王たるキリスト
王であるキリストの祭日。今日は典礼暦の最後の主日、来週から新しい一年の待降節が始まります。
この一年の信仰生活を振り返ってみると、大罪は犯していないけれど毎日信仰の炎に燃えて生活していたかというとそうでもありませんでした。生ぬるい信仰生活でした。それでもご聖体をいただくことによって主に生かされた毎日でした。もしご聖体をいただかない生活を続けていたら、私は貧しい人や苦しんでいる人たちに目を向けることもほとんどなく、感謝することもなく、自分中心の今よりももっと傲慢で高慢な生活を送っていたと思います。
ところで「王」と聞くと普通人々は手の届かない別世界にいて多くの富を持ち多くの使用人に囲まれているイメージがあります。しかし世間一般の王とキリストの王は全く違います。正反対と言っていいでしょう。「人の子は枕する所もない」と言われたキリスト、使徒たちの足を洗った仕えるキリスト、ご聖体によっていつも私たちと共にいてくださるキリスト。十字架の死に打ち勝って復活されたキリストは愛によって私たちを集められた神の国の王なのです。
『みこころネット』に次の祈りがのっていました。
すべての人の心の王たるキリストに向う祈:
主イエズス・キリストよ、われは主を宇宙の王と認め奉る。*一切の造られしものはみな主のためなれば、願わくはわが上に主のすべての権能を行使し給え。われここに洗礼の約束を新たにし、悪魔とその業とその栄華とを棄て、よき信者として活くることを誓い、特に天主と、主の公教会との権利が勝利を得んために、わが力の及ぶ限り尽さんことを約束し奉る。イエズスの聖心よ、われはすべての人の心が主の聖なる主権を認め奉り、主の平和の支配が全世界に及ぶを得んがために、わが貧しき業をことごとく献げ奉る。アーメン。


















