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2012年7月

2012年7月29日 (日)

『祈りの道』

 きれいな写真と短い言葉や詩を載せた小さな本はたくさん出版されていますが、私は今までこういう本にはあまり興味がありませんでした。けれども伊従信子さんの『祈りの道』と『いのちの道』は私が思っていたのとは違い、言葉がとても良くて心にスーと入ってくるのです。彼女自身の言葉はもちろんのこと、八木重吉や十字架のヨハネ、聖アウグスチヌス、三位一体の聖エリザベット、詩編などからよく選ばれています。また写真も風景だけではなくて聖像や人々、動物もあります。私が特に気に入ったのはオンフルール「恵みの聖母の聖堂」にある「アンナ、マリア、イエズス像」です。それはアンナがマリアを片手で抱き、マリアはイエズスを抱いているのです。なんとも微笑ましい像です。聖アンナ・聖マリア・イエズスの三体を一緒にしたものではダ・ヴィンチの絵が有名ですね。

 機会があれば皆さんもこの本を手に取ってみてください。きっとお祈りをしたくなりますよ。

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レオナルド・ダ・ヴィンチ 「聖アンナと聖母子」 (下)「聖アンナと聖母子と幼子洗礼者ヨハネ」

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2012年7月28日 (土)

『雇われ羊飼いの言いたい放題』 酒井俊弘 著

 酒井神父様の説教集です。とにかくおもしろくて勉強になります。本の最後の方に宝塚教会の月報『よろこび』をまとめた部分があります。その中で大笑いしてしまった箇所がありました。そこの所を・・・

 長崎にいた頃、主日のごミサを頼まれて小さな巡回教会に出かけました。「あそこの教会には、名物の子がおるから、びっくりせんようにね」と注意されました。ごミサが始まると・・・・、いました!二階席の正面、司祭が目を上げればいやでも目にはいるところに、真っ赤なほっぺをした幼稚園児のA君。「なにをするかな・・・・」と警戒していましたが、騒ぐこともなくごミサにあずかっています。ところが、聖別の後、ご聖体を両手で掲げると・・・・・、二階席の正面で何か(もしかして、おせんべい!?)を同じように両手でうやうやしく掲げているA君の姿が目に飛び込んできました。「やるなぁ、おまえ・・・・・」と感心。極めつけは、ごミサの最後。「全能の神、父と子と・・・・・」と唱え始めると、二階からA君がうやうやしく十字架のしるしで私を祝福していました。一緒にするんじゃないってば!・・・・[派遣の祝福についての詳しい説明]・・・・・

 本当は[・・・]の所が大切で、しっかりと覚えなければならないのですが、どうしてもA君の姿の方が頭に浮かんでしまいます。このA君も今は三十歳前後の大人になっているでしょうね。ひょっとして今は本物のご聖体を掲げて、本当の祝福をしているかも・・・。lovely

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2012年7月27日 (金)

暑いです~ロンドンオリンピック開会~

 毎日暑いですね。でもここはまだ良い方でしょう。ここよりずっと暑い所があり、熱中症で多くの人が病院に運ばれているそうです。

 オリンピックの開催地イギリスはどうでしょうか?我が家は以前にも話したようにテレビという物がありません。ですからあまりオリンピックには興味がないのです。メダルの数も興味がありません。選手の皆さんが今まで練習してきて得た力を出せればそれで良いと思います。

 イスラム教徒の国ではラマダンが始まりました。モロッコのサッカー選手もラマダンを守り、日の出から一切口にしないで試合に臨んだそうです。これをラジオでさも小ばかにしたように笑いながら伝えていました。残念です。選手たちが何よりも神を大事にしていることを笑うなんて・・・。自分の利益のためにしか神を必要としない人達には理解できないのでしょう。

 オリンピックについて熱く語らずに、あまりにもさらっとしているので皆さんはがっかりしたでしょう。なかにはこんな人もいるのです。

 英国といえばロイヤルファミリー、日本の皇室とは全然違いますね。女王在位50周年記念のコンサートより。ロイヤルファミリーは全員いらしたのですがウイリアム王子とヘンリー王子だけが最後に映っています。




YouTube: (1) Golden Jubilee - Brian May & Ricky Martin

2012年7月26日 (木)

