カトリック Feed

2018年1月16日 (火)

みことばは聞くもの

 タイに行っておられる司教様のブログに「拝聴すべきみ言葉」と言うお話が書かれていました。タイではみ言葉の時には司祭も子供も大人も皆胸の前で手を合わせて拝聴するとありました。鹿児島教区でもそうしようと呼びかけたら冷笑を買うだろうか・・・と。

 えーっ!冷笑する人がいるのですか?手を合わせてみことばを聞くことは当たり前だと思っていました。手を合わさなくてもせめて祈りの姿勢で、そして冊子は閉じて。

 以前にもそれについて詳しく書かれているカトリック荻窪教会学校新聞『こもれび』の「いっしょに学ぼうミサのこと」を載せました。今日はもう一度載せます。皆さんよ~く隅から隅まで読んでくださいね。

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 ついでに白浜司教様が典礼勉強会で奉納行列の時には座るように、それは行列であってまだ奉納ではない。その後の奉納の時に起立するように。そうすることによってメリハリをつけて奉納がよりはっきりと現されると。でもね、せっかく白浜司教様が指導してくださっても神父様方や典礼委員の皆さんには伝わっていないのですよ。残念 catface

2018年1月 9日 (火)

洗礼式


YouTube: Pope Francis Holy Mass Baptism of the Lord 2018-01-07

 主の公現の日、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂で行われた赤ちゃんの洗礼式です。ウ~ンかわゆす!lovely 赤ちゃんの洗礼はいつ見ても可愛くて、心を和ませてくれます。赤ちゃんを中心にお父さんお母さんそしてお兄ちゃんやお姉ちゃんの愛に包まれた幸せいっぱいな家族を見ると、本当に心が温まります。

2018年1月 8日 (月)

主の洗礼

 今日は主の洗礼。「なぜ神の子、罪のないイエズスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けたのか?」疑問を持つ人もいるでしょう。

 私たちの洗礼は洗礼者ヨハネが「悔い改めよ、天の国は近づいた」と人々に語ったように、自分の罪を悔い改め、回心のしるしとしての洗礼でした。

 イエズスは勿論罪はありませんし、回心する必要もありません。イエズスの洗礼は「・・・イエズスも洗礼を受けられたが、そのとき祈られると、天は開け、聖霊ははとのような形をとってその上に下り、『あなたはわたしの喜びとする私の愛する子である』言う声が天から聞こえた。(ルカ3;21~22)」と聖書に記されているように、イエズスが神の子としてはっきりと現されるためでした。そしてイエズスが神の子として神のメッセージを伝える預言者としての活動をはじめることをはっきりとあらわしています。

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主の洗礼:Giotto 

2018年1月 7日 (日)

主の公現

 主の公現(本当は6日ですね)

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主の公現:Murillo

 3人の博士たちは馬小屋にいる幼子イエズスに神を見ました。それは幼子イエズス・キリストを通して神の栄光が現れていたからです。

 多くの画家たちがこの場面を聖書に基づいて描いています。どの絵の博士たちも幼子イエズスに贈り物をささげ、ひれ伏して拝んでいます。そしてこの3人の博士たちはユダヤ人ではなく、みな違う国の人達です。最初に羊飼いたち(ユダヤ人)に、次に3人の博士たち(諸国の人)に、イエズスの顕現はまずユダヤ人に、そして諸国の民に現されました。つまり人種に関係なくすべての人達にです。そしてもう一つ、学問のない羊飼いから学問のある博士まですべての人に現されたのです。

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2018年1月 5日 (金)

免償について

 ご降誕祭の時に私はUrbi et Orbi で「免償」を受けたいと書きました。ところがこの「免償」を知らない信徒の方がおられることを知りました。また免償について誤解されている人もかなりいるようです。

 免償についてはカルメル会『祈りの友』の付録に書かれています。勿論『カテキズム』にも。私は『祈りの友』の方がわかりやすく、詳しく説明してあるのでお薦めします。では、『祈りの友』から免償について少しだけ要点のみ。

