フランシスコ教皇様が23日に退院されてほっとしています。ご復活祭がより一層楽しみです。
2025年3月23日 ジェメッリ病院のバルコニーから
以前フランシスコ教皇様は「自分の洗礼日を知っていますか?生まれた誕生日は皆さんよく知っているのに、霊的に新しく生まれた洗礼日を知らない人が多いです。」と話されていました。
私も長い間自分の洗礼日を知りませんでした。そして調べたところ3月26日で、この日は火曜日、しかも四旬節中でした。私の両親はなぜこの日を選んだのでしょうか?謎です。
そして今日は私が洗礼によって新しく生まれた誕生日です。先ずは主に感謝して、プチケーキでささやかなお祝い そして何よりも両親が私に洗礼を望んでくれたことに感謝!感謝!
ぼくはファシリティドッグのマサです。以前にも紹介したことがあるよね。
僕の職場は「国立成育医療研究センター」。ここは日本で最大の小児・周産期・産科・母性医療専門の高度専門医療研究センターで、ぼくはここの小児科病棟ともみじの家(医療型短期入所施設)で仕事をしているよ。
ぼくの仕事は子どもたちに寄り添って、子どもたちの不安を和らげて安心して治療を続けてもらえるようにサポートすること。ぼくと子供たちはとっても仲良し。詳しくは下のリンク「マサの部屋」を見てね。ぼくが働いている写真もあるよ。上の写真よりずっとハンサムだからね!
https://www.ncchd.go.jp/hospital/support/facilitydog/
ぼくたちのことを知って、『私も何か手伝いたいな』と思った人は寄付という方法があるのだワン。四旬節中の愛の行いとして よろしくワン
ある人が洗礼の恵みをいただけるように毎日祈っています。この洗礼の恵み=信仰は強要するもの強制できるものではありません。何かの条件にする(例えば結婚)ものでもありません。ですから本人がキリストの教えを受け入れて心から洗礼を望むように、主の恵みを祈ります。
以前小寺神父様が書かれた信仰についてのブログがあります。多くの人が一般的に「宗教は怖い」という思いはカトリック教会には全く当てはまらないことがわかるでしょう。
「トマさん祈りの部屋」より
昨日は東日本大震災14年。今もあの日画面を通して見た惨状は、はっきりと記憶に残っています。ましてや実際に体験された方々は言わずもがな。
その後辻井伸行さんが作曲された鎮魂曲「それでも、生きてゆく」に慰められた方も多いと思います。今年もこの曲を聴いて祈りたいと思います。
今日のごミサでの酒井司教様の説教です。
マリインスキー劇場のプリンシパルを務めるキミン・キムさんはやはりすばらしいですね。細くてしなやかな体から軽やかな優美さを感じます。
1992年ソウル生まれの32歳の青年。まだまだこれからも期待しています。
YouTube: 【厳選バレエ】キミン・キム 特集アリ・バジル・ソロル他| Best of Kimin Kim
主が与えてくださった才能を努力して頑張って開花させて、私たちの心を豊かにしてくれる芸術。国や人種に関係なく人々から愛され続けていってもらいたいものです。
灰の水曜日、四旬節の始まりです。毎年この日は『良い復活祭を迎えるためにしっかり準備をしよう』と決心するのですが・・・。聖木曜日の朝を迎えると『今年も満足できる準備では無かったな~』とちょっとうなだれる気分になります。でも今年こそは (⁎•ᴗ•⁎)و
頭に灰をかけてもらったり、十字架のしるしをしてもらうと、私は確かにちりであり、ちりに帰るとわかります。なによりも主の前で謙遜になり、信頼できるのは主だけだと悟ります。
四旬節の間は私たちは祈り、節制、慈善の行いによって回心につとめて過ごします。主のことばを熱心に聞いて、祈りに励み、またゆるしの秘跡を受けて回心します。そして主の嫌う罪を私たちも忌み嫌うよう努めなければなりません。自分の回心だけでなく、罪人のためにも祈りましょう。
毎日摂生に努めて、灰の水曜日と聖金曜日には大斎・小斎を守りましょう。また自分が節制をした分を貧しい人達への施しや献金にしましょう。また病気の人や孤独な人達のことも忘れずに。
