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2015年3月

2015年3月31日 (火)

春の訪れ

 我が家の庭にも春が訪れました。一昨年植えた枝垂桜が数輪咲いたのです。なんと可憐なこと。桃の木も大きくはなりませんが、花だけは綺麗に咲きました。万葉の花馬酔木もこの通り。可愛いですね。

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 そして近くの桜も満開でした。でもちょっと心配なことがあります。去年あんなに鳴いていた鶯の声がまったく聞こえないのです。どうしたのでしょう?毎年「ホーホケキョ」と大きな声で鳴いていたのに・・・。

2015年3月30日 (月)

日本国憲法

 改憲の賛否を問う国民投票が安倍内閣のおかげで現実味をおびてきました。護憲派の私としてはちょっと心配です。そこできちんと日本国憲法を知らなければ何も言えないと思いこの本を買いました。

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 以前ラジオで紹介され、その時「なんて解り易い内容なのだろう」と思いずっと気になっていたのです。そしてついに、ついに手に入れました。これから読みます。楽しみ?です。

 改憲の賛否は日本国憲法をよく知った上で投票しなければいけません。何となく世間の波に流されて・・・なんて絶対にだめですよ。たとえ改憲投票がなくても憲法は知っていなければならないことです。とは言っても私もよくわからないのでこの本を読んでしっかり勉強します。

 「憲法を守らないといけない人は誰ですか?」「私たち国民!」と、自信を持って答えた人は絶対にこの本を読むべし。

 (ブログのお休みは少し早めに終了です。)

2015年3月29日 (日)

枝の主日

  「『ブログは休む』と言っていたのに、どうして書いているの?」と、聞かれました。確かに四旬節中は休むつもりでしたが、日曜日は四旬節の40日間に含まれていないので、日曜日だけ書くことにしたのです。そう、40日間に日曜日は含まれていないことは案外知らない人が多いのです。

 今日は受難の主日(枝の主日)です。告解(ゆるしの秘跡)も済ませ、聖週間を迎えます。いよいよご復活が近づいてきました。

 フランシスコ教皇様も灰の水曜日に灰をかぶりそして告解もされました。

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Photo_4 (写真:The Holy See より)

 告解(ゆるしの秘跡)は神様からの大きなお恵みです。洗礼を受けているのにこのお恵みをいただかない人がいるなんて・・・ ( ̄。 ̄;)ザンネン!まだ間に合いますよ!

 Fr.Z もいつも言っています。「Reminder:GO TO CONFESSION !」

2015年3月25日 (水)

神のお告げ

 今日は「神のお告げ(受胎告知)」の祭日なので特別ブログ。

Davinci レオナルド・ダ・ヴィンチ

Botticelli サンドロ・ボッティチェリ

Photo フラ・アンジェリコ

Photo_3 エル・グレコ

Titian ティツィアーノ

Photo_4 カラヴァッジョ

Photo_5 シモーネ・マルティーニ

Photo_6 ムリーリョ

Photo_7 フラ・フィリッポ・リッピ

 まだまだ「受胎告知」をテーマにした絵画はたくさんあります。絵画を観る時に聖書を知っているのと知っていないのとでは大違いです。マリア様が神のお告げを受けるこのシーンは神秘にあふれていて、多くの画家の心を動かしました。どの作品も素晴らしい!!

2015年3月22日 (日)

注目の展覧会と映画

 春休みになり息子が帰省しています。やはり夫婦二人だけよりも良いですね。先日は夫と息子二人で船津温泉へ行きました。船津の家族湯はサウナがついているので二人とも大満足したようです。夫と哲学の話をする息子を見て、たくましくなったな~と思うことでした。

  ところで昨日から東京で私の大好きなサンドロ・ボッティチェリとルネサンス展が始まりました。辻邦生さんの小説『春の戴冠』のおかげで、ボッティチェリの作品の魅力に一層惹かれるようになりました。フィリッポ・リッピ、ティツィアーノ、ジオットそしてボッティチェリ・・・イタリア美術は最高です。

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 東京まで行くことはできませんが4月11日から映画『ヴァティカン美術館 天国への入口』が鹿児島ミッテ10でも上映される予定です。こちらは行けそうなのでとても楽しみにしています。

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2015年3月15日 (日)

今日のごミサ

 今日のごミサの説教はアン神父様でした。アン神父様はいつも正しい教会の教えを説かれ、神父様の思いが伝わる良いお話です。

 今日はニコデモの話から十字架について話されました。「ごミサは十字架から」「キリストのついている十字架が本物」と。

 確かに一時期『キリストが復活した後の十字架』と言って、キリストの姿の無いただの十字架が流行りました。聖堂の正面にキリストの姿の無い十字架を置いた教会もありました。

 典礼では祭壇には必ずキリストの姿のある十字架を置かなければなりません。そこで祭壇の横にキリストの姿のある十字架を追加しました。正面にキリストのいない大きな木だけ(あるいはステンドグラス)の十字架、祭壇の横の方にキリストが磔にされている十字架・・・二つの十字架・・・何か変な感じがします。聖堂の正面、祭壇の上の方に大きなキリストが磔にされている十字架があると妙に安心するのは私だけでしょうか。