 まず「免償」を「罪を赦してもらうこと」と間違って解釈している人がいます。特に歴史の授業で習ったルターの宗教改革に出てくる免罪符についての歪められ誤った説明のせいでしょう。

 免償とは準秘跡です。昔から教会は信者の罪を赦すときに償いを命じました。償いは特定の祈りをとなえたり、善業を行います。この償いの一部あるいは全部を免除されるのが免償です。

 免償を受ける条件は三つあります。部分免償は

①大罪のない心。大罪があればゆるしの秘跡を受けておくこと。

②免償を受けたいという意志

③免償を得るために、教会が定めた事柄を果たすこと。

全免償を受けるには、上記の条件に加えて

1⃣小罪さえもない心

2⃣ゆるしの秘跡を受けること。

3⃣ご聖体拝領(全免償を受けようとする日が望ましい)

4⃣教皇のために祈ること。主の祈りと天使祝詞を唱えること。

 部分免償がついている祈りと信心業の一部

・射祷を唱える。

・償い(痛悔)の心で、自分から正しい楽しみを控える。

・ご聖体訪問

・要理の勉強

・ロザリオを唱える

・聖書朗読

 等々

 全免償がついている祈りと信心業

・少なくとも三十分ご聖体の前で礼拝し、黙想する。

・三十分聖書を朗読し、黙想する。

・聖金曜日の式に参加して十字架礼拝の時に十字架に接吻する。

・十字架の道行き

・タントゥム・エルゴ[聖体降伏(賛美)式]

・テ・デウム

・初聖体の式にあずかる人。

・初ミサをたてる人と、そのミサに与る人。

・教皇から全世界に与えられる祝福を受ける。(Urbi et Orbi)

等々他にもあるので詳しくは『祈りの友』を見てください。

 免償制度自体は、キリスト者の生活のすみずみまでが、キリストに生かされたものであり、また、そうあるべきものとする秘跡的性格をもつものです。・・・・・祈りや善業がもっている霊的な価値は神だけがご存知です。・・・・・全免償は一日一回しか受けられません。部分免償も全免償も、代願の形式で、いつでも死者に譲ることができます。この熱心な代願は、煉獄で苦しんでいる(罪の償いを果たしている)霊魂、特に自分とかかわりのある人(の償いを免償)を天国により早く送り出す方法です。『祈りの友より』

 

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カルメル会編 『祈りの友』 

2017年12月31日 (日)

Te Deum

 降誕節は祝日が続きます。聖ステファノ、聖ヨハネ、幼子殉教、そして聖家族。1月1日は神の母聖マリアです。

 祝日が続くのはこの降誕節と復活節でしょうか。典礼暦にそって生活できることは幸せなことです。典礼暦に従うと、いつも主と共に生きていると感じます。

 私は今年一年主に何度も罪を赦していただき、また私自身も人をゆるすことができる恵みをいただきました。たくさんの恵みに感謝して今年の最後の日も「Te Deum」を祈ります。


YouTube: Te Deum laudamus

 『カトリックの祈り』の本にはこの「Te Deum」は載っていないので、カルメル会の『祈りの友』から。

Te Deum (感謝の歌)