『拓 ひらく』 ホセマリア・エスクリバー著

 聖エスクリバー神父様の言葉は厳しい時があります。しかしそれは私たちが強い信仰を持てるように励ます言葉です。迷う時にしっかりとした道を示すためです。負けそうになった弱い心に自信を取り戻してくださる言葉です。

 この『拓』も以前紹介した『道』と同じように聖エスクリバー神父様のキリスト教的な生活を示す本です。この中で「謙遜」について書いてありました。私も思い当たることが沢山あり、自分がいかに謙遜が足りないかわかりました。

 謙遜の不足していることがはっきりとわかるしるしを、いくつか思い出させてあげよう。

 -自分の言うことなすことが他人よりも巧く言え、巧くできたと思う。

 -いつも自分の思い通りにしたいと望む。

 -通らぬ筋を通そうと言い争う、あるいは自分が正しいとき、頑固かつ不作法にも言い張る。

 -求められもせず、愛徳という面からも必要でないのに、自分の意見を述べたてる。

 -他人の物の見方を軽蔑する。

 -自分の才能や素質を借りものだとみなさない。

 -あなたの誇りと評判のみならず、踏んでいる土地と持ちものも、あなたには過ぎたるものであることを認めようとしない。

 -人と話すとき自らを模範として示す。

 -良く思われたり、そんなことはないと言ってもらいたいがために、自分のことをわざと悪く言う。

 -叱られたとき、言い訳をする。

 -自分に対する評価が下がるのを恐れて、恥ずかしいことを霊的指導者に隠す。

 -自分についての誉め言葉に悦んで耳を傾けたり、良い噂に喜んだりする。

 -自分よりも他人の方が良い評価を得ているのを知って悲しむ。

 -卑しい仕事を断る。

 -目立つ機会を捜したり、望んだりする。

 -人と話すとき、自賛の言葉や、自分の誠実さ、才能や手ぎわのよさ、仕事上の評判などをほのめかす言葉をさりげなく述べる。

 -ある種の財産その他がないのを恥じる。

 いかがでしょうか?書いてある通りでしょう。謙遜になることは難しいけれども、少しでも実行しなければならないと思いました。

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2012年7月24日 (火)

仕事か祈りか?

トマさん祈りの部屋 以前にも紹介した小寺神父様のブログです。とても良いお話をしています。

 今回は私たちがよく言い訳にする「祈る時間がない」について、「なるほど」とうなずける話をしています。是非読んでみてください。

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2012年7月22日 (日)

創世記

 堀田善衛さんの『天上大風』から

  私にしても何か事があって、気持がドーンと落ち込んでしまうことがある。年に一度か二度くらいのものであろうか。そういう時には、聖書を引っぱり出して、まず旧約冒頭の創世記に目を通すことにしている。少し抄してみたい。

  元始に神天地を創造たまへり。・・・・・神、光あれ、と言たまひければ、光ありき。神、光         善と観たまへり。

 かくて、これが神の仕事の初日であり、光を昼と夜の二つに分けた。第二日目は、穹蒼を創造り、これを天と名けた。そうして三日目には、地と海をつくり、地には植物を生ぜしめた。四日目には、昼と夜を司どる二つの光と星を創造し、季節をも与えしめた。五日目には、水には魚、空には鳥を、六日目には、地に家畜と昆虫と獣を作り、ついで男と女を作った。アダムとエバである。

 神、其造りたる諸の物を視たまひけるに、甚だ善りき。夕あり朝ありき、是六日なり。斯天地および其衆群悉く成ぬ。第七日目に、神、其造りたる工を竣たまへり。即ち其造りたる工を竣て、七日に安息たまへり。

 こういう規模雄大なる文章を読み下していて、神が光を造っておいて、自ら、神、光を善しと観たまヘリ、とか、其造りたる諸の物を視たまひけるに、善りき、というところで、私もこっくりを一つして、神様、うまく行ってよかったですね、と挨拶をしていると、胸の閊えもが下りて行ってくれるのである。・・・・・聖書の、このような阿呆な読み方というものは、おそらく識者やキリスト者たちの顰蹙を買うものであろうが、私はその他の読み方を知らない。五十年以上もこういう読み方をして来た。