キリストが磔にされている十字架のある教会

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南さつま市

 先日まだ行ったことのない南さつま市へ出かけました。途中で2回ほど道を間違えてUターン。私の方向音痴なナビのせいで、夫はいつも苦労します。

 実はカーナビもあるのですが、私はカーナビの指示より自分の勘を信じてしまうのです。カーナビが「右に」と言っても「ここは真直ぐで間違いない」と言いきって、進むと道はどんどん細くなり山の中へ・・。そして「やっぱりカーナビの言う通りでした!」となるのです。まあいつもの事なので(^^ゞ それでも何とか金峰町の「サンセットブリッジ」に到着。

Cimg5280 人と自転車専用の小さな橋ですが、美しいです。

 加世田万世特攻平和祈念館~笠沙恵比寿~杜氏の里~坊津の鑑真記念館~枕崎を通って池田湖~指宿道の駅なのはな館に寄って帰りました。さすがに夫にだけ運転してもらうのは申し訳ないので、帰りに途中から交代しました。

Cimg5300  鑑真記念館

 暖かくなりお出かけするのに良い季節が始まります。

2015年3月 8日 (日)

トマさんの本

 

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 いつ読んでも学ぶことの多いブログ『トマさん祈りの部屋』のトマさんが書かれた本『小学生に聞かせたい神さまのお話』が出版されました。早速買って読みました。

 期待を裏切らない良い本です。最終章で「母親に一言」とありました。そこには「甘やかす」と「甘えさせる」を取り違えている人が増えているとありました。

 「子どもは天使」と言われますが実際は悪への傾きを持っています。「甘やかす」は、自己中心の欲を放置すること(自分の思い通りにしたい、人のせいにする、怠ける等)。しかしそれは厳しくしてもなくなりません。我がままや責任逃れ・怠け心などと戦う事を教えることが必要です。そのためには親自身が率先して戦う必要があります。

 「甘えさせる」は欲ではなく親の愛情を求める健全な子どもの心の動きです。だから一緒に寝たり、お風呂に入ったり、時には抱きしめたり・・・。認められ信頼され愛情を注がれ甘えさせてもらった子は友だちにやさしくなります。(『神様のお話』最終章より)

 さすが沢山の子どもたちと出会い、生活してきたトマさん。親にも神さまのことを気づかせてくださいます。「三つ子の魂百まで」と言われますが、3歳までは親は子をしっかり抱っこして、甘えさせなければ。間違っても子どもを自由に、ほったらかしにしないようにしましょう。

 この本は小学生だけでなく親にも、そしてこれから親になる人たちにもおすすめの一冊です。

2015年3月 1日 (日)

侍者

 これから書くことに反対の意見の方もおられると思います。おそらくその方たちの方が多いかもしれません。これはあくまでも私個人の考えです。でも司祭になりたい若者が減少している原因の一つかもしれないのであえて書きます。

 私はミサの侍者は以前のように男の子だけにした方がよいと思います。これは男女差別でも男尊女卑でもありません。

 カトリックは使徒教会の頃からずっと男女平等であるのは明白な事実です。女性の司祭がいないのはキリストが弟子に選んだのが男性だけであり、教会の今までの伝統だからです。侍者にはミサを手伝うだけではなく教会の思いがありました。侍者は小さい時から典礼に親しみ、召し出しをいただいた時に答えるため、司祭志願を準備する重要な教会の思いです。決して女性を蔑視していたのではありません。その証拠にキリストが復活した後に最初に姿を現したのは女性たちの前でした。女の子が侍者をしても司祭にはなれません。男の子、女の子にはそれぞれの役目があります。そしてどれも全てが大切な役目です。

 私の息子たちはいつも喜んで侍者をしました。娘も侍者をしたいと思ったようですが私たちはさせませんでした。そのかわりに彼女には聖書朗読をしてもらいました。そのせいか今でも彼女はよく聖書を読んでいます。

 ある司教様の話によりますと、一般的に男の子は小学生高学年から中学、高校生の頃は(恥ずかしい?)女の子と一緒に何かをするのを嫌がるようです。特に日本ではその傾向が強いのでは?女の子が侍者をすると当然男の子は一緒にやりたくないと思うようです。確かに私の行くいくつかの教会でも女の子が侍者をしているといつの間にか男の子の侍者はいなくなり女の子ばかりに。初めから男の子だけに侍者をさせている教会はいつも男の子の侍者がいます。男の子がいなくなる理由はこれだけではないでしょうが、女の子の侍者だけ残るのは事実です。

 女の子が侍者をするようになったのは「女性を司祭にしないのは男女差別」と言われ始めた時と同じ頃です。「男女平等、女の子にも侍者を!」全く同じ理由でした。そろそろ教会の侍者の伝統に戻った方がよいのではないでしょうか。侍者は司祭になる芽を伸ばし育てる大切な時期です。侍者が育たないのに司祭が育つのか疑問です。

 女の子には奉納、聖書朗読、伴奏、祭壇の生け花、聖歌など大切な役目があります。心をこめてそれらをすることもミサ奉仕・愛の行いでは?

Pol_przylekow ポーランド侍者志願者(Google画像より)

Photoインドの侍者たち(Google画像より)

Bc_bialy_puch_2 侍者の男の子と花をまく女の子たち ポーランド(Google画像より)