コインブラと鹿児島
今回のワールドユースデイリスボン大会で日本からの参加者がお世話になったポルトガルのコインブラは鹿児島と繋がりがあることを知りました。
日本で初めての受洗者ベルナルドは鹿児島(薩摩藩)の武士だったようです。聖フランシスコ・ザビエルが日本に滞在した間に、いつも師に付き添いました。1551年ザビエルは日本を離れる時ベルナルドを含め4人の日本人をゴアまで同行させました。ゴアでザビエルと別れた3人(1人はザビエルに同行)はイエズス会の学校で勉強します。ザビエルは鹿児島出身のベルナルドと山口出身のマテオ2人をヨーロッパへ行かせるつもりでした。しかしゴアでマテオは客死します。そして1553年9月ベルナルドは1人リスボンに着き、コインブラの修道院で暮らしながらイエズス会の養成を受けました。
彼の信仰心と向学心は素晴らしく、1554年イエズス会に入会を許されます。そして聖イグナチオ・ロヨラの要請でローマへ。ベルナルドがイグナチオに会った頃にザビエルの訃報がローマに届きました。ベルナルドはもともと健康には恵まれていなかったので、ローマでの勉学を長く続けることができず、スペイン、リスボンを経てコインブラに戻ります。ヨーロッパ最古のコインブラ大学で勉学を続けますが、しかし健康は回復できずに1557年2月(3月?)に帰天しました。お墓はコインブラにあります。
小平卓保神父様は『鹿児島に来たザビエル』の中で次のように書いています。
「ザビエルを巡る人物群の中で、私は個人的にはベルナルドに格別の親しみを覚える。彼は日本の、それも鹿児島の最初のヨーロッパ留学生であり、しかも神父を志していた。・・・・・ヨーロッパでのベルナルドの評判はあまりにも良い。日本発見後わずか12年目の1555年に、イタリアとローマを訪れた最初の日本人ベルナルドに、当時の資料は惜しみない賛辞を贈っている。幕末、ヨーロッパに留学した19人の薩摩藩士の碑が西駅(中央駅)前に建っている。彼らよりも300年前のベルナルドのことも、県民皆が知って誇りにしてほしいものである」
私を含め信者の中にも鹿児島のベルナルドを知らなかった人は多いと思います。日本で初めて洗礼を受け、日本で初めてヨーロッパへ留学し、日本人で初めてイエズス会の会員となった薩摩のベルナルドをもっと誇りにしましょう。