カトリック Feed

2018年8月17日 (金)

今日の福音

 

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そのとき、ファリサイ派の人々が近寄り、イエスを試そうとして、「何か理由があれば、夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と言った。イエスはお答えになった。「あなたたちは読んだことがないのか。創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。」そして、こうも言われた。「それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」すると、彼らはイエスに言った。「では、なぜモーセは、離縁状を渡して離縁するように命じたのですか。」イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない。言っておくが、不法な結婚でもないのに妻を離縁して、他の女を妻にする者は、姦通の罪を犯すことになる。」弟子たちは、「夫婦の間柄がそんなものなら、妻を迎えない方がましです」と言った。イエスは言われた。「だれもがこの言葉を受け入れるのではなく、恵まれた者だけである。結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた者もいるが、天の国のために結婚しない者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい。」

 今日の福音朗読(マタイ19・3-12)です。よく世間一般では「カトリックの信者さんは離婚できない」と言われてます。その通りです。でも「カトリックなのに離婚している人もいますよ」という人もいるでしょう。しかしそれは民事上の離婚(役所に離婚届を出す)です。教会では離婚ではなくてそれはただ別居しているだけのことになります。

 夫か妻の片方が信者の場合、話は違ってきます(詳しく知りたい方は司祭に訊いてください)。結婚が秘跡であるのは二人共信者である場合、または片方の未信者が後に洗礼を受け二人共信者になった場合です。そしてその時から結婚が秘跡になるのではなくて最初から秘跡になります。

 「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」と、キリストははっきりと言っています。神様が間違って結び合わせることはないでしょう。

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2018年8月15日 (水)

聖母の被昇天(祭)

 聖母の被昇天の日、聖フランシスコ・ザビエルはこの日を選んで鹿児島に上陸しました。日本のキリスト教宣教の始まりの日です。聖母の被昇天を祝うと同時に聖F.ザビエルに感謝しなければ。また戦争が終わり(日本がポツダム宣言を受諾したのは8月14日)、日本に平和が訪れた日でもあります。

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聖母の被昇天:エル・グレコ

2018年8月14日 (火)

聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者(記)

 今日は私の所属するAカトリック教会の守護聖人の祝日です。

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 犠牲のない愛はありません 聖マクシミリアノ・マリア・コルベ

 カトリックの国ポーランドも近年アメリカの影響が強くなり、教会離れが起きつつあります。社会主義から解放され、経済が良くなるのに反比例してミサに与る人は減り、召命も減っています。それでもまだ西ヨーロッパに比べればずっとよいかもしれません。厳しい状況や迫害があれば信仰は強くなるのに、緩く甘い楽な時代ほど信仰は薄れ、人間の傲慢がまん延します。

 私が学生の頃は今のようにパソコンはなく、外国に友達を作る唯一の方法はペンパル(手紙のやり取り)でした。私もポーランドにペンフレンドがいました。ポーランドはまだソ連の下で社会主義国家と言われていた時代でしたが、私がコルべ神父様について手紙に書いたところ、ペンフレンドからコルベ神父様に関する教会の雑誌が何冊も送られてきました。自国の司祭に関心を持ってくれたのがよほど嬉しかったのでしょう。高い送料を払ってまでコルベ神父様について教えたかったペンフレンドの気持ちがとても嬉しくて印象に残っています。

 たとえ社会主義の時代でも信仰を守り伝え続けたポーランド国民を尊敬します。そしてマリア様を愛し殉教された聖コルベ神父様に、どんな苦難の時も信仰によって希望を見出すことができるように主への取り次ぎを願います。

2018年8月 7日 (火)

死刑について

教皇庁教理省長官、ルイス・ラダリア枢機卿は、8月1日付で文書を発表
 
教皇フランシスコは、『カトリック教会のカテキズム』中の、死刑について言及する部分、n.2267の変更を承認。これにより、同箇所は、「教会は福音の光に照らし、『人間の不可侵性と尊厳を侵害することから、死刑は許容しがたいもの』と教えている」と、書き換えられた。
 
 これについては菊地大司教様が自身のブログにわかりやすく説明されておられます。是非一読ください。 http://bishopkikuchi.cocolog-nifty.com/diary/

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2018年8月 6日 (月)

主の変容(祝)

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  今日の第一朗読の「ダニエル書」について、ラウダーテ(女子パウロ会)の教会カレンダーでは次のように書いてあります。

