映画:長崎ー閃光の影でー
できれば私も観に行きたいと思います。
できれば私も観に行きたいと思います。
https://www.youtube.com/shorts/fZEuXcKS8fM
⇧ 原子野で聖フランシスコ・ザビエルの聖腕を迎えてのごミサ
長崎の約12000人のカトリック信者のうち原子爆弾で約8500人が亡くなったと言われています。
長崎原爆投下80周年にあたる今日、長崎浦上天主堂の「希望のカテリの鐘」が長崎の空に響きわたります。平和への願いが込められた鐘の音です。
YouTube: 原爆で大破 浦上天主堂の鐘が復活 米カトリック信徒らが贈る「希望のカテリの鐘」一般公開
NO MORE NAGASAKI !
先日ラジオで聞いた、当時11歳だった沖縄戦で捕虜となり生き延びた金城さんの言葉が印象的でした。「(今は)戦前のにおいがします」。そして今の若者に伝えたいことは「戦争に参加しない。戦争をおこさない、それには右・左はない」
「原子爆弾は恐ろしいから、戦争をするな!」と、私たちは初めのころ叫んできた。しかし、近ごろの私は、原子爆弾そのものよりも、原子爆弾を使おうとたくらむ人の心が恐ろしくなった。
科学は政治を支配したが、科学者は政治家に支配されている。ここに、現代および将来の不安がある。
永遠の平和は、科学者が政治家の支配から独立し、科学を戦争手段から取り返し、それを人類の幸福や文化を高めるといった未来の目的のためにだけ用いる、勇気と実力にかかっている・・・と、私は思う。 (『如己堂随筆』永井隆 著 より)
私は長崎で被爆された永井隆博士こそ聖人だと思っています。永井博士について知らない若いカトリック信者が増えています。ましてや他国の信者はなおさらのこと。永井博士がカトリック教会で聖人と証されれば、永井博士の信仰や行いについて今あらためて世界中の人たちが知るようになるだけでなく、長崎原爆についてももっと詳しく知るようになるでしょう。先ずは永井隆博士を尊者・福者に願いましょう。
YouTube: "Peace!" From Nagasaki to the World: The Story of Takashi Nagai
広島原爆投下から80年。毎年この日、多くの人たちは平和を望み祈ります。
核兵器の恐ろしさは日本が一番よく知っています。でも核兵器は無くなりません。それどころか今も核兵器が欲しいという国さえあります。核兵器があれば自国は平和になると思っているようです。何という愚かな考えでしょう。
核兵器廃絶を訴える国際NGO、ICANというものがあります。でも日本は参加していません。何故なのか?AIが答えてくれています。
「日本が核兵器禁止条約を批准しない主な理由は、安全保障上の懸念と、アメリカの「核の傘」に依存する政策にあります。核兵器禁止条約は核兵器の保有、使用、威嚇を全面的に禁止していますが、日本は米国の核抑止力に依存しており、条約に参加すると、この抑止力が損なわれる可能性があると考えています。また、条約には核兵器保有国は参加しておらず、現実的な核軍縮にはつながらないという懸念も示しています」。
「あっそうですか」としか言葉がありません。 願わくばこれ以上核兵器が増えることなく、使われることのないように:
No More Hiroshima!
トール・ヴェルガタに世界中から集まった約100万人の若者たちと共に教皇様司式のごミサがささげられました。
29日の歓迎ミサの時もそうでしたが、今日のごミサでも韓国の国旗や若者がよく映っていました。2年後2027年にはワールドユースデーが韓国ソウルで開かれるからでしょうか。その時には日本からも沢山の若者が参加するでしょう。楽しみですね。
YouTube: Giubileo Giovani S. Messa e Angelus, 3 agosto 2025, Papa Leone XIV LIS
教皇様への若者の質問とその答えです。
YouTube: How Do I Know What to Do With My Life? – Pope Leo XIV’s Q&A at the 2025 Jubilee of Youth
ご聖体の前で祈る教皇様。ご聖体=キリストの前では跪くのが当たり前ですね。日本ではごミサの聖変化の時に跪いてはいけないようですが、立つか跪くかは各自の意思に任せたら良いはずです。教皇様に倣いましょう。
YouTube: (VIDEO ONLY): Pope Leo XIV kneels before Eucharistic monstrance with a million young people
YouTube: 2025年青年記念祭:ローマのカトリック青年記念祭でレオ1世教皇が10万人以上を鼓舞 | AQ15
2日(土)トール・ヴェルガタで若者たちと共に前晩の祈りの模様です。
「青年の祝祭」がローマで始まりました。29日にはヴァチカンの聖ペトロ広場でローマ教区主催の歓迎ミサが挙げられました。ミサの後サプライズで登場したレオ14世教皇様は世界中から集まった約12万人の若者たちに力強いメッセ―ジをおくりました。
私が今一番はまっているヴァイオリニストは何度か紹介しているダニエル・ロザコヴィッチです。先月6月20日・21日N響2041回定期公演でN響と初共演をされました。ラジオFMの『N響演奏会』を聴き逃したので、YouTubeに動画が上がるのを期待していますが難しいかな。
YouTube: Daniel Lozakovich - Rachmaninov: Vocalise (Concert De Paris) Cristian Macelaru - ONF
YouTube: Paganini Caprice No.24 - Daniel Lozakovich
感無量
行ってきましたよ、廣津留すみれさんのヴァイオリンリサイタル。エルガーの愛の挨拶に始まりクライスラー、モンティのチャルダッシュ、バッハやドビッシーにサン・サーンスと盛りだくさん、アンコールはラフマニノフのヴォカリーズ。あっという間の2時間。素晴らしいでした。
久しぶりにCDではなく生の演奏を聴けてリフレッシュできました。私はクラシック音楽はただ好きなだけでまったくの素人です。ですから演奏技術や音の良し悪しはわかりません。でも彼女の美しいヴァイオリンの音は心にしみました。
YouTubeに彼女の演奏が載っていたので、みなさんもご一緒に!
