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2016年3月

2016年3月30日 (水)

『KAROL  カロル 教皇になった男』

 以前郡山司教様が「みなさんに見てほしい」と薦められていた映画『カロル 教皇になった男』を観ました。

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 この映画を観て聖ヨハネパウロ二世教皇のことだけでなく、ポーランドの歴史も知ることができました。

 あのナチも共産主義も終わりました。悪は永遠に続かない、必ず終わりがあること、そして愛=神は必ず悪に勝つことを確信しました。

 あの苦しい時代だからこそ教会は人々の支え・希望でした。地下神学校もあり神学生たちは命がけで勉強し司祭を目指しました。

 ナチと共産主義に支配された国で生きてきた人だからこそ、人々の苦しみや悲しみがよくわかり、そしてキリストの愛こそがすべてであると人々に力強く教えられたのだと思います。

 2~3カ所不自然なところもありましたが全体的にはとても良い作品でした。私もお薦めします。

2016年3月29日 (火)

別世界

  京都の器屋の女将さんのブログを見たところ、その優雅な内容に感心し、ちょっぴり羨ましくも思いました。私の生活とはあまりにもかけ離れた毎日・・・しかしそれはそれできっと様々なご苦労もおありでしょう。

 源氏物語の勉強会、歌会始、オペラ鑑賞、茶会に瓢亭さんの料理、聚洸さんの和菓子そして大津絵などその内容は庶民の生活とはかけ離れたものかもしれませんが、こうした方々のおかげで日本の伝統文化や行事が守られ伝え続けられているのだと思いました。

Photo茶箱(ブログ「うつわやあ花音」より)

2016年3月27日 (日)

主は復活されました

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 クリスマスは神が私たちのために主キリストを人間の姿でお与えになり、ご復活ではまさに主キリストは神であることを私たちに証されました。ですから私たちは洗礼によって復活の恵みに与り、永遠のいのちを得る希望があります。

 今日は御復活の主日のごミサの後で神父様方の歓迎会もありました。これから私たち迷える子羊たち?を導き司牧してくださるS神父様とP神父様です。なつかしい人達の顔も見えて、聖堂はいっぱいでした。

 早めに夕食を済ませて教皇様の祝福「Urbi et Orbi」を受けました。日本に住んでいながら祝福を受けられるなんてびっくりぽんのシアワセ!

Cimg6336いつもの聖ヤコブのケーキ:アーモンドの風味がたまりません。

Cimg6331_2玉葱の皮で染めた復活祭の卵:初挑戦にしては上出来?

Cimg6327聖ヤコブのケーキその2:サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼の印ホタテ貝

 夕食はブルーベリー・ラズベリー・ストロベリーとカッテージチーズの入ったピエロギ(ポーランドのピロシキ)とチキンにポテトサラダそしてヤコブのケーキと卵。

 Urbi et Orbi の後、特に迫害を受けて苦しんでいるキリスト教徒のために祈りました。

2016年3月23日 (水)

スペイン聖週間の始まり


YouTube: Semana Santa en Castilla y León 2016. Más Cerca de ti.


YouTube: Domingo de Ramos 2016 3

2016年3月20日 (日)

枝の主日

 今は「枝の主日」とは言わずに「受難の主日」と言うのですよね。いよいよ聖週間です。

 棕櫚の葉を手に持ってイエズス様のエルサレム入城を熱狂的に歓迎する群れの中に自分の姿を見たら、十字架を背負い血を流しながらゴルゴダの丘を目指して喘ぎ歩かれるキリストの傍に私はいるだろうか?キリストが磔にされた十字架のもとに私はいるだろうか?「十字架につけろ」と叫ぶ群衆の中で私はどんな態度をとっているのだろうか・・・・・。

 この聖週間はキりストが成しとげた救いを祝い、その救いにわたしたちも与ることができるように祈りましょう。

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2016年3月19日 (土)

お元気そう

 聖ヨセフの祭日の今日、ヴァチカンでは司教叙階式がありました。Mgr Peter Brian Wells と Mgr Miguel  Angel Ayuso Guixot のお二人です。とても荘厳な式でした。

 司教叙階式はYouTubeCTVで見ました。教皇様に続いて枢機卿様方そして司教様方が按手された時に司教様方の中に昨年11月に手術をされたハビエル・エチェバリーア司教様の姿をみつけました。司教様のお元気な姿を見ることができてとても嬉しいです。叙階式の喜びが二倍になりました。

Photo按手されるエチェバリーア司教様(写真:CTVより)

聖ヨセフ(祭)

