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2014年8月

2014年8月31日 (日)

助祭叙階式

 確か今日、韓国テジョン教区徳山聖堂で鹿児島教区のベネディクト神学生の助祭叙階式がありました。「おめでとうございます!ベネディクト神学生」。四十歳代での勉強は大変でしょうが頑張ってください。ベネディクト神学生に続く人たちが何人もいます。彼らの良き手本となって司祭叙階まで主のお恵みが豊かにありますようにお祈りしています。本当に嬉しいことですね。

2014年8月30日 (土)

『アウグスティヌス講話』

 

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  随分と昔の本です。『アウグスティヌス講話』 山田 晶著 とても評判が良くて再版を繰り返しています。単行本と文庫本も出ています。

 最近カトリックの中で「神は慈悲深くすべてを創られました。ご自分が創られたものを滅ぼすはずがありません。ましてや慈悲深い愛である神が人を裁いて地獄にやるはずがありません。地獄などありませんよ。安心して、みんな救われます」というような話を聞きます。

 「違うよな~」うまく言えないけれどこの考えは間違っていると思うのです。確かにこういうことを言われれば私たちは安心します。そう言ってくれる人を優しい人だと思います。でもこれはあくまでも私たち人間レベルでの考えのように思うのです。カトリックの神はそんなことは言っていないと思うのです。

 私がうまく説明できない事を山田晶先生は『アウグスティヌス講話』にわかりやすく書いてくださっています。さすがに日本を代表する哲学者です。私のような平凡な主婦にも解るように、しかし深く鋭く説明してくださっています。

 「煉獄と地獄」というところを読むとよくわかります。

神は無限にあわれみ深いものであるから、地獄など作るはずはない。しかしそういう考え方は、・・・・・神の持っていられるもう一つの側面、非常に厳しい側面、またその厳しさに裏付けられた神の真実の愛、そういう側面が消えてしまうのではないか。すべてのものを包容するといいながら、そこに観念的でセンチメンタルな要素が入ってくるのではないか。「私」のセンチメントに満足を与える「私の神」になっているのではないか。・・・・・・人間は、どんなにつまらない人間であっても、或る意味においては神にそむくことができるような、それだけの力を与えられています。・・・・・・そうすると、地獄に落ちることができるということは、或る意味で人間に与えられている本性の、他のすべての自然本性にまさる卓越性を意味することになります。それが、ただ人間だけが「神の似像(イマゴ・デイ)」に造られたということの意味でもあると思われます。・・・・・・それほどの仕方で神に背くことのできるような、それだけの責任、すなわち、自分のしたことに対する責任が神から人間に化せられていることは、他のすべての被造物(天使を除く)にまさる人間の偉大さであると思われます。もしそうではなくて、どんなことをしても最後には全部許されるのであるとしたら、そういう意味での責任は消えてゆくのではないか。 [『アウグスティヌス講話』第二話煉獄と地獄から抜粋]

 私の拙い抜粋でわかりにくいかもしれません。興味のある方はぜひ本書を読んでみてください。他にペルソナとペルソナ性、創造と悪、終末と希望などが書かれています。お薦めの一冊です。

2014年8月29日 (金)

オスカー君

 盲導犬オスカー君の事件はひどいですね。郡山司教様のブログでの意見に同感です。私もこのニュースの一報を聞いた時に「器物損壊?」と、一瞬わが耳を疑いました。法律用語では犬も所有者のモノになってしまうんだ・・・。事件の悲しみを増幅させるような言葉ですね。

 元気になって良かったね、オスカー君(´∀`)

 

Photo FNNニュース you tubeより

2014年8月28日 (木)

聖アウグスティヌス

 

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 聖アウグスティヌスはあまりにも有名なので今さら紹介するまでもないでしょう。哲学を勉強しなくても『告白』を読む人はたくさんいます。そしてそれがきっかけにカトリックの洗礼を考える人もいます。私が昔、西洋史を教わった先生も大学時代にこの本を読んでカトリックを知り、洗礼を受けたと話してくださいました。

 今日から私も『告白』を読み返してみることにします。きっと若い頃に読んだ時とはまた違う発見や感想を持つと思います。

 みなさんにも『告白』お勧めします。o(´∀`o三o´v`)o

 早速『告白』を借りようとA市立図書館へ。ところが「無い!Σ(°д°lll)ガーン 借りられているのではなく、置いていないのです。信じられない!!『告白』を置いていない図書館なんて!

