St.Aurelius Augustinus
夜はふけて日が近づいた。だからやみに行われる業を捨てて、光のよろいをつけよう。昼のように慎んで行動しよう。酒盛り、酔い、淫乱、好色、争い、ねたみを行わず、主イエズス・キリストを着よ。よこしまな肉の欲を満たすために心を傾けることはするな。(ローマ人への手紙:13.12~14)
ある日アウグスティヌスが庭にいた時に、隣の家から子供のような声で「取って読め」という声が聞こえました。アウグスティヌスは、これを「聖書を開いて最初に見える言葉を読め」という神の命令だと思い、急いで部屋に引き返して聖書を開きました。最初に目に触れたところが上記の「ローマ人への手紙」の箇所でした。
アウグスティヌスはこの頃、神のみ旨を行おうとする新しい意志と悪い習慣のうちに留まろうとする古い意志との争いに葛藤して、心は揺れていました。ところが このローマ人への手紙の一節を読み終わると、迷いはたちどころに消えて、心は平安に満たされました。
「主イエズス・キリストを着る人になりなさい」とよく言われます。「私のような人間にはむりです」と思う人は多いです。しかし聖アウグスティヌスはあれだけ堕落した生活をしていたのに、回心するとそれからは見事にキリストを着る人となりました。私たちも聖アウグスティヌスを見習い、キリストを着るものとなれるように聖アウグスティヌスの取り次ぎによって主に祈りましょう。
主よ、み前にあやまちを告白します。
そのために受けた傷をも。
おかした罪の重さをはかれば、
その受けるべきものは大きいものを
そのために受ける苦しみは少ない。
おかしたことは大きいのに
そのために耐えるものは軽い。
罪の痛みをおぼえながらも
罪をおかすかたくなさは変わりません。
あなたのムチに打ちひしがれても
心のゆがみは変わりません。
にがい思いに苦しみながらも
かたい心のうなじは柔らかになりません。
悲しみに息も絶えだえになりながらも
行いにおいて自分をあらためもしません。
あなたが、時を許せば、いつまでもなおらず、
きびしく当たられれば、それを耐えられません。
こらしめの時、なおそうと悔やんでも
喉もと過ぎれば熱さを忘れます。
あなたが手を出されると、
すぐにします、と約束するのに、
その刀をひかれると
その約束を果たしません。
あなたが打てば
許してくださいと叫ぶのに
許されれば、また打たれるようなことを
してしまいます。
主よ、罰に値する自分の罪を悟らせてください。
もし、許されなければ、
滅びてしまうことを知っています。
全能の父なる神よ、
無から造られて、あなたに願う
わたしたちの願を聴き入れてください。アーメン。