 堀田さんのこういう読み方は好きです。神様と対話しながら読み、かつ落ち込んでいた気持ちがすっきりとする。『創世記』を「ただの神話」と間違った解釈をするキリスト者よりもずっと聖書を理解していると思います。

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2012年7月18日 (水)

喜びの時、悲しみの時

 昨日は色々な事があり、ちょっと興奮してしまいました。朝一番に良い知らせのメールを受け取り、その後には友人から沢山の桃が届き、午後には京都の親戚が突然訪ねてきてくれました。

 良い事ばかりの一日でした。こんな日もあるのですね。涙の日もあれば笑顔の日もある。いつも傍にキリストがいてくださる。詩編(30:6)に「泣きながら夜を過ごす人にも喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる」、またこうも書いてあります。「前からも後ろからもわたしを囲み御手をわたしの上に置いてくださる」(詩編139:5)

 人は苦しい時につい主から離れてしまいそうになります。そんな時に私は詩編のこの箇所を思います。「あなたの重荷を主にゆだねよ 主はあなたを支えてくださる。主に従う者を支え とこしえに動揺しないように計らってくださる」(詩編55:23)

 こんな日には「アヴェマリア」の祈りがぴったりですね。




YouTube: Gen Rosso - Venne un angelo

2012年7月16日 (月)

カルメル山の聖母

 カルメル山はイスラエル北部レバノン山脈にある525mの丘陵です。オリーブやブドウが豊かに実り肥沃な土地なので、昔から「神の祝福の象徴」「聖母マリアの象徴」とされてきました。

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   カルメル山

 12世紀頃キリスト教徒の隠遁者が集まって修道家族を作り始めました。規則もできて1226年に教皇ホノリウス三世に認可されてカルメル会が創立されました。

 1251年ケンブリッジで聖サイモン・ストック(1165~1265)に聖母が御出現して、茶色いスカプラリオを与えて「これを肌身離さず身に着ける者は死後に地獄に落ちることがなく、またスカプラリオは救いを証明し危険を防ぎ安らぎの契約のしるしとなる」ことを約束されたと言われています。聖母御出現の当時の記録が無いので史実性は疑われています。しかしスカプラリオを身に着けて祈る人は今でも世界中にたくさんいます。祈りの助けとなれば良いのではないでしょうか。

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2012年7月13日 (金)

反省

 自分の欠点はよくわかっているつもりでも、未だにまた繰り返してしまいます。直そうとしてもなかなかできません。それこそ石を投げられたら、石を投げ返すどころか、自分から石を投げてしまうのです。ホセマリア・エスクリバー神父様の本を読み返して反省し、黙想します・・・。堅忍が足りないのです・・・。

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 私の性格のせいで他人を傷つけてしまうこともあります。どうしても直したいのです。みなさんはそういう事ってありませんか?

2012年7月11日 (水)

古典芸能

 プロフィールにも書きましたが、私は古典芸能も大好きです。演歌は苦手な私ですが歌舞伎は大好き、長唄、義太夫、清元、も聞くのが(三味線も長唄もできないので)好きです。指揮者もいないのにあの間のとりかた・・・ただただ尊敬してしまいます。

 ここに長唄「鏡獅子」の演奏をのせました。本当はもっと長い曲なのですが、一部でも良いとこどりなので十分堪能できます。坂東玉三郎さんの踊りもyoutubeで観られます。興味のある方は探してください。




YouTube: 東京発・伝統WA感動「邦楽ワンダーランド!」 【Traditional Japanese Music】

 玉三郎さんといえばyoutubeで「京鹿子娘道成寺」と「藤娘」と「鷺娘」もあったのですがここにアップできませんでした。本当に美しいです。

2012年7月10日 (火)

両形態拝領:インティンクションとセルフインティンクション

 私の5月14日のブログでは「両形態拝領」について書きましたが、下記の記事が2006年7月23日のカトリック新聞に載っていました。わたしと同じことを心配している人がここにもいました。

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『ローマ・ミサ典礼の総則』2002年版 より

"285. 両形態による聖体の授与のためには次のものを準備する。

  1. カリスからの拝領を直接カリスから飲んで行う場合、十分な大きさのある一つのカリス、あるいは複数のカリスを準備する。ただし、祭儀の結びに、飲まなければならない御血が必要以上に多く残らないようにつねに心がける。
  2.  