すべてのものの主、神よ、あなたをたたえてうたう。永遠の父よ、世界はあなたをあがめ尊ぶ。

神の使い、力あるもの、ケルビムもセラフィムも絶えることなく高らかに賛美の声をあげる。

聖なる主、聖なる主、すべてを治める神、あなたの栄光は天地をおおう。

ともに声を合わせ、あなたをほめうたう救いを告げた預言者の群れ、けだかい使徒と殉教者。

世界に広がる教会もあなたをたたえる。偉大な父、まことのひとり子、証の力、聖霊を。

栄光に輝く王、勝利のキリストよ、とこしえにあなたは父のひとり子。

すべての人の救いのために、おとめから生まれ、死にうち勝ち、信じる者に神の国を開かれた。

父の右に座し、すべてを裁くため、栄光のうちにふたたび来られる。

尊い血にあがなわれたわたしたちを支えてください。諸聖人とともにとわのいのちをよろこぶことができるように。

神よ、あなたの民を救い、従う者を祝福し、いつまでも高め、導いてください。

日ごとに感謝をささげ、世々にあなたの名をほめたたえる。わたしたちを今日も、罪からお守りください。

神よ、豊かなあわれみをわたしたちに。あなたにより頼むわたしたちに。あなたにかけたわたしの希望はとこしえにゆるがない。

2017年12月26日 (火)

Urbi et Orbi


YouTube: Pope Francis Christmas Messagge and” Urbi et Orbi” Blessing 2017-12-25

 日本時間の昨晩8時(ローマ昼の12時)から祝福Urbi et Orbiがありました。今年もパソコンの前に座ってこの祝福を受けました。祝福を受けたから目に見える変化があるわけではありませんが、やはり祝福(免償)を受けたいと望む心と受けた後の心には何か得るものがあるのです。言葉にできないものが。私にとってこの祝福Urbi et Orbiは欠かすことのできないご降誕祭と復活祭の典礼のひとつとなりました。(YouTubeの祝福が始まるのは19:20頃から)

 

Urbi et Orbi 

Sancti Apostoli Petrus et Paulus: de quorum potestate et auctoritate confidimus ipsi intercedant pro nobis ad Dominum.

  • Amen.

Precibus et meritis beatæ Mariae semper Virginis, beati Michaelis Archangeli, beati Ioannis Baptistæ, et sanctorum Apostolorum Petri et Pauli et omnium Sanctorum misereatur vestri omnipotens Deus; et dimissis omnibus peccatis vestris, perducat vos Iesus Christus ad vitam æternam.

  • Amen.

Indulgentiam, absolutionem et remissionem omnium peccatorum vestrorum, spatium verae et fructuosae poenitentiæ, cor semper penitens, et emendationem vitae, gratiam et consolationem Sancti Spiritus; et finalem perseverantiam in bonis operibus tribuat vobis omnipotens et misericors Dominus.

  • Amen.

Et benedictio Dei omnipotentis, Patris et Filii et Spiritus Sancti descendat super vos et maneat semper.

  • Amen.

(訳)

使徒聖ペトロとパウロが、私たちに与えたその力と権威のため、皆さまと私のために、主へのとりなしをしてくださいますよう。

  • アーメン

聖母マリアへの功徳と祈り、大天使ミカエル、洗礼者ヨハネと使徒聖ペトロと聖パウロとすべての聖人のとりなしによって、全能なる神が皆さまに慈悲を与えられるよう、皆さまの罪のゆるしをもって、イエズス・キリストが皆さまを永遠のいのちへと導いてくださるように。

  • アーメン

全能にして慈悲深き主が皆さまに罪の全免償とゆるし、真にして実り多き秘跡の時間、不断の懺悔の心、悔悛の生活そして聖霊の恩寵と慰めと善き御業の極みを与えてくださいますように。

  • アーメン

全能の神なる父と子と聖霊の祝福が皆さまに下らんことを、そして常に留まらんことを。

  • アーメン

(初めにこの祝福を受けることは全免償が与えられる条件のひとつを満たすことと、またTVやラジオ、インターネットを通しても免償の効果はあると説明されています。)

聖ステファノ殉教者(祝)

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  聖ステファノと聞くと特に信仰宣言を思い浮かべます。それは聖書にある通り、自分の信じる主キリストについて声高らかに話すステファノの姿が浮かぶからです。

 クリスマスの翌日が最初の殉教者聖ステファノの日であることもうなずけます。毎年聖ステファノの日には自分の信仰の弱さを反省します。私も聖ステファノのようにはっきりと自分の信仰を証できる恵みを主に願います。

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2017年12月24日 (日)

クリスマスおめでとう !