 市とはいっても田舎の市立図書館・・・。これが現実ですね。仕方がないので我が家の押し入れにしまいこんである段ボール箱を引っぱり出して『告白』を探します。暑いのに・・・ヤレヤレ(;´Д`)ハァハァ・・・

2014年8月27日 (水)

聖モニカ

 聖モニカは聖アウグスティヌスのお母さんですね。アウグスティヌスは『告白』にお母さんについて書いています。彼女は息子の放蕩にどれ程心を痛めたか・・・。また夫の暴力にも。

 

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  母モニカはマニ教に与する息子を激しくいとい、同居を拒絶していました。そして息子を救ってくれるように涙を流して神に祈りました。母は夢を見ました。夢を見てから希望を抱き息子といっしょに暮らすようになりました。アウグスティヌスは言っています。「母が夢をきっかけに私と暮らしを共にするようになった。私と共に食事をしてくれるようになった。それは自分の魂を深い闇から救ってくれた神の恵みと考えている」と。

 その夢とは・・・「彼女が木製の定規の上に立って沈み込んでいると、輝く若者が現れて『なぜ毎日涙を流しているのか』と尋ねた。彼女が息子の滅びをなげいているのだと答えると若者は『安心するように、よく注意して見るように、母のいるところに息子(アウグスティヌス)もいるではないか」と。そう言われて注意して見ると、息子は彼女のそばに、おなじ定規の上にたっていた」。 

 母の夢の話を聞いた息子は母がマニ教になると解くが、母はきっぱりと「いえ、違います。若者は私に『彼のいるところに、あなたもいる』とはいわなかった。『あなたのいるところに、彼もいるようになる』といったのです」。こうして母モニカは息子の将来に希望を持ったのです。(アウグスティヌス『告白録』〈わたし〉を語ること 松崎一平著)

  聖モニカは妻として母として諦めることなくただひたすら主を信頼して夫や息子のために祈りました。主は彼女の祈りを聴き入れて、夫は亡くなる1年前に、アウグスティヌスも回心して33歳の時に洗礼を受けました。

 聖モニカは母親・妻とはこうあるべきだと教えてくれます。私の母の霊名はモニカでした。きっと私の母も私や父のためにいつも祈っていてくれたのでしょう。

 私も平和な家庭を築くために夫や子どもたちのために祈り続けます。もし家庭にトラブルのある方、決してあきらめずに主を信頼して祈り続けてください、聖モニカにように。

2014年8月25日 (月)

ルルドのお土産

 ルルドに巡礼に行かれた方からお土産にいただきました。裏にメダイが入っています。

Cimg4708  私はルルドには行ったことがありません。一度は行ってみたいのですが。イスラエル、ルルド、ファティマ、そしてサンティアゴ・デ・コンポステーラと巡礼したいです。でもおそらくその機会はないでしょう。

 でも、こうして行かれた方のブログで巡礼の様子がわかるのは楽しいですね。私も行ったような気になります。

 私の母も今から30年以上も前にルルドに行きました。その時に買い求めた絵葉書がまだあります。それを眺める時母の事を色々と思い出します。

 今日は大雨の災害で苦しみ悲しんでおられる方々のために、主が慰めと希望を与えてくださるようにこのルルドのマリアさまに取り次ぎをお祈りします。

2014年8月24日 (日)

古~い本『ミサ聖式』

 最近カトリックの古い本を読むのが面白くてはまっています。

 今読んでいるのが『彌撒聖式』昭和13年発行のミサ典礼に関する本です。はしがきに「聖(とう)とき御ミサの好果を頂かんとする拝聴者は、此の禮拝式をよく理解しなければならないのは云う迄もない」と書かれています。

 いくらミサの所作は変化しているといっても、ミサの意味やその心は何も変わってはいません。昔の説明は丁寧で、しっかりと教えています。私がわからなかったことも改めて知ることができました。ではその内容を少しだけ紹介します。

