2018年7月23日 (月)

主が望むこと

主が何をお前に求めておられるかは
お前に告げられている。
正義を行い、慈しみを愛し
へりくだって神と共に歩むこと、これである。(ミカの預言6-8)

 今日の朗読の最後の部分です。「正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共にあゆむ」と。毎日これらのことを意識して生活するように努めなければ・・・でも難しいことです。意識して努力しなければなりません。意識せずに自然とそう生活できる人は本当に幸せです。正に信仰の人です。

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2018年7月22日 (日)

聖マグダラのマリア(記)

 よく「自分探し」をする人の話を聞いたり、「そのままのあなたでいいよ」とかいう言葉聞くたびに、「そうかな?違うと思うな~」と感じていました。私の疑問をスッキリとしてくださったトマさん、さすがトマさんです。

 『トマさん祈りの部屋』からのi一部コピーです。⇩

一昔前、「自分探し」が流行りました。・・・本当の「自分らしさ」は、どこにあるのでしょうか?・・・・・世間的な物差しで人生を測ると、勝つか負ける、成功か失敗、幸運と不運などに区別されます。しかし、人間は偶然の産物ではなく、神の愛によって生まれ、育まれ、完成するものです。そこには世間的な価値観では測れない霊的な側面があります。神と自分の関係に気付いた人だけが、本当の意味で「自分らしさ」を理解し、納得できます。・・・・・「あなたは、今のままでいいよ」とか、「無理しなくても、今のあなたがあなたらしい」という自己肯定を勧める言葉が氾濫しています。神が描いた各自のキャラクターを生きるという意味なら正解ですが、自分勝手なキャラクターを生きることは、物語を台無しにします。神のキャラクターを台無しにする自分勝手を罪と言います。「怠惰、高慢、虚栄心、わがまま、下品な好奇心、悪口、言い訳、依存心など」は、けっして「そのまま」でよくありません。これらは心の不純物で、神がお望みの自分を妨げますから、取り除く努力が欠かせません。戦うことで、「自分らしさ」が輝き出て、全体の神の物語が生きるのです。2018/07/11 聖ホセマリア著『道』第1章「性格(キャラクター)」解説より

 その通りですね。「そのままのあなたで」とか「ありのままのあなたで」とか言われると、何て優しい甘いささやきに聞こえます。でも、キリストは罪人を呼んだ時に「そのままのあなたで良い」とは言っていません。呼ばれた人は皆キリストに倣う生活をするよう変わりました。聖マグダラのマリアは生活を改めて、二度と同じ罪を犯しませんでした。キリストは姦通の女(マグダラのマリア?)に会った時に「わたしもあなたを罪に定めない。今のあなたのままでいいよ」とは言われず、「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。そしてこれからは、もう罪を犯してはならない」と言っておられます。

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聖マリアマグダレナ

2018年7月19日 (木)

デーツ

 私はデーツが大好きで、安いとつい買ってしまいます。そのまま食べるのも美味しいのですが、今回はこの甘さを利用してデーツマフィンを作りました。

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材料: ブランデー漬けデーツ 約15~20個位

    ホットケーキミックス粉 200g.

    砂糖 70g.またはデーツシロップ大匙2~3(好みで加減)

    卵 2個

    バター  50g.(ヘルシーにしたければオリーブ油50ml.)

    生クリーム 100ml.(牛乳でも可)

・オーブンは180℃に予熱しておく。

・ブランデーに漬けたデーツの実は種を取って刻む。

・卵を泡立て器でよく混ぜ、砂糖(またはデーツシロップ)、生クリーム、溶かしバター(さましたもの)を加えホットケーキミックス粉とデーツも加えて混ぜる。(卵を泡立てるほどに良く膨らむ)

・マフィン型の半分くらいまで生地を入れて約20分位様子を見ながら焼く。 

 デーツはとても甘いのですが、風味がありません。そこでデーツをブランデー漬けにして使いました。多分ラム酒でも美味しいと思います。次はフルーツケーキを作る時に入れようと思います。

