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2018年10月23日 (火)

誤解されること+ラテン語ミサ

(人から誤解されるのは良いことである。)なぜなら人々から軽蔑され、よく思われないとき、そのときこそ我々は神を内なる証人としてより熱心に求めるからである。(『キリストにならう』bot)

 最近このbotにはまり毎日見ています。

 今回はよく誤解されて良く思われない私の慰めの言葉ですね。確かにそういう時にこそ『主はすべてを知っておられる』と自身に言い聞かせて、「主よ私をあわれんでください」と祈ります。無理に誤解をとこうとしたり、他人からよく思われようとする必要はありませんね。

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 ところで20日土曜日に行われた荘厳ミサはとても良かったそうです。菊地大司教様のブログにその時のことが書いてありました。

 日本全国からごミサに集まっている様子は、今ラテン語ミサを望む人が少なくないことを表しています。菊地大司教様もラテン語ミサを司式するのは初めてだったそうですが、ごミサに与った人は「初めてとは思えない流暢なラテン語で素晴らしかった」と言っています。大司教様の小神学校の頃は日曜日のごミサはラテン語、今も様々なところでラテン語ミサに与る機会があるとのこと。これから日本でももっとラテン語ミサをたててください。

 今回はヴァチカン大使館の参事官が福音を歌ったそうです。私はyoutubeで教皇様のごミサでの福音をラテン語で歌うのを聴いたことはありますが、生ではありません。一度はごミサで直に聴いてみたいです。

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福音を歌う参事官(菊地大司教様のブログより)