 今日は聖ヨセフの祭日。聖ヨセフはキリストの養父です。マリア様とイエズス様を守り助けて幸せな家庭を築きました。聖母マリア、聖ヨセフと幼子キリストが描かれている聖家族の絵を目にしたことがあると思います。

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 正しい人聖ヨセフは昔(第二ヴァチカン公会議以前)はとても大切にされていました。ところが第二ヴァチカン公会議後マリア様と同様に軽視されはじめて(プロテスタントの影響?)、ミサ奉献文からもその名前は消えてしまいました。

 しかし少しずつ以前に戻り始め、今は聖堂に聖母マリア様と聖ヨセフ様の像が戻り、ロザリオの祈りもするようになり、そして2013年にはミサの第2、第3、第4奉献文に聖ヨセフの名前が戻りました。「聖ヨセフのノベナ」も祈られるようになりました。教会は聖ヨセフをはじめカトリック教会の良いところを取り戻しはじめています。

Cimg6106カトリック国分教会:聖ヨセフと幼子キリスト

2016年3月18日 (金)

マザーテレサの列聖

 とうとう決まりましたね。マザーテレサの列聖は9月4日、同時に他に4人の列聖も決まりました。ポーランドのStanislaus Jan Papczynski、 スウェーデンのMaria Elizabeth Hessellblad、 アルゼンチンのJose Gabriel  del Rosario、 メキシコのJose Luis Sanchez del  Rio です。この4名の方々は6月5日に一緒に列聖されます。 

 マザーテレサを見るとキリストを見ているようです。彼女の口から出る言葉はまるでキリストの言葉のよう。心の清い人とはまさしく彼女のことです。

 マザーが列聖されることによって多くの人々が彼女の言葉・行いに注目し、彼女通してキリストを知ることができますように。

Photo「最もひどい貧困とは、孤独であり、愛されていないという思いなのです」。

マザーテレサの取り次ぎを願う祈り

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2016年3月17日 (木)

前教皇ベネディクト十六世

 前教皇ベネディクト十六世は長いインタビューに応じ、その内容は「人の義化と神のいつくしみ」についてでした。またその一部は第二ヴァチカン公会議後の信仰の危機についてです。少しだけ内容を聞きましたが、まさにこのインタビューの答えを待ちわびていた人たちが沢山いると思います。私もおそらくその中の一人になると思います。というのも、まだすべてを読んだわけではない(英語やイタリア語では読めません)ので感想をはっきりと言うことはできません。早く正確な日本語訳を出してほしいです。

 一つ残念なことはご自身の現教皇時代に出してほしかったことです。しかし今だから意味があるのかもしれません。すべては主が決められた時がありますから。時にかなっているのかもしれません。

 前教皇ベネディクト十六世に感謝し、前教皇様のために祈ります。

11_3(写真:The Holy See より)

2016年3月15日 (火)

復活祭は宗教と関係ない??

 日本に住んでいるフランス人のお嬢さん(日本の大学院で勉強した方)のブログを偶然読みました。復活祭の説明にフランスでは宗教にはまったく関係のないお祝いだと、二回も強調していました。ただの春の訪れを祝う日だそうです。「卵探しゲームをして、卵型のチョコレートのおまけに一喜一憂して、ご馳走を食べて楽しく過ごす日なので日本でも楽しんだら良い」と、書いてありました。「びっくりぽんのぽんのぽんや~!」

 きっと一部のフランス人の方はこれを読んで嘆いておられるでしょう。フランスでは復活祭までもクリスマスと同じようにキリストのいない祝日になってしまったのでしょうか?

 誰が何と言おうと「復活祭」は「主キリストの復活」を祝う日です。間違いなく宗教です。キリストを信じていない人は「復活祭」と言わずに「春祭り」、復活祭祝日の休みは「春休み」と言えばよいのです。これ以上キリストを商売にだけ利用していると、きっといつかキリストは神殿で鞭を作って商売をしている人たちを追い出された時と同じようになさるでしょう。「いつくしみのキリスト」になら何をしてもよいということではないでしょう。

 さて、いよいよ20日日曜日は受難の主日(枝の主日)です。御復活に向けて最も大切な聖週間が始まります。

 13日日曜日は四旬節第五主日でした。伝統を大切にしている教会ではこの日聖像や十字架に覆いをして聖金曜日までそのままにしておきす。夫の教会では第五主日に十字架にだけ覆いをかけて、聖金曜日の典礼の時に覆いを取り十字架に崇敬したそうです。私は日本の教会で見たことはありませんが、ヨーロッパやアメリカではよく見られるようです。Fr.Zのブログにも写真が載っていました。

