では軽視されていますが、ヨーロッパではよく知られた日です。

 1683年9月12日ポーランドの王ヤン3世ソビェスキはヨーロッパに侵略してきたオスマン帝国軍を阻止するためにヨーロッパ連合軍の指揮官として戦い勝利しました。その戦いの時に自分と兵士たちすべてをマリア様に委ねました。

 教皇インノケンティウス11世はこの勝利に感謝して教会で祝い、その後教皇ピオ10世は9月12日を「マリアのみ名」の祝日として定められました。

 このことからもわかる通り、海の星マリア様はいつも私たちを照らし、光で導き、マリア様の名を呼ぶ人を守り助けてくださる、主への一番の取次者です。マリア様に願えば必ず主に取り次いでくださいます。もちろんその願いが叶うかどうかは主ご自身がお決めになることですが。でもマリア様は必ず取り次いでくださいます。カナでの結婚式の話を思い出すでしょう。

 だからいつもロザリオを祈ります。アヴェマリアの祈りをheart

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2018年9月10日 (月)

日本205福者殉教者(記)

 

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 今日は日本205福者殉教者の記念日です。数多くのキリシタン迫害の中でも特に大殉教と呼ばれる1622年9月10日の立山での殉教。

 80歳で火刑になった老女、晴れ着を身にまとい天国へ行く準備をした寡婦、殉教のお恵みを自分の幼い子にも与らせたいと願った母親。日本人だけでなくスペイン・ポルトガル・イタリア・メキシコ・ベルギー・オランダ・韓国など様々な国のカトリックの司祭・修道者・信者たち205名が殉教しました。6人の子どもたちも殉教しました。

 「彼らのように主よわたしの信仰の火も燃え立たせてください」と、祈らずにはいられません。

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2018年8月28日 (火)

キリストは神

 昨日は聖モニカ、今日は聖アウグスチヌス、明日は洗礼者ヨハネの殉教と記念日が続きます。

 今日のマタイ福音書を読んで改めてわかりました。キリストはすべての人を招かれましたが、すべての人が招きに応じたわけではありませんでした。そしてキリストは厳しいことも言っています。

そのとき、イエスは言われた。「・・・律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。ものの見えないファリサイ派の人々、まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる。」(マタイ23:25-26)

 キリストはすべての人に好かれるために、自分の信徒を増やすために、甘く優しい言葉だけをかけてまわりませんでした。相手が怒ろうが時には厳しいことも言っています。キリストは畑にまかれた種のたとえのように、よい土にしっかりと根を下ろし、陽を浴びてすくすくと成長する種とそうでない種があることを教えています。

 永遠のいのち・天の国にすべての人を招いても、その恵みを自ら選ばない人もいることをキリストは知っています(神様だから)。ですからすべての人がキリストに従わないからといって、それはキリスト(神)のせいではなく、キリスト(神)の教え方の失敗でもないでしょう。

 キリストは人の子として生まれたましたが私たち人間とは違います。現代はあまりにもキリストの人間性を強調して神性を軽視する傾向があるのではないでしょうか。誤ったいつくしみと愛の結果が何年も隠ぺいされ続けたチリやアメリカ、ドイツ、アイルランド等の事件です。

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聖アウグスティヌス教会:聖モニカ礼拝堂

2018年8月24日 (金)

日曜日のごミサ

 今日は聖バルトロマイ(ナタナエル)使徒の祝日です。イエズス様は彼を見て、「まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない」と言われました。

 ところで、先日読んだある神父様のブログに次の一文がありました。

 「日曜日のミサは教会全体のためのミサなので、個人やグループのためにミサを捧げることはしないようにしている」

 私が日頃から感じていたことでしたので、これではっきりしました。

 神父様によっては平日のごミサではなく、わざわざ日曜日のごミサを個人依頼の意向で捧げたり(依頼する方がわざわざ日曜日や教会の祝日にごミサを指定される?)、過去には「Aさんの依頼でBさんのために、Cさんの依頼でEさんのために・・・」というように二つ、三つ、の意向を同時に受けてごミサを捧げる神父様もおられました。