 皆様、主のご降誕おめでとうございます。平和と安らぎそして幸せをすべての人に。せめて今日だけは争わず、まずは家庭でゆるし合い和解しましょう。

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 救い主キリストは何も持たない一番弱いみどりごの姿で私たちのためにこの世にお生まれになりました。キリストの誕生によって聖家族ができました。ですからクリスマスは家族のための日でもあります。家族みんなでキリストのご降誕を祝いましょう。一人でクリスマスを過ごしている人も沢山いるでしょう。でも、あなたのそばにはマリア様ヨセフ様そしてキリストがいます。決して独りぼっちではありません!


YouTube: O Holy Night - AMAZING version!!

 子どもたちの降誕朗読劇をみて、夜半のごミサに与りました。ごミサ中に色々なことが頭に浮かびました。そしてやはり主に感謝!世に一人子を与えてくださるほどの天主の愛に感謝!

2017年12月17日 (日)

Gaudete


YouTube: Gaudete - anonim, Piae Cantiones, 1582

 今日は喜びの日曜日(待降節第三)、ガウデーテです。多くのアーティストがこの喜びを待つ歌を歌っていますが、今年はポーランドから力強い女性の声で始まるガウデーテを!

 バラ色の祭服は喜びをよく表していますね。そして司祭の向き.....これが自然というか正しいと思います。↓

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YouTube: Prima Luce - Gaudete

 こちらは美しいハーモニーのnoteガウデーテ・・・confident

2017年12月12日 (火)

グアダルペの聖母マリア

 メキシコの保護者「グアダルペの聖母マリア」。聖ホセマリアも好きだった聖母です。フランシスコ教皇様もメキシコへ行った時にこの聖母の前で祈りました。

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 聖母のご出現を受けた聖ファン・ディエゴはメキシコのインディオでカトリックに改宗した人です。最初は信じていなかったスマッラガ司教もファン・ディエゴのティルマ(マント)に映し出された聖母の姿を見て信じ、お告げの通りテペヤックの丘に聖堂を建てました。

 その後アステカの人々がこの聖母像崇敬のためにやって来て、多くの人達がカトリックに改宗しました。聖母はヨーロッパのルターによる宗教革命で失われたカトリックをメキシコのアステカの人々のカトリック改宗で取り戻されたとまで言われています。

 私もこのグアダルペの聖母が大好きです。勿論部屋にこの絵の写真を飾り祈っています。

2017年12月 8日 (金)

無原罪の聖マリア(祭)

 

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 無原罪の聖母、最近のご絵やご像では蛇は消えて、バラの花や月?(象牙?)などが絵描かれています。この絵はまだマリア様が蛇を踏みつけていますね。この方が私たちを守ってくださるマリア様の強さや無原罪を感じられて好きです。

 無原罪の聖マリア=無原罪の御宿り(Immaculata Conceptio Beatae Virginis Mariae)とは聖母マリア様は神様の恵みの特別なはからいによって、その存在のはじめから原罪(人祖(アダム)からの罪・神に対する不従順)とそのとがを一切受けていないということです。

 天使から「おめでとう、恵まれた方」と言われたマリア様には神様が共におられるという特別な恵みが与えられています。神(イエズス・キリスト)の母となられたマリア様は初めから神様と一致しています。

 ですから無原罪の御宿りの神秘を思い、信仰宣言(使徒信条)を唱える時に「・・・主は聖霊によって宿り、おとめマリアから生まれ・・・」あるいは「聖霊によって、おとめマリアよりからだを受け、人となられました」のところでは頭を下げましょう。

 マリア様に倣い私たちも御子キリストのご降誕を迎える準備をしましょう。悲しいことにプロテスタントはこの無原罪を祝わないし、神の母聖マリア様を特別に尊敬するという概念はありません。彼らが無原罪の聖マリア様を受け入れることができる日がいつか来ますように、アーメン。