  3. パンを御血に浸して拝領する場合、パンがあまり薄すぎたり、小さすぎたりしないよう、また御血に浸したパンを支障なく授けることができるよう、ふつうのものよりやや厚めのものであるよう注意しなければならない。

286. 御血の拝領をカリスから飲んで行う場合、拝領者はキリストのからだを受けた後、カリスの奉仕者の前に行って立つ。奉仕者は 「キリストの血」 と唱え、拝領者は 「アーメン」 と答える。奉仕者はカリスを拝領者に差し出し、拝領者は、自分の手でカリスを口にもっていく。拝領者はカリスから少量を拝領し、カリスを奉仕者に返してから戻る。その後、奉仕者はカリスの縁をプリフィカトリウムでぬぐう。

287. カリスからの拝領が御血にパンを浸して行われる場合、拝領者は顎の下にパテナ(拝領用の受け皿)を添えながら、ホスチアを入れた容器を持つ司祭に近づく。司祭の脇にはカリスを持った奉仕者が立つ。司祭はパンを取り、その小片をカリスに浸し、それを示しながら、「キリストのからだと血」 と言う。拝領者は 「アーメン」 と答えて、司祭から秘跡を舌の上に受けた後、戻る。

 

ホスチアを御血に浸すこと (intinction) については、引用からもわかるように、ホスチアを御血に浸すことは聖体授与の有効な形式として許されて います。許されていない のは "self-intinction" ですself-intinction とは、信者各自が御聖体を聖なる御血に自ら浸す方法のことです。これはアメリカ合衆国カトリック司教協議会の2001年の 「アメリカ合衆国における両形態拝領での聖体の授受のための規定」 において、同司教協議会によって厳しく禁じられて います。日本の司教団はどのような判断をしているのでしょうか。

 

49. 聖体は、次のような方法で、ホスチアを御血に浸す形式 (intinction) で与えられることができる: "拝領者は顎の下にパテナ(拝領用の受け皿)を添えながら、ホスチアを入れた容器を持つ司祭に近づく。司祭の脇にはカリスを持った奉仕者が立つ。司祭はパンを取り、その小片をカリスに浸し、それを示しながら、「キリストのからだと血」 と言う。拝領者は 「アーメン」 と答えて、司祭から秘跡を舌の上に受けた後、戻る。"

 ちょっとうるさく言っていると思われるでしょうが、これはとても大切な事です。もっと一人一人がキリストへの尊敬の気持ちを表さなければならないと考えるのは私だけではないと思います。

2012年7月 8日 (日)

聖ホセマリア・エスクリバー著 『鍛』

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 オプスデイの創立者聖ホセマリア・エスクリバー神父様は2002年10月6日に教皇ヨハネ・パウロ二世から列聖されました。彼は素晴らしい聖性を持ち、常にキリストへの強い信仰を身をもって示されました。私はこの聖人の本を読んで、どれだけ励まされ、勇気づけられ、主に愛されていることを実感したことでしょう。

 聖ホセマリア・エスクリバー神父様は自分のことをこう言っています。「自分は神のことしか話さない司祭である」

 師の著書である『鍛(きたえる)』から

  教皇と司教が日々担う重荷のことを考えれば、彼らを敬い、心から愛し、祈りで助けるべきことが痛切に理解できるだろう。

  徳も才能もない自分を見て、盲人バルティメオのように叫びたくならないのだろうか。「ダビドの子、イエズス、私を哀れんでください」 何と美しい射禱だろう。幾度も幾度も繰り返すべき射禱だ。主よ、どうか私に慈しみを。主はあなたの願いを耳にし、きっと助けてくださるだろう。

  哀れにも〈憎しみをもつ人〉が石を投げつけるのなら、あなたも投げ返しなさい。ただし、〈天使祝詞〉という石を。

  苦しみの最中にも、勝利の時にも、繰り返しなさい。「主よ、私の手をはなさないでください。放っておかないでください。未熟な子供を助けるように私をお助けください。いつも手を取ってお導きください」                              

2012年7月 7日 (土)