テントやバラック小屋で電気や水道もなく医療も満足に受けられない生活を強いられ、忘れ去られている貧しい国々の難民たちに愛の手を差し伸べましょう。その手段としてカリタスジャパンや国境なき医師団への寄付があります。
写真はRLI HPより
皆様も復活祭を迎えるための良い準備ができますように。
* 入院しておられるフランシスコ教皇様の代理として、アンジェロ・デ・ドナーティス枢機卿様が一連の儀式(聖アンセルモ教会~聖サビーナ教会でのミサ)を司式するそうです。
以前TVの番組でデヴィ夫人自身が「私はカトリックです」と言って、相手の外国人の方が怪訝な顔をされ「イスラム教徒では?」と聞いたところ「カトリックです」とはっきり答えられました。私も日頃の言動から夫人がカトリック信者とはまったく思っていなかったのでびっくりしたことを覚えています。そしてずっと気になっていました。
そんなデヴィ夫人が「12(ワンニャン)平和党」を結成したと聞き、ますますカトリックらしからぬ行動だと思いました。そしてやっとわかったことは、どうも夫人は状況に合わせてご自分の宗教を使い分けておられるようです。これで私の長年のもやもやがすっきりと晴れました。
デヴィ夫人の2010年10月18日のAmebaブログより
私は幼い頃、プロテスタントの日曜学校に行き、中学に入ってからはカソリック教会に通い、 毎日「公教要理」を習いました。そして、インドネシアに渡ってからモスラムとなり、メッカに巡礼にいき、「ハジャ」となりました。私のインドネシアのIDカードの宗教の欄には、〝イスラム〟と書いてあります。
しかし私は、「超教派」です。騎士道精神を大切にしております。地球上に人類はひとつ。人種、国境、言語、宗教、歴史を超えて民族が許しあい、慈愛の心を通して平和を築き、共存共栄、世界が繁栄できればと願う次第です。
因みに彼女のご実家は「浄土宗」だそうです。
今回は本当にどうでもよい内容でしたが、私のもやもやがすっきりしたので書きました。特に有名人の言動は多くの人に影響を与えるものだから。
と、にゃん太郎が申しております。
先月27日は「脂の木曜日」でした。亡き夫の国では「灰の水曜日」の一週間前の木曜日を「脂の木曜日」と呼び、ポンチキ(pączki)を食べる習慣があります。そう、この日になるとそろそろ四旬節を迎える準備をしなければと思います。
写真:Laura & PETER ZERANSKI レシピ本より
ポンチキとはジャムやクリームがたっぷり入った丸いドーナツです。義母はドーナツ生地にズブロッカ (Żubrówka)香りのあるウオッカを加えていました。また卵白を入れると固くなるので卵黄だけ、ジャムは近くの森でとれたブルーベリーの自家製ジャムを入れていました。ですから夫にとってポンチキもピエロギもブルーベリーのジャムが入ったものと決まっていました。これが一番美味しいと!各家庭で生地もフィリングも違うようです。
ポンチキのレシピ(約18~24個)*上記の本通りのレシピではありません。
・薄力粉 5カップ ・ドライイースト 小匙4 1/2
・塩 小匙 1/2~1 ・卵黄6個 ・砂糖3/4~1カップ
・牛乳 1 1/2カップ ・有塩バター 1/2カップ ・バニラオイル適宜
・オレンジの皮すりおろし 小匙1 ・ウオッカ等 大匙1~2
・ジャム ・粉糖 ・揚げ油
① ボウルに温めた牛乳とドライイースト、大匙2杯の砂糖、1/4カップの薄力粉を加えて混ぜ、5~10分置く。
② 大きめのボウルに卵黄を溶き、残りの砂糖、塩、バニラを加えてよく混ぜる。ここに①とバターと残りの薄力粉、オレンジの皮、ウオッカも加えて生地がなめらかになるまでこねる。約2時間一次発酵する。
③ 記事を1.5~2cm位の厚さに伸ばして7~8cm の丸形で抜く。
④ 25~30分二次発酵する。
⑤ 160℃位の油で両面がきつね色になるくらいまで揚げる。
⑥ 絞り袋に丸形の口金を付けて、お好みのジャムを入れドーナツの側面からたっぷりと絞り込む。