御ミサを行ふ司祭も、是に仕える侍者も、拝聴する信者も此の時こそ皆一様に天主の豊かな御恩寵を受けるのである。・・・・・又我等の拙い肉眼には見えないが、祭壇の周囲には澤山の天使が天降り、我等と共に天主を拝禮し奉るのである。されば信者は主日、祝日は勿論の事、出来るだけ平日も聖堂に詣り、心を静めて謹んで是を拝聴せねばならないのである。

・・・・・・・

祭壇はイエズス・キリストの象(かたどり)であるから、その功徳に頼りすがるの誠意(まごころ)を表わすのである。それから祭壇に接吻するが、是れはキリストと司祭とは完全に一致し、此より捧げる祭は人間たる司祭に非(あら)ずして、キリスト自身捧げる事を示す。

 他にも「主が我等と共に居て下さる。何と云う幸福であらう」とか、使徒信經(信仰宣言)をとなえる時には「『即ち聖霊によりてやどり』をとなえる時は主が御托身遊ばされて己を無きものと為し給ふたのを尊ぶ為に、信者も司祭と共に跪くのである」と、書かれています。額・口・胸の十字の印の意味や、聖変化の時のベルの意味、なぜそうするのか、意味をしっかりと教えています。ミサについてあらためて学ぶ事の多い本でした。

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2014年8月23日 (土)

天の元后聖マリア

『聖母の戴冠』

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 マリア様の肉体と霊魂が一緒に天の栄光に引き上げられた日「聖母の被昇天」から8日目の昨日22日は「天の元后聖マリア」の日でした。

 天にあげられたマリア様は、すべての人のために恵みを取り次いてくださる女王となりました。元后あるいは女王の称号は教父や教会博士たちが好んでよく使ったので、一般の人々にも親しまれています。そしてこの場面を描いた絵もよく見られます。

 マリア様に取り次ぎを祈れる私たちは幸いです。

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2014年8月21日 (木)

聖ピオ十世

 聖体拝領は天国への最も短くそして最も安全な道である(聖ピオ10世)

 聖ピオ10世教皇(1835年~1914年)は「聖体の教皇」と呼ばれました。清貧でいつも貧しい人たちのそばにいて、彼らのために働き祈った方です。

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 聖ピオ10世教皇の教えは現代の私たちに向かって話されているように感じます。告解やご聖体が軽んじられ、典礼がバラバラになり、聖書を勝手に解釈する司祭が増え、カテキズムをきちんとしない結果秘跡もよく理解していない信徒が増え、結果ミサに与る信徒は減っています。

 聖ピオ10世の教え(ピオ10世会とは別)は今の私たちにこそ必要だと思います。聖ピオ10世教皇様に取り次ぎを祈りましょう。

2014年8月20日 (水)

気になるブログ

 先日、ちょっと気になることがあり、ブログ「Rick's Cafe」http://blogs.yahoo.co.jp/gh_punks/53438319.html をのぞいてみました。以前からこのブログに書かれていることは「もっともだ」と共感していましたし、Rickさんのような信者さんがいて、ブログに意見を書いてくださりとても心強く思っていました。

 ところが今回見てみてビックリ。ずっと更新されていないのです。どうしてやめたのでしょうか?多忙?病気?嫌がらせを受けた?それともただなんとなく・・・。とても残念です。

 信者さんのブログはたくさんありますが、私は彼の信者としてのまともな考え方と、穏やかな表現が好きでした。また是非再開してほしいです。

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2014年8月19日 (火)

食欲なくてもこれは別

 暑い暑いばかり言っていますが、暑いと当然食欲もなくなり、冷たい飲み物や果物に手が伸びてしまいます。

 甘い物なら食べられると思うのです(私だけかも)。そして妙にケーキを作りたくなるのです。ご飯はいらないけれどケーキならOK。まるで子供ですね。

 そして結局作りました。チョコレートケーキheart カップケーキの分量なのでバターのかわりにオリーブオイルを使い少しだけヘルシーにしました。

Cimg4670 ガラスのカニさんが涼しそうでしょう?