 デーツシロップもよく使います。蜂蜜と同じようにトーストやパンケーキに塗ったり、煮物をする時には砂糖代わりに、カレーの隠し味にも。

 ペースト状のデーツもあるようですが、私はまだ使ったことがありません。多分ケーキやパンを作る時の生地に練りこんだり、あるいは餡と同じようにお団子につけたり、ジャムのようにトーストに塗ったりして使うのかもしれません。一度買って試してみようと思います。

2018年7月16日 (月)

大阪教区司教叙階式

 ホセ・マリア・アベイヤ司教様、パウロ酒井俊弘司教様おめでとうございます。前田枢機卿様の司式で叙階式ミサがたてられました。

 叙階式です。⇩

https://www.youtube.com/watch?v=NJZj6Ke1Id4

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2018年7月15日 (日)

7月のお花

 

Dscn2915_2   昨日はお花教室でした。今月の花材は枝物の錦木、白い花が美しいシャローム、水色のルリ玉あざみ、赤い実のピペリカ、そして鮮やかの黄色のオシンジュームです。

 花器の水色とルリ玉アザミの色が似ていて、一体感が出ました。シャロームが涼しげです。錦木の葉は緑から真っ赤になるそうです。青葉の緑色も爽やかで良いですが、きっと秋に真っ赤に紅葉した錦木も綺麗いでしょう。

 夏らしくガラスの花器に生けてみました。冬は陶器のぬくもり、夏はガラスの涼しさ、また竹の素材も良いですね。

2018年7月14日 (土)

聖カミロ・デ・レリス司祭(病人と医療従事者の守護聖人)

 

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 ローマの聖マグダラのマリア教会へ行った時に、一つのチャペルの前に聖カミロの御絵が沢山置かれていました。私は後で知ったのですが、この教会に聖カミロが埋葬されていたのです。私もご絵を一枚いただき、病気の人のために聖カミロに取り次ぎを祈りました。

 1550年に生まれた聖カミロの性格は短気で攻撃的で、しかも賭博やお酒が好きな生活をしていました。しかし、ある修道士の説教を聞いて回心し、悪い習慣を断って病院で働き始めました。そして聖フィリッポに司祭になることを薦められて、34歳で司祭になり、2人の同志と共に「病人のしもべ」(Ministers to the Sick)という修道会(後のカミロ修道会:Camillians)を創立しました。

 カミロ修道会は病人に仕える聖職者修道会です。会員は肩や胸に赤い十字架をつけて活動し、この修道会の活動が赤十字運動のもととなりました。聖カミロ・デ・レリスは、病者と医療従事者の守護聖人です。

2018年7月13日 (金)

聖ハインリッヒ

 

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 今日は聖ハインリッヒの霊名日です。聖ハインリッヒ=ハインリッヒ2世はバイエルン侯ハインリッヒの息子で、後にドイツ皇帝オットー3世のあとを継いで皇帝となりました。彼は聖堂や修道院をたくさん建て、また教育・文化・宣教のために力を注ぎました。素晴らしいキリスト教の君主としてよく知られています。

 主は富める人も貧しい人も主の道具として使われます。聖書には「金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通る方が易しい」(マタイ19:24)と書かれています。だから単純に貧しい人だけが主に愛されて天の国に入れると思っている人がいます。しかしそうではありません。財産や権力があってもそれらを正しく主のために使う、主の道具となれる人は主から愛されています。地位もお金もある議員のアリマタヤのヨゼフもイエズス様のために新しい墓を用意して埋葬しました。主が求めておられること、主のみ旨を行う人が主に愛されて、天の国に入れるのだと思います。 

2018年7月10日 (火)

アレクシア

今日見つけたニュースです。

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 以前にも何度か取り上げたことのあるアレクシアです。両親はオプス・デイのメンバーです。彼女は若すぎたのでまだメンバーではありませんでした。司教叙階される酒井俊弘被選司教様も喜んでおられると思います。アレクシアについて詳しく知りたい方は是非聖母文庫『アレクシア』をお読みください。