⑦ 最後に粉糖やアイシングやチョコレートなど好みのものをかける。
以上のレシピはほんの一例です。一個の大きさによって出来上がる個数も違いますし、塩味や甘味は自分の好みに調整してください。ウオッカやオレンジを使わないレシピもあります。お子様用にはウオッカは入れない方が良いでしょう。
今年も喜んで食べてくれる夫はいないので、ポンチキは作りません。家族のために何かすることを犠牲と感じている人もいるようですが、私は逆に家族のために何かできることが喜びでした。自分を犠牲にしていると思ったことは一度もありません。夫が喜べば私も嬉しい。夫のためにも何もしてあげられないことが今は本当に寂しいです。皆さん家族のために何かしてあげられることは喜びです。主に感謝しましょう
歴代教皇様の講話集はペトロ文庫より出版されています。以前はよく読んでいたのですが、フランシスコ教皇様になってからあまり読んでいませんでした。
先月洗礼について教皇様が何を話されているのか知りたくて『ミサ・洗礼・堅信』という講話集を(あまり期待せずに)読み始めました。ところがミサについての個所がとても良くて、ミサの素晴らしさにあらためて気づかされました。
ミサについての本は沢山出版されていますが、この講話集は教皇様が様々な人たちを対象に話されているので、優しい言葉で要点をついた内容です。あらためてミサの素晴らしさ、ミサに与る心構えを学びました。
ミサに関する内容の一部
1 ミサはもっとも崇高で卓越した祈りであり、まさに、みことばと、イエスのからだと血を通しての、神との愛の出会いなのです。
2 祈るということは・・・沈黙するすべを心得ていることです。イエスとともにあっての沈黙です。ミサに行くと、五分ほど前に到着して、隣の人とおしゃべりを始めるかもしれません。でもその時間はおしゃべりの時間ではありません。・・・イエスと会うのに備えて集中する時です。沈黙はとても重要です。
3 ミサをささげに聖堂にはいるときには、こう考えましょう。「イエスがわたしたちのためにいのちを投げ出してくださったゴルゴタへ行くのだ」。そうすれば、見世物ではなくなります。この実に美しもの、つまりイエスの勝利であるミサからわたしたちを遠ざけてしまう、おしゃべり、批評、そうしたものは消えていきます。
4 主日に感謝の祭儀を行うことは、教会生活の中心です。・・・キリストなしでは、わたしたちは日々の疲れに、また日常の心配事や将来への不安に支配されてしまいます。主日に主に会うことで、自信と勇気をもって今日を生き、希望をもって前に進む力が与えられます。だからこそわたしたちキリスト者は、感謝の祭儀を通して日曜日に主に会いに行くのです。・・・私たちが本当に必要としているものを神から受けるためにミサに行くのです。
5 ことばの典礼では聖書は、書であることをやめ、神が発した生きることばとなります。・・・そして、わたしたちは信仰をもってそのことばを聞くのです。・・・神が語り、わたしたちは神に聞き、そして聞いたことを実行に移すのです。・・・ミサで朗読が始まったら、神のことばに耳を傾けましょう。
6 品位ある朗読台、朗読用聖書の使用、よい朗読者と詩編唱者の準備が必要です。ことばを間違って読んだり、全然わかっていなかったりする人ではなく、読み方を心得ている人が必要です。・・・ふさわしく朗読するためにはミサの前に準備し、練習すべきです。そうすれば、聞こうとする静かな雰囲気が作られます。
7 教会は、信者がそのミサで聖別されたパンから主のからだを拝領し、できれば聖体拝領が両形態でおこなわれて、聖体の宴のしるしがより完全な形で表されることを強く望んでいます。カトリック教会の教義では、いずれかの形態のみでも欠けることのないキリストのすべてが拝領されることになっているとしてもです。
8 信者は列を成して聖体に近づきます。そして司教協議会の決定に従って、敬意をもって立って、あるいはひざまずいて、口か、許可されていて本人が望むなら手で秘跡を受けます。