 勿論ほとんどの神父様は「日曜日のごミサは教会全体のため」を守り、一つのごミサに二つ以上の意向(ごミサ依頼)は受け付けていません。

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2018年8月22日 (水)

天の元后聖マリア

 聖母の被昇天から8日目の今日は「天の元后聖マリア」の記念日です。聖母マリア様は肉体と霊魂を共に天の栄光に引き上げられ(被昇天)、王であるキリストの栄光にあずかり女王としてたたえられました。そして今も私たちすべての母です。私たちのために天と地の女王として恵みを取り次いてくださいます。

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 嬉しい時も悲しい時も苦しい時も、そして不安な時にも私たちの母である聖母マリア様に取り次ぎを祈りましょう。私も今までどれほど聖母に守られ助けられたことか。苦しい時、悲しい時にもそれを乗り越える恵みをいただきました。

 マリアの御心(みこころ)、わが救いとなり給え。

 あわれみの御母(おんはは)、われらのために祈り給え。

 わたしの聖母(はは)よ、あなたに信頼します。

 わが聖母(はは)よ、わが望み。

 み母マリア、いつもわたしの身近にいてください。

 無原罪の聖母マリア、私のために祈ってください。

 聖母マリア、苦しい時の慰めとなってください。

 恵みの母マリア、悪からわたしを守ってください。

 慈しみのみ母マリア、臨終の時に迎えてください。

 ロザリオの祈りだけでなく、いつも自分の好きな射祷を唱えることはとても良いことだと思います。マリア様にだけでなくイエズス様へ、聖ヨセフ様へ、また守護の天使や守護の聖人、聖霊にいつも短い祈りを捧げることを習慣にしましょう。confident

2018年8月17日 (金)

今日の福音

 

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そのとき、ファリサイ派の人々が近寄り、イエスを試そうとして、「何か理由があれば、夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と言った。イエスはお答えになった。「あなたたちは読んだことがないのか。創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。」そして、こうも言われた。「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」すると、彼らはイエスに言った。「では、なぜモーセは、離縁状を渡して離縁するように命じたのですか。」イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない。言っておくが、不法な結婚でもないのに妻を離縁して、他の女を妻にする者は、姦通の罪を犯すことになる。」弟子たちは、「夫婦の間柄がそんなものなら、妻を迎えない方がましです」と言った。イエスは言われた。「だれもがこの言葉を受け入れるのではなく、恵まれた者だけである。結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた者もいるが、天の国のために結婚しない者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい。」

 今日の福音朗読(マタイ19・3-12)です。よく世間一般では「カトリックの信者さんは離婚できない」と言われてます。その通りです。でも「カトリックなのに離婚している人もいますよ」という人もいるでしょう。しかしそれは民事上の離婚(役所に離婚届を出す)です。教会では離婚ではなくてそれはただ別居しているだけのことになります。

 夫か妻の片方が信者の場合、話は違ってきます(詳しく知りたい方は司祭に訊いてください)。結婚が秘跡であるのは二人共信者である場合、または片方の未信者が後に洗礼を受け二人共信者になった場合です。そしてその時から結婚が秘跡になるのではなくて最初から秘跡になります。

 「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」と、キリストははっきりと言っています。神様が間違って結び合わせることはないでしょう。

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2018年8月15日 (水)

聖母の被昇天(祭)

 聖母の被昇天の日、聖フランシスコ・ザビエルはこの日を選んで鹿児島に上陸しました。日本のキリスト教宣教の始まりの日です。聖母の被昇天を祝うと同時に聖F.ザビエルに感謝しなければ。また戦争が終わり(日本がポツダム宣言を受諾したのは8月14日)、日本に平和が訪れた日でもあります。

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聖母の被昇天:エル・グレコ

2018年8月14日 (火)

聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者(記)

 今日は私の所属するAカトリック教会の守護聖人の祝日です。

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 犠牲のない愛はありません 聖マクシミリアノ・マリア・コルベ