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2017年12月 2日 (土)

叙階式(バングラデシュ)

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 バングラデシュを訪問された教皇様はスワラディ公園でのミサで16名の司祭叙階式を執り行われました。

 バングラデシュのカトリック信者は人口のわずか0.24%です。ほとんどがイスラム教徒(89%)ヒンドゥー教徒が9%の国で16名もの新司祭が誕生しました。

 教皇様は「どうしたら司祭たちを支えることができるか寛大な心がおしえてくれるでしょう。しかし何よりも一番の支えは祈りです。司祭たちのために祈るのに倦むことがありませんように」。と話されています。

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司祭叙階式

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2017年11月30日 (木)

ミャンマー

 今月の26日夜ローマを発った教皇様はミャンマーで今日まで過ごしバングラデッシュへと移られます。

 ミャンマーは仏教国と言われますが、それでも国民の1.27%約66万人のカトリック信者がいます。日本の0.34%44万人よりずっと多いです。またキリスト教が伝えられたのは1511年で日本よりも38年も前でした。2011年には宣教500周年を迎えています。

 29日にヤンゴン市のチャイカッサン・グラウンドでの教皇様のごミサには約15万人の信者がミャンマー各地から集まり、ある女性は1600kmもの距離を列車や路上に寝たりしながら一週間かけて来たそうです。

 ミャンマーやバングラデッシュなどカトリック信徒の少ないところでは教皇様の訪問は大きな信仰の支えとなり希望の恵みとなります。

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2017年11月26日 (日)

王であるキリスト(祭)~権威主義について

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  今日は教会カレンダー最後の日曜日、「王であるキリスト」の祭日です。いよいよ次の日曜日から待降節が始まります。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 権威主義は一般には独裁主義や専制主義を連想させ、「権威」は人を服従させ強制させる力=悪ととらえられているようです。しかしフランシスコ教皇様はこの「権威」についてこう話しておられます。

 「他人が正しく、かくあるべきことを実践できるよう助けるために、よい模範を示すことから権威ある者は生まれる。権威は一つの助けであるのに対し、その使い方を誤ると、圧迫的になり、人の成長を妨げ、不信と敵意の空気や、腐敗を生んでしまう」と。(2017.11.5 教皇による祈りの集い)

 つまり権威を誤って使った結果が独裁や専制です。権威自体は決して悪いことではないはずです。権威を悪く使おうと思っている人は権威を悪ととらえるし、権威を良いことに使おうと思っている人は権威は良いことととらえます。キリストの権威は良いものでしょう。教皇ヨハネ23世を見てください。私たちに良い模範を示された権威ある方です。

 権威を持っている人はそれを正しく使い、まわりの人達はそれを正しく理解して協力することが必要だと思います。権威を表すミトラや杖、祭服などを権威の象徴として毛嫌いするのも的外れなことです。

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教皇ヨハネ23世

2017年11月21日 (火)

聖マリアの奉献(記)

 今日はマリア様の奉献記念日。朝からマリア様について色々と想っています。

 お告げの祈りにある通り、「私は主のはしため、おことば通りになりますように」とこたえるマリア様。小さい頃から育まれた豊かな信仰心が自然とそう答えさせたのでしょう。何よりも主を信頼する心、いつもそういう心でいられる・・・私もそうありたい。

 不安になったり余計な心配をしたり、疑ったり怒ったり不満に思ったり・・・主を信頼していれば何もそのようなことで心を煩わすことはないのに。主への信頼が弱くなるのは祈りが足りないことと正比例。

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聖アンナと聖マリア

2017年11月14日 (火)

ミサは退屈?