2014年8月18日 (月)

DVD『大いなる陰謀』

 久しぶりにレンタルDVD店へ。特に借りたい作品はなかったのですが、出口近くにあったこの作品に目が留まりました。メリル・ストリープの写真に気が付いたからです。今まで彼女の作品ではずれたことはありません。監督もなんとロバート・レッドフォードです。あの『追憶』に出ていた・・・懐かしい・・・。社会派の彼が監督をしている作品なら期待できます。

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 丁度アフガニスタンにアメリカが軍事介入する時の話です。考えさせられる映画でした。特にヴェトナム戦争を知っている私の世代は、大学教授役のレッドフォードの話す言葉に納得できます。生徒のトッド(『BOY A』のアンドリュー・ガーフィールド)のような若者たちが多いのは今も同じです。そしてアフガンで戦う二人の学生、彼らのような考え(間違った平等感)を持ったりする若者もいるということ。戦争を体験した教授は間違いを繰り返さないように、行動することをトッドに期待します。そして大統領になる野望を持っている政治家(トム・クルーズ)とアメリカのイラク介入時の報道の間違いを繰り返したくないジャーナリスト(メリル・ストリープ)との密談。

 戦争をしたがる人、知らず知らずにそれに協力する人、本質を見抜く人、間違いを繰り返さないために行動する人・・・。様々な人たちがいます。これが現実です。この映画を見て何を感じるでしょう。自分はどの人に似ているのだろうか・・・。

 特に今8月、この映画を見て皆さんにも考えて欲しいです。今までの戦争のこと、これからの未来のこと、特に未来ある若者たちに。

2014年8月17日 (日)

ご聖体顕示の日

 今日は第三日曜日、私の教会ではご聖体顕示の日です。ごミサの後にご聖体を顕示して祈ります。最後に祝福があります。

 私は世界中で戦争やテロのために苦しんでいる人たちのために祈りました。「平和を」「平和が大切」「命は尊い」と皆口にするのに、なぜかテロや戦争は増えるばかりです。

 まるで「自分やまわりの人達だけ平和であれば良い、他の国や自分に関係のない人たちがテロや戦争に巻き込まれてもかまわない・・・」といった態度です。悲しいことです。「自分さえ良ければ」という考えが広まっています。貧富の差があっても気にもとめない、自分が豊かであれば他の人が飢えていても気にもとめない社会。何でもかんでも「勝ち組・負け組」で片づけてしまう価値観。

 マリア様は涙を流されました。私たちに回心(改心)を望まれました。フランシスコ教皇様も私たちに呼びかけています。見えないふりをしないように、聞こえないふりをしないようにしましょう。苦しんでいる人たちのために祈りましょう。

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2014年8月16日 (土)

列福ミサ

 今日16日はパウロ・ユン・ジチュン(尹持忠)と123人の同志殉教者の列福ミサがソウルでありました。私たち日本人にとっては余り馴染みのない福者ですが、韓国の信徒にとっては誰でも知っている信仰の模範・希望の人達でしょう。尹持忠と123人の殉教者は、朝鮮王朝時代の18~20世紀に儒教の秩序を乱したとして処刑されたそうです。

  彼についてKorea.netに詳しく書いてあったので、ここに載せます。

尹持忠とは、いったいどんな人物だったのか。尹持忠(1759~1791)は、朝鮮で最初に殉教したカトリックの信者だ。洗礼名は「パウロ」。名門である全羅南道海南尹氏の家門に生まれる。朝鮮最高の詩人ユン・ソンド(尹善道)が6代祖で、傑出した画家ユン・ドゥソ(尹斗緖)が曽祖父にあたる。彼の両親は、君主に忠誠を尽くしてほしいという願いを込めて「持忠(ジチュン)」と名づけた。儒教的価値観に徹していた彼は、24歳のときに官僚になるための最初の試験「進士試」に合格するが、中国で活動していたイエズス会の宣教師マテオ・リッチ(Matteo Ricci、中国名「利瑪竇」:1552~1610)の著作『天主実義(The True Meaning of the Lord of Heaven)』を読み、カトリックの教理を学んで入信する。1791年に母親が死亡すると、伝統的な儒教式の葬儀を拒否する。そのために親戚や儒林から親不孝と非難され、儒教の倫理に背いたという罪で告発される。カトリックの信仰を捨てろという周囲の説得にもかかわらず、信仰を守り抜き、最後は死刑に処される。 - See more at: http://japanese.korea.net/NewsFocus/Policies/view?articleId=118276#sthash.acQeDDoN.dpuf