 ダニエル書では、バビロニア ― ペルシア時代のダニエルの信仰の戦いと、預言書の著者の時代とをオーバーラップさせ、後半では自分たちの時代を ダニエルに預言させることにより、(1)神は忠実な信仰者を決して見捨てない。(2)神は必要な知恵と洞察力とを与えてくださる。(3)これらを信頼してどのような困難な時にも最後の勝利を信じ、戦うように、と訴えています。

 主は必要な知恵を与えてくださり、主はどんな困難な時でも主を信じる人を見捨てることはなさらない、・・・なんだかほっとした気持ちというか安らぎを得ました。

2018年8月 4日 (土)

聖マリア・ヨハネ・ビアンネ司祭(記)

 全世界のカトリック司祭の保護の聖人です。自身は清貧に努め、お金も時間も主のためならばおしみなく使った司祭です。アルスの小教区のために一生を捧げました。すべての時間を羊の群れのために捧げた牧者、だから聖人なのですね。

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 聖ビアンネの生涯について読むたびに、当時のフランス革命の影響がいかに悪かったかわかります。私の学校では歴史の先生が「フランス革命(自由・平等・博愛)がどんなに素晴らしいことか」話され、私はそれを鵜呑みにしていました。多くの人がそう教わり信じているでしょう。しかし結局革命は革命です。神を暴力や破壊で否定することが素晴らしいわけがありません。

2018年7月26日 (木)

聖ヨアキムと聖アンナ(記)

 マリア様のご両親聖ヨアキムと聖アンナの記念日です。お二人については福音書には何も書かれていません。外伝には書かれているようですが・・・。

 自分の娘があのような生涯を送ることを受け入れたご両親はマリア様と同じく「み心のままに」と主のみ旨を受け入れた信仰篤き人です。また心の清いマリア様を育てたのはただ聖霊の恵み・主の計らいだけではなくご両親の努力があればこそでしょう。放任主義で何もせずに主に任せっぱなしではなかったはずです。ご両親はマリア様に神様のことをいつも話し、祈りを教え、深い信仰を伝えたと思います。

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聖アンナ・聖マリア・聖ヨアキム もう一つの聖家族です。

2018年7月25日 (水)

聖ヤコブ使徒(祝)

 今日は使徒聖ヤコブの祝日です。きっとスペインの家庭ではヤコブのケーキを焼いて祝っていることでしょう。

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ヤコブのケーキ

 使徒ヨハネの兄弟でスペインの守護聖人の聖ヤコブは使徒の中で最初に殉教したと言われ大ヤコブと呼ばれています。

 サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼は有名ですね。大聖堂にはサンティアゴ=聖ヤコブの遺骸が収められていると言われ、世界中から多くの人が巡礼に訪れます。

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サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路

2018年7月23日 (月)

主が望むこと

主が何をお前に求めておられるかは
お前に告げられている。
正義を行い、慈しみを愛し
へりくだって神と共に歩むこと、これである。(ミカの預言6-8)

 今日の朗読の最後の部分です。「正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共にあゆむ」と。毎日これらのことを意識して生活するように努めなければ・・・でも難しいことです。意識して努力しなければなりません。意識せずに自然とそう生活できる人は本当に幸せです。正に信仰の人です。

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2018年7月22日 (日)

聖マグダラのマリア(記)

 よく「自分探し」をする人の話を聞いたり、「そのままのあなたでいいよ」とかいう言葉聞くたびに、「そうかな?違うと思うな~」と感じていました。私の疑問をスッキリとしてくださったトマさん、さすがトマさんです。

 『トマさん祈りの部屋』からの一部コピーです。⇩

一昔前、「自分探し」が流行りました。・・・本当の「自分らしさ」は、どこにあるのでしょうか?・・・・・世間的な物差しで人生を測ると、勝つか負ける、成功か失敗、幸運と不運などに区別されます。しかし、人間は偶然の産物ではなく、神の愛によって生まれ、育まれ、完成するものです。そこには世間的な価値観では測れない霊的な側面があります。神と自分の関係に気付いた人だけが、本当の意味で「自分らしさ」を理解し、納得できます。・・・・・「あなたは、今のままでいいよ」とか、「無理しなくても、今のあなたがあなたらしい」という自己肯定を勧める言葉が氾濫しています。神が描いた各自のキャラクターを生きるという意味なら正解ですが、自分勝手なキャラクターを生きることは、物語を台無しにします。神のキャラクターを台無しにする自分勝手を罪と言います。「怠惰、高慢、虚栄心、わがまま、下品な好奇心、悪口、言い訳、依存心など」は、けっして「そのまま」でよくありません。これらは心の不純物で、神がお望みの自分を妨げますから、取り除く努力が欠かせません。戦うことで、「自分らしさ」が輝き出て、全体の神の物語が生きるのです。2018/07/11 聖ホセマリア著『道』第1章「性格(キャラクター)」解説より