本にはミサの始まりから閉祭まで詳しく書かれてます。
私が抜粋した個所、特に2と5と6は私の小教区にも当てはまることです。ミサ前のおしゃべり、朗読用の聖書ではなくパンフレットを使い、聴衆は神のことばを聞かずに、パンフレットに目を落として、一斉にページをめくる音がガサガサ....典礼の勉強会で「パンフレットは置いて、朗読者の神のみ言葉を聴きましょう」と教わったことを話しても何も変わりません。教皇様が話されても変わらないのに私が話して変わるわけないですよね。
最近とても良いお話しの動画を見つけました。前回「愛」についての話をされていたフィリピンのソクラテス・B・ビジェガス大司教様の動画(Father Soc)です。どのお話しもとても良い内容でわかりやすいです。ここに紹介するのは①誰にでもある痛みについてと、②聖年の巡礼者である私たちに向けてのお話し、そして③希望についてです。
①
https://www.youtube.com/shorts/FzgO3dnRDDE
②
https://www.youtube.com/shorts/Hbuj9Ew-xvc
③
すでにわかっている事でも、ビジェガス大司教様のことばで語られると、あらためて心にすっと入ります。チャンネル Father Soc を登録しました。 今までの大司教様のお話を聞くのが日課となってしまいました。(こういう説教をいつも聴きたいな~
)
今話題になっているアラン・ドロンにそっくりなオランダ人のモデルAdonis Wildeさんです。あまりにもそっくりなので、ひょっとしてAI なのでは? と疑われるほどです。真実はどうなの?
それにしても科学の進歩によって世の中が便利になったのはとても良いことですが、進歩と共に新しい犯罪も多くなりました。AIを使ったなりすましやフェイクニュース、論文の盗用等々。AIが悪いのではなく、それを使う人の倫理観が問われています。AIに限らず科学の進歩は良いことです。それらをどう使うか神は私たちに選択の自由を与えています。神のみ旨を選ぶか悪魔の囁きに従うか?どちらを選ぶにしても主の最後の審判はすべての人にあることを忘れずに!
今日はヴァレンタインデイです。愛とは何でしょう?ビジェガス大司教様のお話しです。
巡礼指定教会:鹿児島カテドラルザビエル教会
聖年になってからよく全免償の話を聞きます。聖年の間に条件[恵みの状態にあり①どんな小さな罪も避ける決心と全免償を受けたいとの望みを持つ②ゆるしの秘跡に与る③聖体拝領をする(ミサ以外でもよい)④教皇の意向のために祈る]この四つの条件を満たして、巡礼指定の教会・聖堂を訪問すれば全免償を受けられます。
では聖年以外の年での全免償はどうなのでしょうか?
上記の①~④の四つの条件+全免償を満たす行いがあれば受けられます。全免償を満たす行いとは例えば・30分以上の聖体礼拝・11月1日~8日の間のお墓参り・十字架の道行き・教会や家庭、修道院共同体などでロザリオの祈りを唱える・キリストの聖体の祭日に聖体行列に参加する等々他にもまだ色々あります。これらは聖年でも聖年でなくても受けられる全免償です。(詳しくは『内赦院規定・免償の規定』をご覧ください)
そしてもっともよく知られていて、毎年受けることのできる全免償が降誕祭と復活祭に行われる教皇様の「Urbi et Orbi」です。
同じく四つの条件を満たしていれば教皇様の祝福Urbi et Orbiを受けて全免償をいただけます。わざわざローマまで行けなくても、ラジオやTV、インターネットを通して教皇様のUrbi et Orbiを受けられるのは素晴らしいお恵みですね。できるだけ多くの人たちを煉獄から天国へ導きたいという主の愛を感じます。
毎年降誕祭と復活祭には「Urbi et Orbi」を受けるようにしていますが、なにしろローマとの時差があるため、うっかり逃したり他の事で祝福に与れないこともよくありました。しか~し、今年の復活祭は逃さないようにしっかり予定を組んで準備をします。٩(`・ω・´)و
Urbi et Orbi