カトリック Feed

2018年6月28日 (木)

聖イレネオ司教殉教

 

Photo_2 聖イレネオ司教は、司教ポリカルポ(使徒聖ヨハネから直接学んだ)に学び、聖ヨハネの信仰を受けつぎました。

 今日のごミサではマタイ福音書7章21-27節が朗読されました。とても興味深い個所です。説教でよいお話を聞きました。

 「私たちはいつも『やろう!やろう!』と言って行いますが、どんなに善い行いであっても、信仰によってでも、それが主のみ旨ではなく自分が良いと思ってしている、あるいは自分の満足のためにしているのであれば、それは天の国に通じる道ではない」と。

「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな、天の国に入るのではない。天におられるわたしの父のみ旨を行う者だけが入るのである。その日には、多くの者がわたしに言うだろう、『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言し、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの奇跡を行ったではありませんか』。『その時、わたしは彼らにはっきり言おう、『わたしはお前たちをまったく知らない。悪を行う者ども、わたしから離れされ』」。(マタイ7:21~23)

 主はずいぶん厳しい言葉を言っておられます。私たちも気付かないうちに彼らのようになってしまっているのかもしれません。私たちが何かをする時に、良いことをしていると思い(本当は自分の満足のためにしている)、あるいは便利さや手軽さに惑わされたりしていないでしょうか?本当にこれは主のみ旨なのかよく祈ってからしているでしょうか。今日の説教で私自身も反省しました。

 主が望むことを、望む時に、望む故に、私も望みます。アーメン

2018年6月27日 (水)

家庭とは優しさの場所

 先月フランシスコ教皇様は家庭について次のように話されました。

heart 家庭とは、愛することを最初に教え、最初に学ぶ場所

heart 同時に家庭は信仰と、善を行うことを学ぶ場所

heart イエスの現存は、お母さんや、お父さん、子どもたちの優しさや、いたわり、抱擁を通して表されます。家庭とは、優しさの場所

 残念ながら信者でもそうでない家庭は沢山あります。家庭が優しさの場、心休まる場であれば、社会での多くの問題は起きないかもしれません。子どもを預けることばかり考えるのではなく、家庭で子どもを育てることの大切さを再考する時期ではないでしょうか。

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聖ヨハネパウロ二世教皇と可愛い赤ちゃん

2018年6月26日 (火)

聖ホセマリア・エスクリバー記念日

Opusdei
 今日は聖ホセマリア様が亡くなられた日、記念日です。ブログ『トマさん祈りの部屋』にこの事について書かれていました。

 大分教会では濱口司教様の司式で記念ミサが捧げられました。そのごミサでオプスデイ日本地域代理ロペス神父様が説教され、トマさんがそれを抜粋して載せておられます。その一部を紹介します。

神は日常生活の中で私たちを待っているのです。イエスはペトロの船に乗り込み、漁に出ようと頼みました。それがペトロのいつもの仕事だったのです。聖ホセマリアは、この箇所を何度も黙想して、世界中で同じことが今も繰り返されていると強調しました。信者の多くはいつもの仕事と家庭生活に殆どの時間を費やしています。そこでイエスは待っています。そこでイエスと出会うのです。

でも多くの人が誤解しています。神様のために何か捧げようと思っても、仕事や家族の世話に忙しくて、それに力と時間を使い果たし、あきらめてしまうのです。聖ホセマリアは「諦めるな!」と繰り返します。私たちは仕事と日常生活を通して、神に仕え、神に出会い、神を愛することが出来るのです!当たり前の中に神は隠れておられます。それを各自がいつもの場所で発見することです。

聖となるために聖職者になる必要はありません。「聖性は、日常の雑事から離れ、たくさん祈る時間がある人だけのもの」だと考えがちですが、そうではありません。・・・あなたの夫、妻を愛し、大切にすることで、聖となりなさい。あなたの兄弟姉妹に奉仕するために、誠実に腕を振るって働くことで聖となりなさい。子供たち、孫たちに、イエスに倣うにはどうしたらいいかを、辛抱強く教えることで、聖となりなさい。社会の利益を図るために働き、自己の利益を捨てることで、聖となりなさい。(ラモン・ロペス・モンデハル神父様の説教より)

 この説教を読んで私もまた力が湧いてきました。聖ホセマリアに「諦めるな!聖となれるように頑張りなさい!」と言われているようです。夫や子どもたちのために頑張ります!