 その通りですね。「そのままのあなたで」とか「ありのままのあなたで」とか言われると、何て優しい甘いささやきに聞こえます。でも、キリストは罪人を呼んだ時に「そのままのあなたで良い」とは言っていません。呼ばれた人は皆キリストに倣う生活をするよう変わりました。聖マグダラのマリアは生活を改めて、二度と同じ罪を犯しませんでした。キリストは姦通の女(マグダラのマリア?)に会った時に「わたしもあなたを罪に定めない。今のあなたのままでいいよ」とは言われず、「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。そしてこれからは、もう罪を犯してはならない」と言っておられます。

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聖マリアマグダレナ

2018年7月16日 (月)

大阪教区司教叙階式

 ホセ・マリア・アベイヤ司教様、パウロ酒井俊弘司教様おめでとうございます。前田枢機卿様の司式で叙階式ミサがたてられました。

 叙階式です。⇩

https://www.youtube.com/watch?v=NJZj6Ke1Id4

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2018年7月14日 (土)

聖カミロ・デ・レリス司祭(病人と医療従事者の守護聖人)

 

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 ローマの聖マグダラのマリア教会へ行った時に、一つのチャペルの前に聖カミロの御絵が沢山置かれていました。私は後で知ったのですが、この教会に聖カミロが埋葬されていたのです。私もご絵を一枚いただき、病気の人のために聖カミロに取り次ぎを祈りました。

 1550年に生まれた聖カミロの性格は短気で攻撃的で、しかも賭博やお酒が好きな生活をしていました。しかし、ある修道士の説教を聞いて回心し、悪い習慣を断って病院で働き始めました。そして聖フィリッポに司祭になることを薦められて、34歳で司祭になり、2人の同志と共に「病人のしもべ」(Ministers to the Sick)という修道会(後のカミロ修道会:Camillians)を創立しました。

 カミロ修道会は病人に仕える聖職者修道会です。会員は肩や胸に赤い十字架をつけて活動し、この修道会の活動が赤十字運動のもととなりました。聖カミロ・デ・レリスは、病者と医療従事者の守護聖人です。

2018年7月13日 (金)

聖ハインリッヒ

 

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 今日は聖ハインリッヒの霊名日です。聖ハインリッヒ=ハインリッヒ2世はバイエルン侯ハインリッヒの息子で、後にドイツ皇帝オットー3世のあとを継いで皇帝となりました。彼は聖堂や修道院をたくさん建て、また教育・文化・宣教のために力を注ぎました。素晴らしいキリスト教の君主としてよく知られています。

 主は富める人も貧しい人も主の道具として使われます。聖書には「金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通る方が易しい」(マタイ19:24)と書かれています。だから単純に貧しい人だけが主に愛されて天の国に入れると思っている人がいます。しかしそうではありません。財産や権力があってもそれらを正しく主のために使う、主の道具となれる人は主から愛されています。地位もお金もある議員のアリマタヤのヨゼフもイエズス様のために新しい墓を用意して埋葬しました。主が求めておられること、主のみ旨を行う人が主に愛されて、天の国に入れるのだと思います。 

2018年7月10日 (火)

アレクシア

今日見つけたニュースです。

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 以前にも何度か取り上げたことのあるアレクシアです。両親はオプス・デイのメンバーです。彼女は若すぎたのでまだメンバーではありませんでした。司教叙階される酒井俊弘被選司教様も喜んでおられると思います。アレクシアについて詳しく知りたい方は是非聖母文庫『アレクシア』をお読みください。

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 彼女がいつか福者、聖人となる日がくることを祈ります。主に感謝の祈りもしなければheart

2018年7月 8日 (日)

鹿児島教区新司教

 フランシスコ教皇様は7月7日に鹿児島教区の郡山司教様の後任に中野裕明神父様を任命されました。叙階式の日程はまで未定のようです。

 中野裕明被選司教様おめでとうございます!私は中野被選司教様を直接存じ上げないのですが、神学院の院長をされているほどの方なので、きっと教区にとって主からの素晴らしいお恵みだと思います。叙階式が楽しみです。

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フランシスコ・ザビエル中野裕明被選司教様

2018年7月 6日 (金)

罪人とは

イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マタイ9.12-13)

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    Fr.Rupnik 作

 今日の福音を読んで、改めて自覚しました。 わたしは罪人であるということです。自分は犯罪を犯さず、正しく生きようとしていてもやはり正しい人ではなく罪人だということ。

