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2013年11月

2013年11月10日 (日)

サツマイモ

 以前「芋たこなんきん」というドラマがありました。田辺聖子さんをモデルにした話で、女性が大好きなサツマイモとたこ(くり?)とかぼちゃを題にしていました。関西ではたこなのでしょうか?

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「あまちゃん」と同じく視聴率20%越えした作品

 わたしも「芋栗南瓜」が大好きで、芋頃いえ今頃の季節は毎日お芋を食べています。さて、以前娘が種子島に行った時、お土産に安納芋の焼き芋を買って帰ってきました。とても甘くて、じっとりとした食感でした。いつもは黄金せんがんか紅さつましか食べたことがなかったので、その食感と味にびっくり。それ以来サツマイモの種類が気になりだしました。

 今回は「紅はるか」と「甘太くん」を買ってみました。紅はるかは間違いなくお芋の品種ですが甘太くんは品種名というよりも商品名のような気がしますが・・・。どちらにしても両方とも甘いでした。食感は紅はるかはしっとり(じっとりとまではいきません)、甘太くんの方はほっこり、ジャガイモでいうと紅はるかはメイクイーン、甘太くんは男爵ですね。写真の通り色も違います。外観はそっくりなのに。しっとり系は焼き芋に、ほっこり系は天ぷらに向いていると思います。

Cimg3703 紅はるか と 甘太くん

 ところで「大学芋」と言えば、昔は大学祭で輪切りにしたサツマイモを素揚げして塩を振っただけの物を「大学芋」と言っていましたが、いまは素揚げしたサツマイモに飴がけした物(昔は中華芋といっていた)を指すようです。料理名も時代と共に変わりますね。

芋の種類色々

Photo ブログ「農家さんの食卓」より

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2013年11月 9日 (土)

妬み

 ラジオの人生相談で、「40代の息子(初婚)が小学2年生の子どものいる女性と入籍したけれど、許せないし、子どもも自分の孫とは思えない」というお母さんからの相談でした。そのお母さんが許せないのは、相手の女性が再婚で子どももいる事が理由です。彼女自身の性格などではありません。つまり「妬み」です。親戚や友人、近所の息子たちは初婚の女性と結婚しているのに、なぜうちの息子は初婚なのに再婚のしかも子どものいる人と結婚しなければならないのか・・・。絶対にいや、受け入れられないと。

 可哀そうでしょう、このお母さん。私はこの息子さんは子どものいる彼女を選んだ心の広い優しい人だと思いますし、これから4人仲良くしていくために(それが息子さんの幸せ)お母さんも孫を受け入れるように努力しなければならないと思います。

 この「妬み」について酒井神父様が書いています。少し長いですが引用します。

 妬みは原罪のひとつなのです。原罪はなくならない。必ず芽は出てくる。たとえば私たちが他人の家を見て、「いいなぁ」くらいで留めておけばいいのですが、それが何となく自分の家と比べて悲しくなったり.....。・・・・・家族に関してもそうですね、あの家の子どもさん、あるいはお孫さんはこんな大学に入ったらしい.....。・・・・・あるいは会社での役職とか、学歴とか、あらゆることに私たちは妬みを感じるかもしれないです。ですから、芽が出たらつぶしていくしかないのです。

 では、聖書には、どう書いてあるのか。こうしなさいという勧めがあるのです。聖パウロはローマの教会の人に勧めています。簡単な勧めです。

 「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(12・15)

 これが秘訣である。喜んでいる人がいたら、一緒に喜んであげたらいい。「子どもさん、いい学校に入られましたね、よかったですね」、「素晴らしいものを手に入れられましたね、私も嬉しいですよ」と。どうして、それができないのか?それは、「他人」だからでしょう。他人だから妬みが起こるのです。わが子なら妬まないですよ、わが子の喜びは親の喜び。ところが、他人だから喜びが妬みになってしまう。わが子であれば、共に喜び、共に泣くはず。ですから、そこから考えられるのは、他人であっても、私たちと同じ神様の子どもであるという縦のラインを考える。つまり、親が同じだと考えることです。・・・・・聖パウロは別のところで言います。

 「老人を叱ってはなりません。むしろ、自分の父親と思って諭しなさい。若い男は兄弟と思い、年老いた婦人は母親と思い、若い女性には常に清らかな心で姉妹と思って諭しなさい」(1テモテ5・1~2)