YouTube: Monti - Csárdás - チャルダッシュ | Sumire Hirotsuru - 廣津留すみれ
今映画『国宝』が大ヒットしているようですね。今まで歌舞伎に触れることのなかった若者にも刺激を与えているようです。歌舞伎を広めるためにもとても良いことだと思います。團十郎さんもぼたんさんや新之助さんに観るよう薦めたとか。
私は小学生の頃から日本舞踊(藤間流)を習っていたので、歌舞伎が大好きです。学生時代京都に住んでいた時にはよく南座へ歌舞伎を観に行きました。でも京都を離れると同時に歌舞伎鑑賞も遠のいてしまいました。
ちなみに昭和40年代の頃は三之助(六代目市川新之助・四代目尾上菊之助・初代尾上辰之助)にとても人気がありました。私はなぜか六代目市川染五郎(現:二代目白鸚)ファンでしたが。ここ田舎で歌舞伎ファンの中学生は私くらいだったかもしれません。
映画『国宝』も観たいですが、やはり歌舞伎舞踊や歌舞伎の舞台を観たいですね。
今読んでいる本は『教会ラテン語への招き』です。
第二ヴァチカン公会議までミサはラテン語であげら、グレゴリオ聖歌もよく歌われていました。あの魅力的で神への崇拝に満ちた素晴らしいラテン語ミサが今は消えてしまいそうになっています。
ラテン語ミサの歴史とその素晴らしさを再発見するためにこの本を読み始めました。そして読み進むにつれて、フランシスコ教皇様のラテン語ミサ(トリエントミサ)に制限を加えた理由がますます私には理解できなくなりました。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ではないですがS・・・が嫌いな人たちはS・・・のラテン語ミサ(トリエントミサ)まで嫌いという感情を教皇様に訴えて、このような制限が出されたとしか思えないのです。
今はラテン語でのミサのあげ方を知らない司祭がほとんどでしょう。ラテン語を必修科目として教えていない神学校が多いからだと思います。ですからラテン語ミサが制限されようが自分にはまったく関係ないと無関心な司祭・司教様が多いのでしょう。
でもラテン語ミサをあげられないことは皆さん気づいていないかもしれませんがとても大きな問題だと思います。この本を読んで私も気づかされました。何百年も続いてきた素晴らしいラテン語ミサ(トリエントミサ)とグレゴリオ聖歌を今こそ見直すべきですね。私はレオ14世教皇様に期待しています。
6月26日は聖ホセマリア帰天50周年でした。ホセマリアの教えについて小寺神父様が話しておられます。家庭や仕事それとも教会・・・悩み苦しんでいる方にお勧めします。よいお話しです。
YouTube: Toccata in d minor by J. S. Bach 😍 #organ #music #church
教会の典礼音楽と言えばパイプオルガンですね。大聖堂に響き渡るパイプオルガンの音はまさに私たちを天上の世界にいるような心地にさせてくれます。
とは言え、パイプオルガン奏者は少ないです。その中でも若干27歳の
YouTube: Playing at St. Peters Basilica in Rome (with Swiss Guards!)
イエズスも弟子たちもその婚礼に招かれていた。ぶどう酒がなくなりかけたので、母はイエズスに、「ぶどう酒がありません」と言った。すると、イエズスは母にお答えになった。「婦人よ、このことについて、わたしとあなたとは考えが違います。わたしの時はまだ来ていません」。(ヨハネ2:3~4)
この箇所での説教で「私の時」についての説明はよくありますが、「お母さん」ではなく「婦人よ」と呼びかけている違和感については、わかりやすい説明を聞いたことがありませんでした。そしてフルトン・シーン司教様の話しを聞いてやっと納得しました。聖書を読む時にはただ読むだけでなく、正しい理解に導いてくれる人が必要だとつくづく思いました。ではその司教様のお話はこちらから⇩