CNNの記事からフランシスコ教皇様の話しとして、

・・・聖職者に対し「ミサでは心を高めるべきで撮影のために携帯電話を掲げないことを信者に教示すべきだ」と強調した。

また、信者だけでなく司教らも同じことをしているとして、「ミサはショーではない」といさめた。

「ミサは退屈」との不平については「神がそこにいる。神は退屈なのか?」と反論。さらに、一部の子どもの十字架を切って祈る方法がだらしないとし、適切な礼拝の方法を教えるべきだと主張した。

 ついに教皇様も我慢できなかったのでしょう。教皇様の気持ちよ~くわかります。私も以前「ミサは退屈だからミサを楽しくするにはどうしたらよいか?」などと本気で尋ねた人(聖職者)がいたのを知っています。「ミサが退屈だから教会を離れる人が増えた」とまで言っていたようです。でも以前のラテン語での長~いミサの時には教会を離れる人は今よりずっと少なかったと思います。つまり昔はミサの意味を皆はよく教えてもらい理解していたけれど、今は教えてもらっていないということかもしれません。

 教皇様が話されたのは11月8日水曜日の一般謁見の時です。その時のyou tubeを載せます。↓


YouTube: 2017.11.08 - General Audience

2017年11月13日 (月)

気になる祝福

 いつの頃からでしょうか、ごミサの聖体拝領の時に祝福が始まったのは・・・。ヴァチカンのごミサでは今も昔も無いので日本やアメリカなど数か国の特有なことかもしれません。

 私は聖体拝領の時の祝福は必要ないと思います。その理由はごミサの最後にみんな(信者もそうでない人もすべて)祝福をいただいているから。司祭はごミサの最後に「全能の神、父と子と聖霊の祝福が皆さんの上にありますように」と言い、私たちは「アーメン」とこたえてます。

 理由があってご聖体をいただかない人に、しつこく祝福を受けに行くように勧めている方がおられます。よい心で勧めているのでしょうが本人が拒否しているのに何度も勧められればかえって目立ってしまい本人にとっては良い気持ちはしないでしょう。未信者の方が遠慮されている場合と違い、聖体拝領の意味をよくわかっている信者さんが聖体拝領をしないのには理由があるからで、そのことを考慮してそっとしておいてあげるのが良いのではないでしょうか。とにかくごミサの最後には祝福があるのですから。

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ごミサの最後に皆を祝福される教皇様

2017年11月 9日 (木)

ラテラン教会の献堂(祝)

 

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 今日はラテラン教会の献堂の祝日です。ラテラン教会と言ってもピンとこない方もおられるでしょう。

 ラテラン教会とはローマ司教座教会です。教皇様はローマ司教座の司教でもあります。ですからラテラン教会は「すべての教会の母」と呼ばれているのです。

 また今までに21回開かれた公会議の中で第9回から第12回までの4回の公会議はラテラン公会議としてここで開催されました。一番新しい第二ヴァチカン公会議しか知らずに、それだけが正しくてそれ以前の公会議は古くてもう無効だと思っている方がいるようですがとんでもない誤りです。すべての公会議は正しく有効です(東方教会は多くても第7回公会議までしか認めていませんが)。

 キリストは使徒たちの中からペトロを特別に選びました。そしてペトロはローマでキリストの代理者・首位権者として教座を定めました。ですからローマは使徒座と呼ばれます。ローマ教皇様は使徒たちの頭である聖ペトロの後継者です。つまり教皇様には教会全体を司牧・統治する全権があたえられているのです。

 ラテラン教会献堂を祝日とする重要性がわかっていただけたと思います。

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2017年11月 2日 (木)

死者の日

「わたしの父のみ旨とは、子を見て信じる人々にみな永遠の命を受けさせ、終わりの日に彼らを復活させることである 」。 (ヨハネ6:40)

 昨日の「諸聖人の祭日」に続いて今日は「死者の日」です。「諸聖人の日」が「死者の日」と違い祭日なのは、聖人たちはすでに皆天国にいるからですね。ですから「死者の日」の今日は霊魂の救いを必要としている亡くなった人達のために祈らなければなりません。

 亡くなった私や夫の家族また先祖の人達はもちろんのこと、今煉獄にいるすべての人のために祈ります。

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