 つまり、みんな身内としてみたらいいですよ、そしたら変な心、妬みの心とか清さに反する心も起こらないでしょう、身内なのだから、兄弟なのだから、姉妹なのだから、親なのだから......。そうして初めて、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く」ことができるようになり、妬みにとらわれてしまうこともなくなるのではないでしょうか。 『雇われ羊飼いのみたび言いたい放題』 酒井俊弘著 

 みんなを身内として見ることは難しいことかもしれませんが、そうできるように努力しなければならないと思います。それにはやはり祈ることと、それができるようにお恵みを願うことでしょう。酒井神父様の説教集『雇われ羊飼いの言いたい放題』シリーズ3巻はすべて面白く、かつ教えられる内容です。皆さんにおすすめします。是非是非読んでみてください。私の本をお貸しすることも出来ます。

2013年11月 6日 (水)

雇われ羊飼い~2

 部活で教会に来れない子ども達について、どの教会も悩んでいるようですが、部活を始めてしまうとやめるわけにはいかないでしょう。部活を決める時に話し合わなければならない事だと思います。あるスポーツに才能があれば、それを伸ばしてあげたいと思うのが親心です。部活を選ぶか教会を選ぶか、あるいはどちらも可能な部(JRCや美術部、生物部、英語部等)を選ぶか・・・決めたら迷わない事ですね。

 我が家の子供たちは皆「帰宅部」でした。部活を決める時に、日曜日に練習や試合が無いこと、余計にお金がかからないこと、これらの条件に合う部ならよいと話し合いましたが、結局その条件を満たす部で入りたい所が無かったので「帰宅部」になりました。そのかわりに空手をずっとしていました。空手は団体ではなく個人の試合なので毎回参加しなくても問題ないからです。練習も平日に週2~3回で月謝も二人目からは半額でした。皆黒帯まで続けました。本人たちは入りたい部活に入れずにその時は不満もあったと思いますが今はあれで良かったと思っていると信じています。

 なぜこんなことを書いたかというと、酒井神父様の『雇われ羊飼い・・・』の中で「ミサとは何か」というところがあり、そのまとめとして次のように書かれていました。

〇ミサに与る理由は・・・   

 心の安らぎを得るためではなく、安らぎを与える人になるため。

 罪をゆるしていただくためでなく、罪をゆるせる人になるため。

 神様に受け入れていただくためでなく、神様を受け入れる人になるため。

 必要なものをいただくためでなく、必要とされているものを与える人になるため。

 つまり、自分を捨てて、もうひとりのキリストになるため。

これから部活に入る子ども達には親がごミサの意味と大切さをよく話した上で、よく考えて決めましょう。

Img_5960 各小教区の侍者たち(東京カテドラル) 「ブログNARCISSIST」の写真より

2013年11月 5日 (火)

雇われ羊飼い

 

20130828_86a6fd   酒井神父様の『雇われ羊飼いのみたび言いたい放題』が今年の夏に出ていました。相変わらずおもしろくて、しかもカテキズムの勉強ができます。励まされ、納得して、「頑張るぞ~」という気持ちになります。私にとってまるでビタミン剤のようです。本文の中に次のような文がありました。

・・・・・イエス様の十字架のそばに立った時、私たちは言いたいことを言うためにそこにいるのではない。そうではなくて、むしろイエス様が私に何を求めておられるかを、聴くために私たちはそこにいるべきなのです。・・・・・イエス様にお願いするのもいいのですが、「聴かせてください!イエス様、何をおっしゃりたいですか?」と尋ねないといけない。おそらく、「殉教してください」とか、そういうことは言われないでしょう。でも、もうちょっと良い親になりましょうとか、もうちょっと良い子どもになりましょうとか、もう少ししっかりと役割を果たしてくださいとか・・・・・、私たちそれぞれにイエス様の言葉が聞こえるでしょう。これから続けるごミサの典礼の中で、そして黙想会の中で、イエス様の言葉に注意深く耳を傾けていきたいとおもいます。 『雇われ羊飼いのみたび言いたい放題』黙想会説教より

 聴くことの大切さ、イエズス様は何を私たちに望んでおられるのか。いつもお願いばかりして、感謝して、一方通行のお祈りばかり。これからは私ももっとイエズス様の言葉を聴かなければと思いました。

 ところで酒井神父様が俳句を詠まれることは知っていましたが、これ程にプロ級とは知りませんでした。ホトトギスや朝日俳壇にも投句されています。私が好きな酒井神父様の俳句です。

