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2017年10月

2017年10月31日 (火)

カトリックの国

 カトリックの国ポーランド。今も伝統を大切にして信仰を守り続けている国。聖マキシミリアノ・マリア・コルベや聖ヨハネパウロ二世教皇を育てた国です。

 現ポーランド首相の息子さん(Tymoteusz Szydlo)も司祭に叙階されました。

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初ミサ~荘厳で美しいです heart

2017年10月30日 (月)

にゃんこ

 花子が最初に産んだ子猫たちは一ヶ月後に次々といなくなりました。次に生んだ子猫たちは今のところ5匹ともいます。

 毎朝餌をあげに行く時は「5匹ともいるかな?」とドキドキです。

Dscn2076花子(母ねこ)貫之・紫・忠見・俊成・業平 cat 名付け親は娘です。

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業平

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2017年10月26日 (木)

銀杏

 今年も銀杏の季節到来。道の駅では銀杏が並んでいます。私も早速買っていただきました。

 銀杏はペンチで割れ目を入れ、封筒に20粒ほど入れて封筒の口を数回折り曲げて電子レンジへ。500Wで2分位チンすると、ほくほくの銀杏が出来上がります。粗熱が取れてからだと薄皮もきれいにむけます。塩を振ってそのまま食べたり、茶わん蒸しに入れたり、銀杏ご飯にしたりと用途も様々。皆さんも是非秋の味覚を味わってください。

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2017年10月24日 (火)

十字架

 キリストの身体のないただの十字架。これはキリストの十字架ではありません。磔刑の道具でしかありません。

 キリストの身体のない十字架が祭壇に掲げられるようになった時、これをすすめた人の理由の一つとして「キリストが血を流し苦しんでいる姿のある十字架は残酷で、それを見る人は不快に感じる」というものでした。

 なんとも信じられないようなあきれた理由でした。十字架はただのシンボルとなり、キリストが十字架に磔にされた本当の意味をあらわさなくなりました。

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2017年10月23日 (月)

なぜカトリックか

 

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 キリストを信じる人はどれくらいいるのでしょう。カトリック、正教、プロテスタント、そしてどこにも属さない人。

 私がカトリックであり続けるのは、カトリックには秘跡があるからです。「洗礼」「堅信」「聖体」「ゆるし」「病者の塗油」「叙階」「結婚」この七つの秘跡ほど素晴らしいもの、希望を与えるものはありません。罪びとである私たちはキリストから何度でもその罪をゆるしてもらえます。ご聖体はキリストの特別なかたちでの現存です。それを直接いただける恵み。これらのことをよく知ればカトリックを離れるなんてありえません。

 よく「信仰に知識はいらない」といって、カテキズム(信仰教育)が軽視された時期がありました。しかしその結果が洗礼を受けた後に教会を離れてしまう人や離婚する人たちを増やしました。それは秘跡の本当の素晴らしさや罪とは結婚とはどういうものかをきちんと教えてもらっていなかったからでしょう。

 私は洗礼を受けて60年以上になりますが、いまだに日々学び教えられることばかりです。信仰の神秘は尽きることがありません。時には疑問を持ったり、絶望しかかったりすることもありましたが、それでも・・・カトリックであり続けます。きっと多くのカトリック信者さん方も私と同じだと思います。

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もしカトリックがなくなったら・・・私は正教に移るでしょう。

2017年10月15日 (日)

アビラの聖テレジア(大テレジア)

 今日は大テレジアの祝日。なのにごミサの説教でも触れられることなく、なんだか寂しいですね。アビラの聖テレジア大好きですheart

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(秋休み中ですが時々短くアップしてます)

2017年10月13日 (金)

General Audience ~ 日本からの巡礼団

 郡山司教様のブログを見て、早速ヴァチカンからのGeneral Audienceをチェック。可愛らしい双子ちゃんがいました。教皇様から祝福をいただけて幸せですね!

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2017年10月11日 (水)

映画「WAR ROOM」

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 原題は「WAR ROOM」邦題は「祈りのちから」

 なまぬる~い信仰生活を送っている人にお薦めの映画です。祈ることを忘れ、キリストを忘れて生活している人に特にお薦め!!

2017年10月 4日 (水)

聖フランシスコ・アッシジ(記)

 

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 アッシジの聖フランシスコといえば「清貧」。清貧は物を持たないことではなく、物に執着しないこと。それを手ばなす時には執着せずに喜んで手放せることです。富や財産を自分の物と執着せず、主から預かったものと思い、持たない人と分かち合う人が清貧に生きる人だと思います。聖フランシスコとその後のフランシスコ会を支えたのは貧しい人達だけではなく、多くの富かな人々の金銭と祈りがあったことを忘れてはなりません。

 教会の中でよく質素に生活している人が豊かに暮らしている人を軽蔑するような言動を耳にしますが、私は賛成できません。それはまるで神を否定する無神論者と同じ、見せかけだけの平等です。貧しい人でも豊かな人でも、富に執着しない人が天に宝をつめる人です。貧しくても豊かでもお金や富に執着する人を主は喜ばないでしょう。

 諸事情によりしばらくブログをお休みします。秋休みかな?皆さん秋を満喫してくださいね!confident

2017年10月 2日 (月)

守護の天使(記)

 もう10月、今月はロザリオの月。そして今日は守護の天使の記念日です。

 守護の天使・・・皆さんは意識していますか?私たちが悪に傾かないように守り助けてくださる天使たちを。毎晩寝る前に守護の天使に感謝しなければいけませんね。

 思えばいつも守護の天使に守られてきた私です。あの時・・・あの時・・・そう、どんな時にも必ず導き守られました。それは事故にあわず、病気にならなかったということではありません。苦しみや涙がなかったという意味でもありません。悪から守られたということです。たとえ罪を犯しても回心する道へ導いてもらいました。

 守護の天使は無病息災のお守りではありません。主が私たち一人一人それぞれに天使をつけてくださったのは私たちが正しい道を歩むためです。これもまた主のいつくしみでしょう。

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