 カトリックの国ポーランドも近年アメリカの影響が強くなり、教会離れが起きつつあります。社会主義から解放され、経済が良くなるのに反比例してミサに与る人は減り、召命も減っています。それでもまだ西ヨーロッパに比べればずっとよいかもしれません。厳しい状況や迫害があれば信仰は強くなるのに、緩く甘い楽な時代ほど信仰は薄れ、人間の傲慢がまん延します。

 私が学生の頃は今のようにパソコンはなく、外国に友達を作る唯一の方法はペンパル(手紙のやり取り)でした。私もポーランドにペンフレンドがいました。ポーランドはまだソ連の下で社会主義国家と言われていた時代でしたが、私がコルべ神父様について手紙に書いたところ、ペンフレンドからコルベ神父様に関する教会の雑誌が何冊も送られてきました。自国の司祭に関心を持ってくれたのがよほど嬉しかったのでしょう。高い送料を払ってまでコルベ神父様について教えたかったペンフレンドの気持ちがとても嬉しくて印象に残っています。

 たとえ社会主義の時代でも信仰を守り伝え続けたポーランド国民を尊敬します。そしてマリア様を愛し殉教された聖コルベ神父様に、どんな苦難の時も信仰によって希望を見出すことができるように主への取り次ぎを願います。

2018年8月 7日 (火)

死刑について

教皇庁教理省長官、ルイス・ラダリア枢機卿は、8月1日付で文書を発表
 
教皇フランシスコは、『カトリック教会のカテキズム』中の、死刑について言及する部分、n.2267の変更を承認。これにより、同箇所は、「教会は福音の光に照らし、『人間の不可侵性と尊厳を侵害することから、死刑は許容しがたいもの』と教えている」と、書き換えられた。
 
 これについては菊地大司教様が自身のブログにわかりやすく説明されておられます。是非一読ください。 http://bishopkikuchi.cocolog-nifty.com/diary/

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2018年8月 6日 (月)

主の変容(祝)

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  今日の第一朗読の「ダニエル書」について、ラウダーテ(女子パウロ会)の教会カレンダーでは次のように書いてあります。

 ダニエル書では、バビロニア ― ペルシア時代のダニエルの信仰の戦いと、預言書の著者の時代とをオーバーラップさせ、後半では自分たちの時代を ダニエルに預言させることにより、(1)神は忠実な信仰者を決して見捨てない。(2)神は必要な知恵と洞察力とを与えてくださる。(3)これらを信頼してどのような困難な時にも最後の勝利を信じ、戦うように、と訴えています。

 主は必要な知恵を与えてくださり、主はどんな困難な時でも主を信じる人を見捨てることはなさらない、・・・なんだかほっとした気持ちというか安らぎを得ました。

2018年8月 4日 (土)

聖マリア・ヨハネ・ビアンネ司祭(記)

 全世界のカトリック司祭の保護の聖人です。自身は清貧に努め、お金も時間も主のためならばおしみなく使った司祭です。アルスの小教区のために一生を捧げました。すべての時間を羊の群れのために捧げた牧者、だから聖人なのですね。

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 聖ビアンネの生涯について読むたびに、当時のフランス革命の影響がいかに悪かったかわかります。私の学校では歴史の先生が「フランス革命(自由・平等・博愛)がどんなに素晴らしいことか」話され、私はそれを鵜呑みにしていました。多くの人がそう教わり信じているでしょう。しかし結局革命は革命です。神を暴力や破壊で否定することが素晴らしいわけがありません。

2018年7月26日 (木)

聖ヨアキムと聖アンナ(記)

 マリア様のご両親聖ヨアキムと聖アンナの記念日です。お二人については福音書には何も書かれていません。外伝には書かれているようですが・・・。

 自分の娘があのような生涯を送ることを受け入れたご両親はマリア様と同じく「み心のままに」と主のみ旨を受け入れた信仰篤き人です。また心の清いマリア様を育てたのはただ聖霊の恵み・主の計らいだけではなくご両親の努力があればこそでしょう。放任主義で何もせずに主に任せっぱなしではなかったはずです。ご両親はマリア様に神様のことをいつも話し、祈りを教え、深い信仰を伝えたと思います。