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 彼女がいつか福者、聖人となる日がくることを祈ります。主に感謝の祈りもしなければheart

2018年7月 9日 (月)

豪雨災害

 なんと悲惨な状況でしょう。今回の豪雨で亡くなられた方が88名、重体の方が4名、行方不明の方が58名、こんなに痛ましい災害になるとは・・・。言葉もありません。

 絶望と不安の中におられる方々に希望と安心を届けるには、私たちはどうしたらよいのでしょうか。とにかく祈りと共に何かしなければ・・・。

 タイで洞窟に取り残されている少年たちの救出も始まったようです。救助する方々を含め全員の無事を祈ります。

 嬉しいニュースと共にとても悲しいニュースが多い今月。これ以上悲しいニュースが続きませんように。

2018年7月 8日 (日)

鹿児島教区新司教

 フランシスコ教皇様は7月7日に鹿児島教区の郡山司教様の後任に中野裕明神父様を任命されました。叙階式の日程はまで未定のようです。

 中野裕明被選司教様おめでとうございます!私は中野被選司教様を直接存じ上げないのですが、神学院の院長をされているほどの方なので、きっと教区にとって主からの素晴らしいお恵みだと思います。叙階式が楽しみです。

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フランシスコ・ザビエル中野裕明被選司教様

2018年7月 6日 (金)

罪人とは

イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マタイ9.12-13)

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    Fr.Rupnik 作

 今日の福音を読んで、改めて自覚しました。 わたしは罪人であるということです。自分は犯罪を犯さず、正しく生きようとしていてもやはり正しい人ではなく罪人だということ。

 おそらくこの箇所を読んで、「私は罪人ではなく正しい人だから、キリストは必要ない」と思った人もいるでしょう。洗礼を受けない理由にする人もいるかもしれません。しかし人を殺したり盗んだり、法を犯すことだけが罪ではありません。他人を妬んだり嫉妬したり、疑ったり、うわさしたり、誹謗中傷したり、怠けたり、ごまかそうとしたり、自分のするべきことをしなかったり、快楽に夢中になったり・・・それらはすべて罪です。ですから私たちはすべて罪人です。すべての人には主が必要なのです。そのことに多くの人が気づきますように。

2018年7月 5日 (木)

語学学習

 ドラマ「ビッグバンセオリー」を見て、「スタートレック」に出てくるクリンゴン語を学ぼうと思い早速YouTubeで調べてみました。(どうしてそう思ったのか?なんとなくお遊びです)

「クリンゴン語で『ありがとう』を言ってみよう」これを見て悟りました。私には語学の才能がないことを(見なくてもわかっていましたが despair)。私の語学力では宇宙人との会話は無理でしょう。


YouTube: クリンゴン語で「ありがとう」を言ってみよう

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2018年7月 4日 (水)

解説が欲しい

 今日の聖書朗読個所を読むたびに理解できないのです。どなたかすっきりと納得のいく説明をしてくださいませんか?

やがて、イエズスが向こう岸のガダラ人の地方にお着きになると、悪霊に憑かれた二人の男が墓場から出てきてイエズスに出会った。・・・・・そこで、悪霊どもはイエズスに願って言った、「もしわたしたちを追い出されるなら、あの豚の群の中に入れてください」。そこで、イエズスは「行け」と仰せになると、悪霊どもは出ていって、豚の中に入った。すると豚の群れはみな崖から湖へ雪崩落ち、おぼれ死んでしまった。豚飼いたちは逃げて町に行き、悪霊に憑かれた者のことなど一切を告げ知らせた。すると、町じゅうの人がイエズスに会いに出てきて、イエズスに会うと、この地方から立ち去るように願った。(マタイ8:28-34)

・悪霊は豚そのものの中に入ったのか、それとも群れの中に入ったのか?