 おそらくこの箇所を読んで、「私は罪人ではなく正しい人だから、キリストは必要ない」と思った人もいるでしょう。洗礼を受けない理由にする人もいるかもしれません。しかし人を殺したり盗んだり、法を犯すことだけが罪ではありません。他人を妬んだり嫉妬したり、疑ったり、うわさしたり、誹謗中傷したり、怠けたり、ごまかそうとしたり、自分のするべきことをしなかったり、快楽に夢中になったり・・・それらはすべて罪です。ですから私たちはすべて罪人です。すべての人には主が必要なのです。そのことに多くの人が気づきますように。

2018年7月 4日 (水)

解説が欲しい

 今日の聖書朗読個所を読むたびに理解できないのです。どなたかすっきりと納得のいく説明をしてくださいませんか?

やがて、イエズスが向こう岸のガダラ人の地方にお着きになると、悪霊に憑かれた二人の男が墓場から出てきてイエズスに出会った。・・・・・そこで、悪霊どもはイエズスに願って言った、「もしわたしたちを追い出されるなら、あの豚の群の中に入れてください」。そこで、イエズスは「行け」と仰せになると、悪霊どもは出ていって、豚の中に入った。すると豚の群れはみな崖から湖へ雪崩落ち、おぼれ死んでしまった。豚飼いたちは逃げて町に行き、悪霊に憑かれた者のことなど一切を告げ知らせた。すると、町じゅうの人がイエズスに会いに出てきて、イエズスに会うと、この地方から立ち去るように願った。(マタイ8:28-34)

・悪霊は豚そのものの中に入ったのか、それとも群れの中に入ったのか?

・なんのために悪霊は豚の中または群れに入り、そして豚を湖で溺死させたのか?その後悪霊はどうなったのか?単にユダヤ人が豚を不浄のもの(豚は食べない)としているという理由だけでは足りません。

・悪霊を追い出してくれたイエズスをなぜこの地方から立ち去るよう願ったのか?他の悪霊につかれている人の助けを願わないのか?それとも悪霊に命令できるイエズスを悪霊の頭と思ったのか?しかし、もし悪霊の頭と思ったのなら皆イエズスを恐れて隠れ、わざわざ会いに来ないのでは?

 聖書に書かれていることで意味のないことはないと思うのです。この箇所も意図があり書かれていると思うのです。それとも私の考えすぎでしょうか。

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2018年7月 3日 (火)

見ないで信じる

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 トマは言った、「わたしはその手の釘の後を見、自分の指をその釘の跡に入れてみなければ、また、自分の手をその脇腹に入れてみなければ、決して信じない」。(ヨハネ20.25)

 疑り深いトマでしたが、イエズス様の復活した姿を目の当たりにし、「わたしの主、わたしの神よ」と信仰宣言します。そして聖トマはインドへと布教して最後は南インドで殉教したと伝えられています。

 キリストはトマに仰せになった、「あなたは、わたしを見たから信じたのか。見ないで信じる人たちはさいわいである」。(ヨハネ20.29

 これは聖トマだけに向かって言った言葉ではありません。当然わたしたちにも向けられたものです。

「見なければ信じない」という人が「見なくても信じる」ことのできる人となれますように、聖トマに主への取り次ぎをお祈りします。

2018年6月30日 (土)

パリウムの祝福とごミサ


YouTube: Pope Francis – Holy Mass with Blessing of Pallia 2018-06-29


 29日聖ペトロと聖パウロの祭日にはいつもの通りヴァチカンでごミサとパリウムの祝福が行われました。そして前日枢機卿会議で叙任された新しい枢機卿様方も参加されました。勿論前田万葉枢機卿様、そして菊地功大司教様の姿もありました。

 共同祈願では日本人のシスターも日本語で祈りをささげました。(YouTube 57:30 頃です)Photo前田万葉枢機卿

Photo_2菊地功大司教

Photo_3共同祈願をするシスター

2018年6月29日 (金)

聖ペトロ 聖パウロ使徒(祭)

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 我が家には堅信名が聖ペトロと聖パウロの二人がいます。堅信名なので親から与えられたものではなく、本人が好きで選んだ名前です。

 聖ペトロは普通の漁師でイエズスに出会い、イエズスと共に生活しました。一方聖パウロはキリストに会ったことはありませんがギリシャ語とヘブライ語を話し、著名なラビに学びローマの市民権も持っていたユダヤ人です。対照的な二人ですが共にキリストは呼ばれました。そして二人共最後には殉教しました。二人の力強い宣教は今も私たちの信仰の支えです。