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2018年6月18日 (月)

気にかかること

「神様は、天国の入り口に立っておられて、頭を下げながら、やってくる人々を迎えておられる。『すみません。大変な旦那をあげてしまってホントにごめんなさい』」離婚した女性に対する神様の言葉だという。

 私はこれを読んでジョークだと思いました。ところがどうやらM司教様が思い描く神様のいつくしみの姿で真面目な話らしいのです。

 ということは私が死んで神様の前に立っても、神様は私に「あなたの犯した罪は私の配慮が足りなかったせいです。ごめんなさい」と言われるのでしょうか?そう言われても私は嬉しくありません。そうではなく「あなたが心から悔い改めて償いをはたしたのであなたの罪を赦します」と言われる方がどれだけ嬉しいことか。「主のいつくしみに感謝します」と素直に答えるでしょう。

 M司教様は神様のいつくしみについて『放蕩息子のたとえ話』を使って話したようです。しかしその解釈は少し違うのではないでしょうか。私が理解する限り、謝ったのは父親ではなく息子の方でした。あれほどまでに悔い改めて自分の所に帰ってきた息子の姿を見て父は喜び許したのです。父が悔い改めた息子を喜んで許すことが愛、いつくしみではないでしょうか。

 聖パウロの「ローマの人々への手紙」(2章4節)にも書かれています。「神の慈しみはあなたを悔い改めに導くためのものである」と。

 以前にも書きましたが今は亡き小平神父様は『沈黙』の感想で「なんと人間に都合のよい神をつくり出していることか」と書かれていました。正にそのような考え方が広がろうとしているように感じます。神が人に謝ったり、キリストが話した教えと違うことを言ったことにしたり(たとえ話の解釈)・・・。キリストは人間の姿でこの世に来られましたが神です。

 神は私たち人間を神に似せて創られました。逆にギリシャ神話の神々や日本神話の神々と同じように人間に似せた神をつくってはいけません。神は私たちを創造され、私たちは神の栄光をあらわし賛美するために創られたのではありませんか。

ヨハネによる福音書 12章47-48節

わたしの言葉を聞いて、それを守らない人がいても、わたしはその人を裁かない。わたしが来たのは、この世をさばくためではなく、この世を救うためである。

わたしを拒み、私の言葉を受け入れない人には、裁くものがある。私の語った言葉、それが、終わりの日にその人を裁く。The_last_judgement

2018年6月16日 (土)

叙階式の日程

 山野内倫昭被選司教と、大阪教区、ホセ・アベイヤ、酒井俊弘両被選司教の叙階式の日程が決まりました。おめでとうございます。


山野内倫昭被選司教

日時: 2018年9月24日(月・祝)午前11時00分より
場所: 浦和明の星学園 ジュビリホール
336-0926 さいたま市緑区東浦和6−4−19(地図はこちら。)



 
ホセ・アベイヤ、酒井俊弘両被選司教

日時: 2018年7月16日(月・祝)午前11時00分より
場所: 大阪教区カテドラル聖マリア大聖堂
540-0004 大阪市中央区玉造2−24−22 (地図はこちら。中心のマークが聖マリア大聖堂)

 酒井神父様の叙階式に行きたいのですが、無理ですね。you tubeで叙階式の動画が見られますように。

2018年6月13日 (水)

梅雨なのに

 梅雨なのに今日は晴天。洗濯物はよく乾くし、散歩もできるし、気持ちも晴ればれ。sun

 今日はパドヴァの聖アントニオの記念日ですね。ポルトガルのリスボンで生まれたのでリスボンの聖アントニオとも呼ばれています。御絵の聖アントニオの幼子を抱いた姿は優しくて、見る者を和ませてくれます。聖アントニオが亡くなった時に天使たちが町中の教会の鐘を鳴らしたという言い伝えも、彼の人柄をよくあらわしています。

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2018年6月 8日 (金)

イエズスの聖心(祭)

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 イエズスの聖心(みこころ)の祭日には主イエズス様の無限の愛を思い起こして、その聖心をたたえます。その一つとして「イエズスの聖心の連祷」を唱える人は多いでしょう。

 『カトリックの祈り』の本にも「イエズスの聖心の連願」が文語体で載っています。私は文語体の祈りが好きです。イエスではなくてイエズス、神ではなくて天主、・・・給え、等々。