 (Korea.net より)

 私たちも彼らのような強い信仰を持てるように、彼らに取り次ぎを願いましょう。

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2014年8月15日 (金)

聖母の被昇天ミサ・韓国

 韓国テジョン(大田)で行われた「聖母の被昇天のミサ」をyou tubeで見ました。韓国らしく整然として、とても落ち着いた品のあるごミサでした。

 聖母子像はとても優しくあたたかな感じがして見入ってしまいます。朗読台の前には松の盆栽だけ飾ってあり、質素な中に豊かさを感じました。合唱団の女性たちのチマチョゴリも素敵でした。

 明日の列福ミサが楽しみです。

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聖母の被昇天

81  今日のこの祭日は無原罪でキリストの母である聖母マリアが身体も魂も共に天にあげられた事を祝います。

 マリア様の被昇天は、私たちが天の国にあこがれていつか天の国の栄光に入ることができる希望を与えてくださいます。

 マリア様は私たちのお母さんです。いつも私たちと共にいてくださいます。嬉しい時、悲しい時、苦しい時いつでもアヴェ・マリアの祈り(天使祝詞:めでたしの祈り)をとなえましょう。しばらく教会を離れていた方のために新しくなった祈りを載せます。

アヴェ・マリアの祈り

アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、 主はあなたとともににおられます。

あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子イエズスも祝福されています。

神の母聖マリア、わたしたち罪びとのために、

今も死を迎える時も、お祈りください。   アーメン

典礼聖歌371番 しあわせなかたマリア
YouTube: 典礼聖歌371番 しあわせなかたマリア

2014年8月14日 (木)

聖マクシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教

  聖母の被昇天の前の日がコルベ神父様の記念日です。ポーランド人の神父様は1947年8月14日にアウシュビッツの餓死室で亡くなりました。

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聖コルベ神父様

 聖コルベ神父様は姶良カトリック教会の守護聖人でもあります。教会内にはコルベ神父様の聖遺物の髪があります。コルベ神父様に取り次ぎを祈りたい方はこの教会に来られると良いかもしれません。姶良カトリック教会は鹿児島県姶良市にあります。

2014年8月13日 (水)

アジア・ユース・デイ

 

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 いよいよ韓国で第6回アジア・ユース・デイが始まります。14日にはフランシスコ教皇様も参加されます。

 日本からは郡山司教様、司祭をはじめ約100人の若者が参加します。15日の聖母の被昇天のミサはきっと素晴らしく感動する事でしょう。

 フランシスコ教皇様は14日から18日まで滞在されるそうです。これをきっかけに日本と韓国の関係が改善されることを期待します。お互いに傷つけ合うのはやめましょう。ゆるし合いましょう。私たちは兄弟姉妹なのですから。

 16日にはパウロ・ユン・ジチュン(尹持忠)と123人の同志殉教者の列福ミサがあげられます。日本も韓国も沢山のキリスト教徒が迫害を受けて殉教しました。私たちの目指すものは同じ、一つです。それはキリスト。

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 私たち兄弟姉妹が互いにゆるし合い愛する事が出来ないで、どうしてキリストの愛について語れますか?キリストを信じていると言えますか?ミサの中で「平和の挨拶」があります。心からそれを望み、あいさつを交わしたいですね。

2014年8月12日 (火)

フランシスコ教皇の十戒

 CNNのホームページにフランシスコ教皇様のインタビューの記事の紹介があり、その中で「幸せのための10ヶ条」(幸福のための十戒)という話が紹介されていました。 以下CNNから。

(CNN) ローマ法王フランシスコがこのほど、アルゼンチン誌のインタビューに答えて「幸せのための10カ条」を披露した。米ミドルベリー大学講師でキリストの生涯についての著書もあるジェイ・ペリーニ氏が、解説を交えてフランシスコ法王の言葉を紹介する。