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聖アンナ・聖マリア・聖ヨアキム もう一つの聖家族です。

2018年7月25日 (水)

聖ヤコブ使徒(祝)

 今日は使徒聖ヤコブの祝日です。きっとスペインの家庭ではヤコブのケーキを焼いて祝っていることでしょう。

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ヤコブのケーキ

 使徒ヨハネの兄弟でスペインの守護聖人の聖ヤコブは使徒の中で最初に殉教したと言われ大ヤコブと呼ばれています。

 サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼は有名ですね。大聖堂にはサンティアゴ=聖ヤコブの遺骸が収められていると言われ、世界中から多くの人が巡礼に訪れます。

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サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路

2018年7月23日 (月)

主が望むこと

主が何をお前に求めておられるかは
お前に告げられている。
正義を行い、慈しみを愛し
へりくだって神と共に歩むこと、これである。(ミカの預言6-8)

 今日の朗読の最後の部分です。「正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共にあゆむ」と。毎日これらのことを意識して生活するように努めなければ・・・でも難しいことです。意識して努力しなければなりません。意識せずに自然とそう生活できる人は本当に幸せです。正に信仰の人です。

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2018年7月22日 (日)

聖マグダラのマリア(記)

 よく「自分探し」をする人の話を聞いたり、「そのままのあなたでいいよ」とかいう言葉聞くたびに、「そうかな?違うと思うな~」と感じていました。私の疑問をスッキリとしてくださったトマさん、さすがトマさんです。

 『トマさん祈りの部屋』からの一部コピーです。⇩

一昔前、「自分探し」が流行りました。・・・本当の「自分らしさ」は、どこにあるのでしょうか?・・・・・世間的な物差しで人生を測ると、勝つか負ける、成功か失敗、幸運と不運などに区別されます。しかし、人間は偶然の産物ではなく、神の愛によって生まれ、育まれ、完成するものです。そこには世間的な価値観では測れない霊的な側面があります。神と自分の関係に気付いた人だけが、本当の意味で「自分らしさ」を理解し、納得できます。・・・・・「あなたは、今のままでいいよ」とか、「無理しなくても、今のあなたがあなたらしい」という自己肯定を勧める言葉が氾濫しています。神が描いた各自のキャラクターを生きるという意味なら正解ですが、自分勝手なキャラクターを生きることは、物語を台無しにします。神のキャラクターを台無しにする自分勝手を罪と言います。「怠惰、高慢、虚栄心、わがまま、下品な好奇心、悪口、言い訳、依存心など」は、けっして「そのまま」でよくありません。これらは心の不純物で、神がお望みの自分を妨げますから、取り除く努力が欠かせません。戦うことで、「自分らしさ」が輝き出て、全体の神の物語が生きるのです。2018/07/11 聖ホセマリア著『道』第1章「性格(キャラクター)」解説より

 その通りですね。「そのままのあなたで」とか「ありのままのあなたで」とか言われると、何て優しい甘いささやきに聞こえます。でも、キリストは罪人を呼んだ時に「そのままのあなたで良い」とは言っていません。呼ばれた人は皆キリストに倣う生活をするよう変わりました。聖マグダラのマリアは生活を改めて、二度と同じ罪を犯しませんでした。キリストは姦通の女(マグダラのマリア?)に会った時に「わたしもあなたを罪に定めない。今のあなたのままでいいよ」とは言われず、「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。そしてこれからは、もう罪を犯してはならない」と言っておられます。

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聖マリアマグダレナ

2018年7月16日 (月)

大阪教区司教叙階式

 ホセ・マリア・アベイヤ司教様、パウロ酒井俊弘司教様おめでとうございます。前田枢機卿様の司式で叙階式ミサがたてられました。

 叙階式です。⇩

https://www.youtube.com/watch?v=NJZj6Ke1Id4

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