七夕

 今日は七夕ですね。私の子供の頃は8月7日でした。いつの間にか7月7日が定着してしまいました。幼稚園などがこの日にお祝いをするからでしょう。今年は近所の幼稚園児が作った七夕飾りをかざっていないお店が多いようです。ちょっとさびしいですね。

 葉室麟さんの小説『銀漢の賦』は素晴らしい小説だと以前紹介しましたが、この題になっている「銀漢」とは「天の川」のことです。中国の漢詩では天の川のことを「天漢」、「銀漢」などの言葉で表すそうです。私は漢詩はとても苦手なのですが、小説のなかで蘇軾の「中秋月」という漢詩がでてきます。

  暮雲収め尽くして清寒溢れ

  銀漢声無く玉盤を転ず

  此の生、此の夜、長くは好からず

  明月、明年、何れの処にて看ん

 日暮れ方、雲が無くなり、さわやかな涼気が満ち、銀河には玉の盆のような明月が音も無くのぼる。この楽しい人生、この楽しい夜も永久につづくわけではない。この明月を、明年はどこで眺めることだろう

 すてきな詩でしょう。葉室さんの小説はまさにこの漢詩のようにさわやかで凛とした感じです。この『銀漢の賦』は若者に是非読んでほしいです。夏休みの読書にぴったりですよ。

2012年7月 6日 (金)

赦す~聖マリア・ ゴレッティ

 聖マリア・ゴレッティ(1890~1902)はイタリアのアンコーナに生まれました。彼女が12歳の時に隣に住むアレッサンドロは彼女によからぬ思いを抱き、短剣で彼女をおどしました。しかし彼女は抵抗し、彼は彼女を刺してしまいました。翌日彼女は「彼を許してやってください。いつか天国でまた会いたい」と言い残して息を引き取りました。逃亡していたアレッサンドロは逮捕されて29年後に出所し、彼女の母親に赦しを願いに行きました。母親は娘の願い通りに彼を許して受け入れました。そしてともに彼女のためにミサをささげました。アレッサンドロはカプチン会の修道院に入り、罪の償いのために残りの生涯をささげました。

 許すことはとても難しいことです。自分一人の力ではとてもできません。信仰の助けが必要です。十字架の上でキリストは仰せになりました。「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは自分が何をしているのか、わからないのです」(ルカ23:34)

 キリストに倣い、キリストに近づいてこそ出来るのでしょう。自分の娘、まだ子供の娘を殺した人を心から赦せる母親、自分に乱暴しようとし、死に至らしめた相手を許す少女、どちらもマリア様のような心の持ち主です。

 心から他人を赦せる信仰を持つ人間となれるように、マリア様の取り次ぎを祈りたいと思います。

2012年7月 3日 (火)

聖トマス使徒 祝日

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 有名なカラヴァッジォの絵画『トマスの猥疑』を見ると、聖トマスがどのような使徒だったのか想像がつきますね。

 十二人の(弟子の)一人でデドモと呼ばれていたトマスは、(復活した)イエズスがおいでになったとき、一緒にいなかった。そこでほかの弟子たちが「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは、「わたしはその手に釘の跡を見、自分の指をその釘の跡に入れてみなければ、決して信じない」と言った。さて・・・・・イエズスがおいでになって・・・・・トマスに、「指をここに持ってきて、わたしの手を調べなさい。手を伸ばして、わたしのわき腹に入れなさい。信じないものではなく、信じる者になりなさい」といわれた。トマスは、「わたしの主、わたしの神」と答えた。イエズス

   「あなたは、わたしを見たから信じたのか。見ないで信じる人たちは幸いである」

と仰せになった。(ヨハネ20:24~29)

 目に見えるものしか信じることのできない人はかわいそうですね。全能の神は目に見えないから信じられないなんて・・・。キリストはこうも言っています。あなたたちがわたしを選んだのではなく、わたしこそあなたたちを選んだのである」(ヨハネ15:16)

 全能の神を信じることができるのはお恵みです。聖アンセルムスも「信じるために理解するのではなく、理解するために信じる」と言っています。

 まだキリストに出会っていない方は新約聖書(フランシスコ会訳又はバルバロ訳)を是非一度読んでみてください。

2012年7月 1日 (日)

息抜き

 たまには息抜きを!!




YouTube: Mi primer olé - Entre dos aguas