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2016年3月13日 (日)

タツノオトシゴ

 先週南九州市の頴娃町へ行ってきました。そう、今話題の「タツノオトシゴハウス」へ行ってきたのです。

 いましたいました、私の大好きなタツノオトシゴが水槽の中を泳いでいましたよ。あまりの数の多さに・・・

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  「びっくりぽんや!」

 タツノオトシゴはご存知のように、オスがお腹に育児嚢を持ち、メスはその中に卵産んで受精させます。オスは卵から稚魚になるまで育児嚢の中で保護します。元祖イクメンですね。

 近くに「釜蓋神社」があったので寄ってみました。ここにもいましたよ。頭にお釜の蓋をのせて歩く人が。正式には「射盾兵主神社 釜蓋大明神」というそうですが、その由来が面白いのです。

 天智天皇が頴娃の御領を訪れた時に、その接待のために何十石もの米を炊き始めました。突然突風が吹いて釜の蓋が飛ばされて大川浦に落ちました。人々はその蓋を拾い神様として祀ったのが起こりだそうです。これも「びっくりぽんや!」

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2016年3月12日 (土)

秋田の聖母

 ついつぶやいてしまうこと・・・それはごミサ中のこと・・・。たいしたことではないのですが・・・ずっと気にかかり・・・何かすっきりせず・・・。つまり朗読の後の「神(主)のみことば」と「神に感謝」を言わないことです。おそらく私のA教会だけだと思うのです。そして奉納の時は着席するように典礼が変わったのに、逆に立つ人が増えてしまったA教会。司祭も典礼係も去年11月29日から変わったことは知っていると思うのですが・・・。すべての教会のミサ典礼を同じにするためにわざわざカテドラルで勉強会までしたのに・・・。なぜ私の教会だけいつまでも変わらないのでしょうか?「主よ教えてください」と、言いたくなります。

 と、あまりつぶやくと「ファリサイ派」と言われそうなのでこの辺でぶつぶつ言うのはやめますね。さて先日秋田の聖母についての本を読みました。

 司祭やシスターの中には懐疑的な方もおられるようですが私はシスター笹川の身に起こったことを信じます。ロザリオの祈りの必要なこと、守護の天使等についてよく理解できましたし、マリア様が彼女に現れて告げられたこともよく理解できました。

 他方ボスニアヘルツェゴビナのメジュゴリエの聖母については疑問を持っています。その理由は今もマリア様がご出現し続けているそうですが、ここでのお告げの一部は必ずしもカトリックの教義にそっているとは思えないことと、そして疑惑をいだく人に対して脅すような言動があることです。

 2013年に「聖母マリアと共にすごす祈りの夜」というのがありました。ファティマの聖母像がヴァチカンに運ばれて、世界の聖母巡礼地十ヶ所を結んで祈るというものでした。ルルドの聖母大聖堂、、チェンストホヴァの黒い聖母教会、ブエノスアイレスのルハン聖母大聖堂などと共に秋田の聖体奉仕会も選ばれていました。新潟教区の菊地司教様も参加しておられました。これはヴァチカンが秋田の聖母のご出現を暗に認めているということでしょう。

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聖体奉仕会の聖堂と聖母像(写真:You Tube より)

2016年3月11日 (金)

『命のパン』~ご聖体は口でそれとも手で?

 

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  この『命のパン』(J.アブリ著)はごミサについて書かれた本です。よく争い?のテーマとなっている「ご聖体は口で拝領すべきか、手で拝領してもよいか?」という問題に私がきっぱりと答えましょう。この本を読む限り答えは、

「どちらでもよい」のです。ではなぜそう言えるのか、この本から説明しましょう。

 エルサレムの聖キリル(A.D.386♰)は、「聖体を受けるには、両手をのばし、左の手のひらを右の手のひらの上に重ね、貴人から物をいただくようにして」受けるように戒めて、・・・また同時に「アーメン」と唱えるように教え、さらに、「聖体を受けるときは、主のおんからだに注目する」ようにとの注意もつけ加えている。聖キリルの記述以外にも、初代教会時代の信者が、聖体を手で受けることを示すしるしはいろいろある。

 八世紀ごろは東西両教会ともに、聖体は手で受けており、拝領者はそれによって、自分が罪びとで主を迎えるにふさわしくない者であることを自覚し、そのために、この卑しい自分に来られる主をいっそう賛美した。