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唯一の天主なる聖三位  ▴われらをあわれみ給え

慈しみと愛とに充ち満ちているイエズスの聖心・・・・・

えいちと知識とのすべての宝を含めるイエズスの聖心・・・・・

われらの罪のあがないなるイエズスの聖心・・・・・

御身に希望し奉る者の救いなるイエズスの聖心・・・・・

諸聖人の楽しみなるイエズスの聖心・・・・・

・・・・・

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2018年6月 6日 (水)

正式に発表

 カトリック中央協議会に新しいさいたま教区司教と大阪教区補佐司教の発表が載っていました。正式に決まりホッとしています。叙階式が楽しみです。

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              (カトリック中央協議会ホームページより)

2018年6月 4日 (月)

キリストの聖体によって生きる

 昨日の日曜日に「キリストの聖体」を祝った教会は多かったでしょう。先日紹介した前田大司教様の本に書かれていた話です。

…人間は霊魂と肉体とからなっているのですから、肉体の健康のために朝・夕の体操が必要であるのと同じ様に、霊魂の健康のためには朝・夕の祈りが必要なのです。・・・

 肉のごと霊にも必死良夜かな

現代は、身体の美容、健康、そして「この世の命」に多くの人が必死になっています。しかし、心や魂の美容、健康、そして「永遠のいのち」のためにどれだけの人がひっしになっているでしょうか。

 確かに前田大司教様のおっしゃる通りです。信者さんたちの間でも体の健康や長生きの秘訣、美容の話題には事欠きません。しかし、魂についてはなかなか話題になりませんね。反省します。

 やはり魂の美容や健康、永遠のいのちのためには祈りとご聖体が一番必要でしょう。キリストの聖体の祝日を機に魂の健康と成長のことを毎日意識して過ごそうと思います。

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2018年6月 3日 (日)

聖ホセマリア・エスクリバー記念ミサ

 6月といえば聖ホセマリアの記念ミサです。私は今年も行けませんが、ミサに与れる方は是非いらしてください。

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 酒井俊弘神父様は大阪のカトリック夙川教会で主司式されます。東京・京都はオプス・デイ日本の地域代理者ラモン・ロペス神父様、大分は浜口司教様、長崎は高見大司教様が主司式をされます。

 私は毎日オプス・デイとセデス・サピエンチェ神学校のためにお祈りしています。そして楽しい時も、悲しい時も、苦しい時にも、怒っている時にも、いつも聖ホセマリアの取り次ぎを願い祈っています。オプス・デイの会員ではありませんが、オプス・デイを心から愛しています。

 ごミサの前にゆるしの秘跡の時間を設けているのもオプス・デイらしいでしょう。ゆるしの秘跡を大切にしているからですね。

2018年6月 2日 (土)

主に感謝!

 今大きな喜びでいっぱいです。この知らせがどうか間違いでありませんように。

 大阪の補佐司教に酒井俊弘神父様(オプス・デイ属人区司祭)が任命されたそうです。こんなに嬉しいことはありません。私が数日前に落ち込んでいたのを主は心にとめてくださいました。

 酒井神父様の本はほとんど読んでいます。またこのブログでもたびたび酒井神父様のことを取り上げてきました。早速酒井神父様の本を読み返します。

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 酒井神父様といえば俳句、前田大司教様も俳句、今年からは教会も俳句ブームになるかもしれませんね。happy01

 とにかく嬉しいです。heart 感謝の祈りをささげます。

2018年5月31日 (木)

キリストの聖体(祭)

 この前の日曜日は三位一体の祝日でした。この日にはよくごミサで三位一体の説明のために何かに例えた話を聞きます。しかし今まで納得できるような良い例えを聞いたことはありません。というよりも「それは違うでしょう!」と言いたくなることがしばしば。

 そもそも神様をこの世のものに例えるのには無理があります。この世のものはすべて神の被造物なのですから、無限の造り主を有限のつくられた物に例えるのは無理。

 水やワインに例えたり、人の顔や手に例えたり・・・どれに例えても形態や見え方が変わるだけで同じものです。三位一体の時に説明したように父と子と聖霊にはそれぞれにペルソナがあるのです。一つのペルソナではありません。これを無視すると間違った三位一体の説明になります。

 今日Fr.Zのブログを読んで、日曜日からずっとモヤモヤしていたことが晴れました。(ロザリオのおかげかな?)Fr.Zのブログにも同じようなことが書かれてあったからです。三位一体の間違った例えについて。

