すべてに時がある
コヘレト3章についての小寺神父様のお話しです。いつもさっと読み過ごしてしまうコヘレト3章でしたが、小寺神父様の話を聞いて、著者が伝えたかった意味がよくわかりました。
やはり聖書はただ自分でさっと読めばよいというのものではなく、そこに書かれている意図をよくくみ取ることが必要だと実感しました。そのためにも正しい説明や解説をしてくれる導き手が必要だとつくづく思います。
主日のごミサで読まれる個所は説教の時にそこについての話がありますが、ごミサで読まれないところはブログやYouTubeなどで学んでいます。ただし小寺神父様のように正論だと安心して学べますが、個人的な(カトリック教会の教えとは違う)解釈を話す人もいるので、そこは見極める必要がありますね。