 聖体を手で受ける習慣は、中世紀の初めごろまで続いた。そのためにミサ聖祭には司祭の洗手式があり、また信者は教会の前で手を清めたが、古い聖堂にはその場所の名残が今も残っている。ガリア(フランス)の教会には、婦人は手のひらの上に布をおき、その上に聖体を受ける習慣があった。

 しかし聖体を手で受けることには危険もあった。信者の中には、受けた聖体をすぐに拝領せず、そのまま家に持ち帰って、いろいろな迷信的な目的に用いる者が出てきた。・・・こういうことから、聖体は司祭の手から直接信者の口に授ける習慣が広まり、九世紀にはほとんどすべての所で、この形による聖体拝領がおこなわれるようになった。また、中世紀の中ごろには、信者はただ聖体を仰ぎみるだけで拝領しないという習慣もあった。

 十二世紀ごろまでは、一般信者も、聖体とともに聖杯も拝領したが、十三世紀になってからは、西方教会では、信者はパンだけを拝領するようになった。また、聖体拝領のときにひざまずく習慣は、十一、二世紀ごろに始まったもので、当時の諸修道会の会則に倣ったのである。しかしカリスは初めから立って受けた。・・・・(P.155~157)

 つまり、ご聖体を拝領する者はキリストのからだを受けるということを意識して、それにふさわしい態度で受けることが大切です。それは口で受けても手で受けても同じです。どちらで受けても典礼で認められているのですから。自分の方法を他人に強要したり、批判したりするのはやめましょう。ちなみに私は今は口で受けています。

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2016年3月10日 (木)

カテキズム

 信仰教育の大切さをしみじみと実感している今日この頃です。良いカテケージスの本を探してもなかなかありません。大人は『カトリック教会のカテキズム』を読めば良いのですが、子どもには難しすぎて無理です。

 ここにアブリ神父様が書かれた『カトリック教理 ジュニア・カテキズム』という古~い本があります。昔の中学生たちはこんなにしっかりと要理を勉強していたのですね。本では質問・答え・祈り・神のみことば・典礼・課題の順で進んでいきます。

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 (最初の質問)  私たちはなんのために、この世に生まれてきたのでしょうか?

 要理を勉強されたみなさんは何とこたえますか?

 (答え)  私たちがこの世に生まれてきたのは、神さまを知り、神さまを愛し、神さまに仕えてやがて神さまのみもとで永遠に幸福になるためです。

 各教えの最後にそれぞれ「課題」が出ています。課題なので答えは載っていません。この課題はよく勉強しないとなかなかできないものがあります。例えば、

・ 助力の恩恵と成聖の恩恵との違いを、かんたんなことばで説明しなさい。

・ あなたがカトリック教会の一員としていただいている神の恵みを、未信者の少年少女に説明する手紙を書いてごらんなさい。

・ つぎの場合、人への愛を具体的に示す方法を表にして書きなさい。 a 両親に対して b 兄弟姉妹に対して c 先生に対して d 友だちに対して e 敵に対して。

・ 「十戒なんてもう時代遅れだ。現代にはそんなものを守っている人はいやしな」―こういう人に対して、あなたはどう答えますか?

・ 「私は完全な痛悔を起こすことはできません。またきっと罪を犯すだろうということをよく知っていますから」―このことばをどう考えますか?それに対してどう答えるか、あなたのノートに書きなさい。

・ ミサ聖祭中、最も重要な役割をつとめられるのはキリストです。では、その時キリストはなにをされますか?ミサ聖祭中の司祭はなにをしますか?私たちの役目はなんですか?ノートをキリスト、司祭、信者の三段にわけて答を書きなさい。

・ 今の教皇さまはどなたですか?教皇さまについてどれだけ知っていますか?教皇さまのあげられる何かの典礼に参列したことがありますか?その典礼で、何か特別に気のついたことはありますか?

 最後に今、四旬節中にピッタリの課題です。

・ 四旬節中にあなたが行おうとする償いのわざを表にしてごらんなさい。灰の水曜日の灰の祝別の祈りを読みなさい。その祈りから、どのように私たちは自分の犯した罪を悔やまねばならぬか、また、どのように神に赦しを願うかを、書き抜きなさい。

 約250ページの本ですが、中身のしっかりとしたものです。初聖体の子ども用ではなく、堅信をした子どもたち用です。大人の私でも勉強になります。再販はないのかな?