 車椅子の父の高さに咲く躑躅      酒井湧水

 やはらかな母の指うら衣被         ゝ

 初時雨逝く人想ひパンを割る        ゝ

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2013年11月 4日 (月)

久しぶりにIL DIVO

  生協の共同購入をしているのですが、そのカタログにイル・ディーヴォのCDが載っていました。久しぶりですね。最近聞くことも無く、新曲も知りませんでした。

 日本語で歌っている曲があるらしく、You Tubeで調べたところみつかりました。しかし「花は咲く」はNHKの著作権でアップできません。「故郷」は今の所できますがいつダメになるかわかりません・・・。

「FURUSATO」故郷 Il Divo - Furusato [Live] Japan March 2012
YouTube: 「FURUSATO」故郷 Il Divo - Furusato [Live] Japan March 2012

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2013年11月 2日 (土)

死者の日

 昨日は諸聖人の祝日でした。天国にいる聖人たちのためにミサが捧げられました。聖人達はすでに天国にいます。

 今日は亡くなったすべての人のための日です。煉獄で償いをしているすべての霊魂が早く天国に入れますように祈りました。もちろんすでに天国にいる霊魂もいつか復活の恵みに与りますようにと。煉獄での償いの長さは私たちにはまったくわかりません。ですからいつも祈らなければ。文語での食後の祈りでは、いつも亡くなった人たちのための言葉がありました。ですから私は今でも文語で祈っています。口語の食前・食後の祈りは覚えていません。

食前の祈り

主、願わくはわれらを祝し、また主の御惠によりて

われらの食せんとするこの賜物を祝したまえ。

われらの主キリストによりて願い奉る。 ▲アーメン

聖父と聖子と聖霊との御名によりて。 アーメン。


食後の祈り

とこしえにしろしめたもう全能の天主、

数々の御惠みを感謝し奉る。 ▲アーメン

願わくは死せる人々(信者)の霊魂、

天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。 アーメン。

     公教会祈祷書では「信者」となっていますが私は「人々」と、祈ります。

     「天主」を今は「神」としていますが、「八百万の神」と区別するために 

     「天主」を使います。

2013年11月 1日 (金)

カトリックの良いところ

 

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   今、『人間の分際・神父ー岩下壮一』を読んでいます。その中でこのように書かれた文章がありました。カトリックとプロテスタントの違いがよくわかります。

 第一次対戦の戦火がやんで三年・・・ロンドンのセント・エドモンズ大神学校で、彼は意外な発見をした。・・・・神学生たちの多くが、戦場からの帰還者であり、半数以上が何とカトリック以外の宗派からの改宗者だったということである。・・・・その何人かに、壮一は改宗と司祭志願の理由をたずねたものだ。彼らの答えは、ほぼ異口同音であった。

「・・・・・すぐそばで戦友たちが死んでいく戦場・・・・・信仰の無力さを、いやというほど知らしめた。・・・・・そのとき、目にとまったのが、カトリックの従軍司祭たちの姿だ。硝煙と血の匂いのただよう最前線の塹壕で、死にのぞんだ兵士らひとりひとりに黙々と秘跡をさずけている。

 赦しの十字架のしるしのためにあげられた右手、胸の聖体器から取り出された白い小さなホスチア、そして、臨終の聖なる油…。これらが、いま、孤独のうちに息絶えんとする兵士たちにとって、どれほど大きな宗教的力となっていたことか。

 くらべてプロテスタントの牧師がいくら慰めや励ましの言葉をかけても、こうした極限状況ではほとんど役に立たなかった。

 この現実に、ぼくらは目をさまされたのだ。宗教とは理屈ではない、言葉ではない。神の言葉が肉体となってわれらのうちに住みたまわなければ、ぼくらの真の救いはないのだと。その救いを秘跡によってもたらすのが、カトリック司祭なのだとね。ぼくらは真の救いを自分のため、また、その救いを必要とする多くの人々のために求めてカトリックに改宗し、カトリック司祭たらんと志しているのだよ。」

 カトリック教会が神から託されている人々の真の救いのすべ―それが司祭が言行をもって伝えるべき使徒伝来の教えであり、使徒伝来の権威にもとずく秘跡であるというのが、壮一のゆるぎない信仰であった。

 プロテスタントはミサを捨てました。秘跡をすてました。残念ですね。彼らが戻ってくることを祈ります。