・なんのために悪霊は豚の中または群れに入り、そして豚を湖で溺死させたのか?その後悪霊はどうなったのか?単にユダヤ人が豚を不浄のもの(豚は食べない)としているという理由だけでは足りません。

・悪霊を追い出してくれたイエズスをなぜこの地方から立ち去るよう願ったのか?他の悪霊につかれている人の助けを願わないのか?それとも悪霊に命令できるイエズスを悪霊の頭と思ったのか?しかし、もし悪霊の頭と思ったのなら皆イエズスを恐れて隠れ、わざわざ会いに来ないのでは?

 聖書に書かれていることで意味のないことはないと思うのです。この箇所も意図があり書かれていると思うのです。それとも私の考えすぎでしょうか。

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2018年7月 3日 (火)

見ないで信じる

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 トマは言った、「わたしはその手の釘の後を見、自分の指をその釘の跡に入れてみなければ、また、自分の手をその脇腹に入れてみなければ、決して信じない」。(ヨハネ20.25)

 疑り深いトマでしたが、イエズス様の復活した姿を目の当たりにし、「わたしの主、わたしの神よ」と信仰宣言します。そして聖トマはインドへと布教して最後は南インドで殉教したと伝えられています。

 キリストはトマに仰せになった、「あなたは、わたしを見たから信じたのか。見ないで信じる人たちはさいわいである」。(ヨハネ20.29

 これは聖トマだけに向かって言った言葉ではありません。当然わたしたちにも向けられたものです。

「見なければ信じない」という人が「見なくても信じる」ことのできる人となれますように、聖トマに主への取り次ぎをお祈りします。

2018年6月30日 (土)

パリウムの祝福とごミサ


YouTube: Pope Francis – Holy Mass with Blessing of Pallia 2018-06-29


 29日聖ペトロと聖パウロの祭日にはいつもの通りヴァチカンでごミサとパリウムの祝福が行われました。そして前日枢機卿会議で叙任された新しい枢機卿様方も参加されました。勿論前田万葉枢機卿様、そして菊地功大司教様の姿もありました。

 共同祈願では日本人のシスターも日本語で祈りをささげました。(YouTube 57:30 頃です)Photo前田万葉枢機卿

Photo_2菊地功大司教

Photo_3共同祈願をするシスター

2018年6月29日 (金)

聖ペトロ 聖パウロ使徒(祭)

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 我が家には堅信名が聖ペトロと聖パウロの二人がいます。堅信名なので親から与えられたものではなく、本人が好きで選んだ名前です。

 聖ペトロは普通の漁師でイエズスに出会い、イエズスと共に生活しました。一方聖パウロはキリストに会ったことはありませんがギリシャ語とヘブライ語を話し、著名なラビに学びローマの市民権も持っていたユダヤ人です。対照的な二人ですが共にキリストは呼ばれました。そして二人共最後には殉教しました。二人の力強い宣教は今も私たちの信仰の支えです。

2018年6月28日 (木)

聖イレネオ司教殉教

 

Photo_2 聖イレネオ司教は、司教ポリカルポ(使徒聖ヨハネから直接学んだ)に学び、聖ヨハネの信仰を受けつぎました。

 今日のごミサではマタイ福音書7章21-27節が朗読されました。とても興味深い個所です。説教でよいお話を聞きました。

 「私たちはいつも『やろう!やろう!』と言って行いますが、どんなに善い行いであっても、信仰によってでも、それが主のみ旨ではなく自分が良いと思ってしている、あるいは自分の満足のためにしているのであれば、それは天の国に通じる道ではない」と。

「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな、天の国に入るのではない。天におられるわたしの父のみ旨を行う者だけが入るのである。その日には、多くの者がわたしに言うだろう、『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言し、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの奇跡を行ったではありませんか』。『その時、わたしは彼らにはっきり言おう、『わたしはお前たちをまったく知らない。悪を行う者ども、わたしから離れされ』」。(マタイ7:21~23)