The Trinity is like…

Arianism – the sun, which produces light and warmth
Tritheism – the same wine in three bottles
Partialism – the egg which has shell, white and yolk or a shamrock with three leaves
Modalism – water, which is ice, fluid or steam

 ですから三位一体を何かに例える必要はないのです。私たちが信じるのは父と子と聖霊の唯一の神です。それでいいのです(と私は思います)。

 ところで今日は典礼暦では三位一体の主日後の木曜日「キリストの聖体」の祝日ですが、国によっては次の日曜日(今年は6月3日)に祝われるようです。教皇様も3日の日曜日の夕方6時からミサをたてて、その後ご聖体行列があります。

 ご聖体は私たちの霊的食物です。私たちの内的成長に欠かせないものです。このキリストからの最高の贈り物に感謝します。

Corpus_christi_17_2 2017年 ケルン大聖堂での「キリストの聖体」

2018年5月27日 (日)

三位一体の主日(祭)

 

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エル・グレコ作:三位一体  (キリストを抱く父、キリスト=子、鳩の形で表現される聖霊)多くの画家が三位一体を描いていますが、わたしはこのエル・グレコの作品が特に好きです。

 
 私たち信者は「父と子と聖霊のみ名によりて、アーメン」と言いながら十字をきります。カトリックの神とは父と子と聖霊というそれぞれペルソナ(位格)を持つ神です。しかし三つの神がいるのではなくひとつの唯一の神です。

 難しいでしょう。頭で理解しようとしてもなかなか・・・だから先ず信じることが大切なのです。

 日本で「神」というと八百万の神、火や水や山や木や様々な神々を思い浮かべる人、あるいは自然は神の現れの一つである(汎神論)というような考えの人がいるので、誤解されないように私はよく「天主」という言葉を使います。

 ご復活祭の後は「主の昇天の祭日」「聖霊降臨の祭日」「三位一体の祭日」「キリストの聖体の祭日」と続きます。昔と違い今は教会の祭日や祝日をあまり意識していない人達が多いように思います。祭日や祝日の大切な日なのに、亡くなられている個人のためのごミサ(葬儀ではなく)を頼まれる方がいたりします。昔はそういう人はいなかったように思うのですが・・・。余計なことですがごミサ依頼は教会の祭日祝日は避けて他の日に頼まれるのがよいと思います。司祭は毎日ごミサをたてていますから。

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歩いて巡礼(本物ですね)

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Santuario della Santissima Trinita de Vallepietra

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YouTube: Vallepietra - Santuario della S.S. Trinità

2018年5月22日 (火)

聖リタ

 私が若い頃はあまり関心のなかった聖リタ。でも自分が家庭を持ち年齢を重ね、まわりのさまざまな家庭を見るようになってから、聖リタの素晴らしさが理解でき、彼女に憧れるようになりました。守護の聖人にしたいくらいです。

 今回ローマへ行った時に聖アウグスティヌス教会へ行きました。聖リタはアウグスティヌス会の会員であったので、この教会にも聖リタの小聖堂がありました。家庭に問題を抱えている人達のために聖リタの取り次ぎを祈りました。

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  ところでこの教会には聖モニカの遺体が埋葬されています。またカラヴァッジョの有名な絵もあります。⇩

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2018年5月21日 (月)

新しい記念日と新しい枢機卿様誕生

 今朝のニュースで、トマス・アクイナス前田万葉大阪大司教様が枢機卿に任命されたとのこと。嬉しいです!主に感謝!

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 フランシスコ教皇様は今年から聖霊降臨の次の月曜日を「教会の母聖マリア」の記念日と制定されました。

 聖霊降臨の日はマリア様と共に弟子たちが一つに集まり聖霊を受けた日です。まさに教会の始まりです。その時からマリア様は教会の母となりました。マリア様はキリストの母であるだけでなく私たち信徒の母であり教会の母です。

 フランシスコ教皇様は「母は子どもに人生を善く歩むことを教えるように、母である教会も私たちの人生を方向づけます。母はどんな時にも、いつも忍耐強く子どもに同伴する様に、教会もいつも私たちを助けて励まし愛します。また母は自分の子どものために多くの祈りを捧げるように、教会も祈りによって私たちを主のみ手にゆだねます」と言っておられます。