2016年3月 9日 (水)

カラヴァッジョ展

 見に行きたいもう一つの美術展が「Caravaggio」です。でも東京は遠いので見に行くのはとても無理ですね。

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Photo_2「法悦のマグダラのマリア」

Photo_3「Ecce homo」

Photo_5「エマオの晩餐」

 マグダラのマリアの絵もキリスの場面も聖書からの題材です。「エマオの晩餐」もそうですね。聖書を知らないと損ですね。誰を描いているのか、どんな場面なのかを知っていればボッティチェリやカラヴァッジョ、ダ・ヴィンチの伝えたいことがより理解できるでしょう。

  もう一つの展覧会が「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」

Leonardo_da_vinciイタリアの偉大な画家の展覧会が三つもあるなんて・・・東京の春がイタリア・ルネッサンスになっている~びっくりぽん!

2016年3月 8日 (火)

ボッティチェリ展

 田舎生活に満足している私ですが、年に一度くらい『東京や京都に住んでいたら良かったな~』と思う時があります。

 それが今です。現在東京で開催されている「ボッティチェリ展」、私の大好きなBotticcelliheart 東京に住んでいたら必ず・絶対観に行ったでしょう。

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Botticelli_2東京にお住まいの方、ぜひぜひ観に行かれることをお薦めします。

2016年3月 7日 (月)

良心の糾明に

 古い本の中に良書があり、よく読み返すことがあります。いつもゆるしの秘跡(告解)を受ける前に読むのが『神のゆるしへ近づく道』というJ.アブリ神父様の書かれた本です。

 カトリックの教えは不変なので古い本だからといって内容も古くて現代に合わないということはありません。かえって古い本の方が素晴らしいことが多いのです。聖人たちが書いた本もそうですね。

 聖書学者のアブリ神父様の授業はとても難解でしたが(何十年も昔のこと)、なぜか本になるとよく理解できるのです。この本にはゆるしの秘跡を受ける前の「良心の糾明」が具体的に書かれています。古本ですがアマゾンで入手可能です。ゆるしの秘跡を受ける前の準備に良いですよ。

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2016年3月 6日 (日)

四旬節黙想会~ベルナルディーノ神父

 今日は鹿児島マラソンの日、交通規制がありました。ミサに間に合わないことを考え、念のために昨晩のミサにも与りました。しかし今朝は特に遅れることもなくいつもの通りの時間に教会に着き一安心。

 さて本題の黙想会。ミサの中の説教の時に講話を聞く形でした。ベルナルディーノ神父様はフィリピン人らしく、抑揚のある話し方と身振り手振りでみなさんの心をつかんでおられました。講話は今日の福音朗読(ルカ15:1-3,11-32)の箇所から「放蕩した息子の心」「お父さんの心」「天の父」の三つについてのお話でした。特にゆるしの秘跡を受けるために久しぶりに教会へ来られた方たちには、心にしみるお話だったようです。

 帰宅して昼食をすますと、マラソンで走っている(歩いている?)人達の姿がたくさん見えたので応援に出ました。ほとんどの人達が歩いていました。フルマラソンのここは折り返し地点、また同じ距離を帰れるのかな・・・と、少し心配になりましたが本人たちが楽しんでいるのなら私が心配することでもないなと。

Cimg6280_2皆さん頑張っています。

2016年3月 4日 (金)

主に捧げる24時間

 カテドラルでは今日の午前9時から明日の朝9時までの24時間ご聖体の前で祈りを捧げることができます。ご聖体が顕示されて、ゆるしの秘跡も受けられます。

 私たち夫婦も午後から祈りに行きました。そしてゆるしの秘跡を受けて心はさっぱり。四旬節の間にこのような機会があるのはとても良いですね。いつくしみの特別聖年の間だけでなく毎年待降節と四旬節の間も朝から夜8時位までご聖体顕示があるといいですね。

Cimg6271ご聖体の前で「十字架の道行き」をしていました。

2016年3月 2日 (水)

ご利益・パワースポットŧ¶Ψδ?

 午前中市役所に行ったのですが、あまりにも良い天気なので帰宅後急いでお弁当を作り出かけました。

 行先は指宿。あいかわらず運転は夫におまかせ。「いぶすき道の駅」でMBCラジオポニー号のポニーメイツのお嬢さんに声をかけられました。とても明るく元気で綺麗な方でした。はきはきとしていて聞き上手な方だったのですが、インタビューはお断りしました。ごめんなさい。

 長崎鼻では若い人たちに結構会いました。きっと卒業旅行かもしれません。ほとんどの人がしていたのが下の写真に写っていることです。

Pt03lf2w1_3 これを見るとなんだか虚しく悲しい気持ちになります。

Cimg6257_2「竜宮の神々」とはいったい何?「神秘のパワー」???