 主はずいぶん厳しい言葉を言っておられます。私たちも気付かないうちに彼らのようになってしまっているのかもしれません。私たちが何かをする時に、良いことをしていると思い(本当は自分の満足のためにしている)、あるいは便利さや手軽さに惑わされたりしていないでしょうか?本当にこれは主のみ旨なのかよく祈ってからしているでしょうか。今日の説教で私自身も反省しました。

 主が望むことを、望む時に、望む故に、私も望みます。アーメン

2018年6月27日 (水)

家庭とは優しさの場所

 先月フランシスコ教皇様は家庭について次のように話されました。

heart 家庭とは、愛することを最初に教え、最初に学ぶ場所

heart 同時に家庭は信仰と、善を行うことを学ぶ場所

heart イエスの現存は、お母さんや、お父さん、子どもたちの優しさや、いたわり、抱擁を通して表されます。家庭とは、優しさの場所

 残念ながら信者でもそうでない家庭は沢山あります。家庭が優しさの場、心休まる場であれば、社会での多くの問題は起きないかもしれません。子どもを預けることばかり考えるのではなく、家庭で子どもを育てることの大切さを再考する時期ではないでしょうか。

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聖ヨハネパウロ二世教皇と可愛い赤ちゃん

2018年6月26日 (火)

聖ホセマリア・エスクリバー記念日

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 今日は聖ホセマリア様が亡くなられた日、記念日です。ブログ『トマさん祈りの部屋』にこの事について書かれていました。

 大分教会では濱口司教様の司式で記念ミサが捧げられました。そのごミサでオプスデイ日本地域代理ロペス神父様が説教され、トマさんがそれを抜粋して載せておられます。その一部を紹介します。

神は日常生活の中で私たちを待っているのです。イエスはペトロの船に乗り込み、漁に出ようと頼みました。それがペトロのいつもの仕事だったのです。聖ホセマリアは、この箇所を何度も黙想して、世界中で同じことが今も繰り返されていると強調しました。信者の多くはいつもの仕事と家庭生活に殆どの時間を費やしています。そこでイエスは待っています。そこでイエスと出会うのです。

でも多くの人が誤解しています。神様のために何か捧げようと思っても、仕事や家族の世話に忙しくて、それに力と時間を使い果たし、あきらめてしまうのです。聖ホセマリアは「諦めるな!」と繰り返します。私たちは仕事と日常生活を通して、神に仕え、神に出会い、神を愛することが出来るのです!当たり前の中に神は隠れておられます。それを各自がいつもの場所で発見することです。

聖となるために聖職者になる必要はありません。「聖性は、日常の雑事から離れ、たくさん祈る時間がある人だけのもの」だと考えがちですが、そうではありません。・・・あなたの夫、妻を愛し、大切にすることで、聖となりなさい。あなたの兄弟姉妹に奉仕するために、誠実に腕を振るって働くことで聖となりなさい。子供たち、孫たちに、イエスに倣うにはどうしたらいいかを、辛抱強く教えることで、聖となりなさい。社会の利益を図るために働き、自己の利益を捨てることで、聖となりなさい。(ラモン・ロペス・モンデハル神父様の説教より)

 この説教を読んで私もまた力が湧いてきました。聖ホセマリアに「諦めるな!聖となれるように頑張りなさい!」と言われているようです。夫や子どもたちのために頑張ります!

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にゃんず

 我が家のにゃんずの近況を。現在3匹だけ、母花子、息子業平(なりひら)と俊成(しゅんぜい)です。首輪をしていないので、近所の猫好きな方の家にお邪魔して様々な名前で呼ばれているようです。猫嫌いの方にはご迷惑をかけているようです。にゃんこに代わって「ごめんなさい」。(*_ _)人

 先日は我が家の猫を可愛がってくださっている方が旅行のお土産を持って来て下さいました。いつも可愛がってくださるので私の方がお礼をしなければならないのに。よほど我が家のにゃんこたちに癒されているのでしょう。

 飼い主が内向的な分にゃんこたちが外向的で良かったです。

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業平⇧ と 俊成⇩ heart可愛いにゃんsign01

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