 私たちはいつも教会の母であるマリア様に倣い、善く生きることを学び、どんな時にも忍耐強く、決して主から離れることなく、主のみ手にゆだねてすべてを受けいれることができる恵みを今日は特に祈りたいと思います。

2018年4月25日 (水)

聖マルコ福音記者(祝)

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 聖マルコといえばすぐにヴェネツィアの聖マルコ大聖堂(Basilica di San Marco)を思い浮かべます。聖マルコ広場から見るバジリカも美しいですが、その内部の豪華さにも感動します。

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 聖マルコは聖パウロに従い宣教の旅をしました。また聖ペトロの話した説教集をまとめて福音書『マルコの福音』を書いたとされています。

 聖マルコが「ライオンのような生き物に」に例えられるのは、『マルコの福音書』が洗礼者ヨハネがライオンが吠えるように叫び宣教する場面から始まるからです。また「エゼキエル書」に書かれている四つの生き物に由来しています。(四福音書と四福音記者)

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聖マルコ大聖堂内部 ⇧ ⇩

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2018年4月 9日 (月)

神のお告げ(祭)

  

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   今日は神のお告げの祭日でした。昔は「聖母の祝日」(神の母となったおとめマリアを祝う日)でしたが後に、人となったみことば(キリストがおとめマリアの胎内に宿ったこと)を記念する主キリストの祭日「神のお告げ」としても祝われるようになりました。

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 われは主のつかいめなり。仰せの如くわれになれかし。 

2018年3月31日 (土)

復活の主日・復活の聖なる徹夜祭

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 復活の聖なる徹夜祭、洗礼、堅信を受ける方はいませんでしたが、私たちは洗礼の約束の更新をしました。

 帰る時に復活の卵を頂きましたが、よく考えると卵の祝福はなかったような・・・。もしかして明日祝福して配る予定だったのか、単に今晩祝福を忘れたのか?謎です。でももう食べてしまいました。 happy01

2018年3月30日 (金)

聖金曜日~主の受難

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 主の受難の日をなぜ "GOOD FRIDAY"と呼ぶのでしょうか? 調べてみると元々は古い言葉で"Godes Friday "(God's Fridayの意味)だったのが、だんだんと変化して"Good Friday" となったそうです。ここで私の新説を・・・キリストは十字架の死によって私たちが犯した罪の罰を贖ってくださいました。つまり私たちから見ればそれはよいこと=goodです。でもこの説は私の考えなので真に受けないでください。

 他に「偉大な金曜日」と呼ぶ国もあるようですが日本語の「聖金曜日」が一番良い呼び名だと思います。"Good Friday"と呼ぶ国では"God's Friday"に変えた方が良いと思うのですが。

      *************************

 今日は大斎・小斎そして十字架の道行き。午後3時に十字架の道行きをします。教会ではごミサはなく、言葉の典礼(聖書朗読・受難の朗読・盛式共同祈願)と十字架の礼拝があり、そして最後にまじわりの儀(聖体拝領)があります。(*鹿児島ザビエル教会H.Pの案内に[3月30日(金)主の受難のミサ19:00]とありますがミサではありません)

 キリストの十字架の死、私たちのために苦しまれ十字架にかけられたキリスト。キリストはこれほどまでわたしたちを愛してくださっている・・・それなのに私は・・・。

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2018年3月29日 (木)

聖木曜日~主の晩餐

 聖なる過ぎ越しの三日間、最も大切な三日間が始まります。

 午前中は一年間使う聖香油のごミサがあり、司祭様方は叙階の時の司祭の約束を更新されます。聖香油のごミサを水曜日に行う(小教区が遠い司祭のため)教区もあります。離島の多い私の教区も水曜日です。

 主の晩餐のごミサでは洗足式もあります。イエズス様は弟子たちの足を洗いました。教皇様が枢機卿様や司教様方の足を洗い、司教様は司祭様方の足を洗うのが無理なく自然だと思います。それだけでイエズス様の意向は十分に伝わります。(現実は違いますが)

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 「主の小羊の食卓に招かれた者は幸い」という司祭の呼びかけに私たちは「主よ、あなたは神の子キリスト、永遠のいのちのかて、あなたをおいて、だれのところに行きましょう」とこたえ信仰告白をします。皆が主の食卓にひとつに集う、私も招かれている、この大きな恵み、なんと素晴らしいことでしょう。

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