1.人を裁かない

 フランシスコ法王は同性愛に関して「自分は裁くべき立場にない」と発言している。キリストも「山上の説教」の中で、「人を裁いてはならない。自分が裁かれたくないのなら」(マタイ7章)と語った。

2.他人のために身を捧げる

 自分のお金や時間を必要としている人に与える。よどんだ水のようにじっとしていてはならない。

3.静かに行動する

 20世紀初頭のアルゼンチンの作家リカルド・ギラルデスの小説から引用。人は若い頃は「あらゆる場所を急流のように流れる」が、年を取るにつれて「静かに穏やかに流れる川」になる。

4.余暇を楽しむ

 大量消費社会は耐え難い不安をもたらした。子どもたちと遊び、休息を取らなければならない。次の買収のことばかり考えて過ごしてはいけない。お金ではなく、時間をうまく使う。

5.日曜日は家族のために

 これは十戒の一節「安息日を設けよ」(出エジプト記20章)に由来する。週に1日は心の求めに応じ、瞑想(めいそう)、礼拝、家族との生活のために充てる。

6.若者に仕事を

 若者が健全でいるためにはシンプルな仕事が欠かせない。フランシスコ法王はインタビューの中で雇用創出を環境破壊と結び付け、良い仕事がないのは、自分たち自身や地球に対する尊敬の念が欠けているからだと指摘した。生産的な良い労働にこそ価値があり、華やかな仕事に就く必要はない。金持ちになる必要はなく、普通でいい。幸福はそこにある。良い仕事を持ち、他人のために良い仕事を創出する。

7.自然に敬意を払う

 これは第6項にも関連する。フランシスコ法王は、「人類は無差別で横暴な自然利用によって自殺を図っているのか」と問いかける。多大な苦しみを伴わずに空気を汚したり、河川を汚染したり、樹木をむやみに伐採したりすることはできない。私たちの周りの不安や苦しみは、元をたどれば資源の不正利用に起因するのではないだろうか。私たちは自分の魂を浪費しているとも言える。

8.悪いことはさっさと忘れる

 自分を困らせたり苛立たせたりする相手について不平を言ってはいけない。そうしたことはできるだけ早く忘れ去る。人のことを悪く言う人は自分自身がみじめになり、私たちもみじめになる。

9.信教を強要し過ぎない

 改宗への勧誘は停滞を招くとフランシスコ法王は説く。自分はキリスト教徒だと公言したとしても、人にはそれ以前に個々の世界観がある。この教えは一見、キリストが世界への布教を促した「大宣教命令」(マタイ28章)に矛盾するように思えるが、フランシスコ法王はこの活動を緩やかに解釈し、実例による教えの方をよしとした。それがキリストの真意だったのかもしれない。

10.平和のために働く

 フランシスコ法王は法王に就任した日からこの教えを説いてきた。エルサレムに行ってユダヤ人とパレスチナ人の連帯を働きかけ、平和のために祈り、平和のために働いた。「平和をつくる者は幸いである」というキリストの言葉そのままに。

 最後の「平和のために働く」は、働くことが大切なのだと気づきました。平和が実現しなくても、失敗しても、結果よりも平和を築こうと努力し続けることが大切なのですね。「どうせやっても無駄」と考え、何もしないのはいけない事ですね。

 私も平和のために祈り続けなければいけないと教えられました。

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2014年8月11日 (月)

聖キアラ

 

Photo_2 聖キアラ(1194年~1253年)

 聖キアラ(クララ)は、1194年イタリア・アッシジの貴族の家に生まれました。18 歳のときに聖フランチェスコに出会い、フランチェスコのキリストに倣う徹底した清貧の生き方に感銘を受けた彼女はすべてを捨ててフランチェスコに従いました。そして1215年にサン・ダミアノ聖堂に女子修道会「キアラ会(クララ会)」を作りました。後にキアラのお母さんや姉妹も修道院に入りました。

Mainimg 日本にもクララ会はあります。シスター達は聖キアラの精神を大切に、毎日心をこめて祈っています。