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2018年10月

2018年10月30日 (火)

中国カトリックについて

Card. Zen’s op-ed in the NYT

Be sure to read thoroughly the opinion piece in the NYT offered a couple days ago by His Eminence Joseph Card. Zen Ze-Kiun, Bishop Emeritus of Hong Kong. HERE

The Pope Doesn’t Understand China

I know the Church in China, I know the Communists and I know the Holy See. I’m a Chinese from Shanghai. I lived many years in the mainland and many years in Hong Kong. I taught in seminaries throughout China — in Shanghai, Xian, Beijing, Wuhan, Shenyang — between 1989 and 1996.

Pope Francis, an Argentine, doesn’t seem to understand the Communists. He is very pastoral, and he comes from South America, where historically military governments and the rich got together to oppress poor people. And who there would come out to defend the poor? The Communists. Maybe even some Jesuits, and the government would call those Jesuits Communists.

Francis may have natural sympathy for Communists because for him, they are the persecuted. He doesn’t know them as the persecutors they become once in power, like the Communists in China. (Fr.Zブログより)

【10月27日 AFP】率直な物言いで知られ、かつて香港で司教職を務めたジョセフ・ゼン(Joseph Zen)枢機卿は25日、ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王(Pope Francis)が中国政府と歴史的合意に達したことについて、法王は中国の体制を理解していないと批判し、この合意は中国における「真の教会の消滅」につながる恐れがあると警鐘を鳴らした。

 中国国内の推定1200万人のカトリック教徒は、「家庭教会」や「地下教会」と呼ばれる、バチカンに忠誠を誓う非公認の教会に通う信者と、共産党が聖職者を選任する政府公認の教会を訪れる信者とに分かれている。

 バチカンと中国は1951年以来、外交関係を結んでいないが、中国国内での司教任命をめぐる先月の合意により、関係回復への道が開かれた。またフランシス法王は合意の一環として、中国によって任命された司教7人を承認した。

 だが、この歴史的合意についてゼン枢機卿は、米紙ニューヨーク・タイムズ(New York Times)国際版への寄稿で、法王は中国に対して譲歩し過ぎてしまい、合意の結果、中国政府によってカトリック教徒が迫害される下地がつくられたと批判。「合意は実のところ、中国における真の教会の消滅に向けた大きなステップだ」と主張した。

 さらに「私が風刺漫画家なら、法王がひざまずき、中国の習近平(Xi Jinping)国家主席に天国の鍵を差し出して、『どうか私を法王として認めてください』と言っている絵を描くだろう」との見解を披露した。

 また法王はアルゼンチン出身であるため、「共産主義について生来、楽観的な考えを持っている」とも指摘し、その結果、中国を統治する共産党に信を置くという過ちに至ったと述べるとともに、「中国の共産主義者がそうであるように、彼らは一度権力の座に就いたら迫害者になるということを知らないのだ」とも主張している。(c)AFP

 

2018年10月29日 (月)

教訓

使徒パウロのエフェソの教会への手紙(4:32、5:1-8)

そして、互いに親切にし、おもいやりあつく、心からゆるし合う者となりなさい。神も、キリストに結ばれたあなたがたを心からゆるしてくださったのです。ですから、神に愛された子として、神に倣う者となりなさい。そして、愛に基づいて生活しなさい。キリストもわたしたちを愛し、わたしたちのためにご自分を、神のかぐわしい香りの供え物、いけにえとしてさし出されたのです。聖なる人々に似つかわしく、あなたがたの間では、みだらなこと、汚らわしいすべてのこと、それに貪欲なことは口にさえもしてはなりません。また、顔を赤らめるような話、くだらないおしゃべり、あるいは品のない冗談なども似つかわしくありません。むしら、口にすべきは感謝に満ちた言葉です。すべてみだらなことを行う者、汚らわしいことを行う者、また、偶像崇拝者に等しい貪欲な者には、キリストと神が統治する国において約束されたものを相続する資格がないことをわきまえなさい。むなしい言葉に惑わされてはいけません。先に述べた行いのために、神に従わない者たちの上に神の怒りが下るからです。彼らの仲間入りをしてはなりません。かつて、あなたがたは闇でしたが、今は、主に結ばれて光となっています。「光の子」として生活しなさい。(今日の福音より)

ときおり人々の反対にあい、我々が良く行為し、良い意図を持っているにもかかわらず、我々が悪く不十分だと思われることは良いことである。そのことはしばしば我々を謙遜にさせるのに役立ち、空しい栄光から我々を守ってくれる。(『キリストにならう』bot)

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2018年10月28日 (日)

雑談から沈黙へ

私はたびたび、黙っていたらよかった、人々の中に出向かなければよかった、と思うことがある。雑談から沈黙へと戻るとき、ほとんど必ず良心が傷つけられるというのに、なぜ我々はこれほど頻繁におしゃべりし、互いに雑談するのだろうか。(『キリストにならう』bot)

 トマス・ア・ケンピスの言う通りです。私はおしゃべり、雑談が苦手です。自分でよほど注意していないと、つい余計なことを話したり、よくない話や間違っていることに相槌をうってしまったりします。後から自己嫌悪に陥ることがたびたびあります。

 自分には無理だとわかっていても観想修道者の生活に憧れてしまいます。モンクコーヒーを作っているカルメル会士たちが羨ましい。ここでモンクコーヒーの宣伝を兼ねて彼らの生活を少しだけ。


YouTube: Gregorian Chant Sanctum et Immaculata


YouTube: Carmelite Monks of Wyoming - Carmelites, New Mount Carmel

  イエズス・キリストも言っています。「口に入るものは人を汚さない。口から出るものこそ人をけがすのである」。(マタイ15章11節)

2018年10月27日 (土)

七つの罪源

自分に死にきれていない人はすぐに誘惑され些細なつまらないことに負けてしまう。心が定まらない人、肉的な人、感覚的な物に傾いている人は地上の欲望から自分を完全に引き離すことが難しい。だからしばしば身を引くときに悲しみを覚える。またもし誰かが彼に逆らうとすぐに怒るのである。(『キリストにならう』bot )

 私自身のことを言われているようで catface 反省! 些細なことに怒ってしまうのは年のせいにしていましたが、それは違いますね。逆に年を重ねるにつれ地上の欲望から解放されるのが正しいはず。

 パソコンに貼ってあるメモには「欲しい物は買わない!必要な物を買う!」と、書いています。が、つい誘惑に負けて本やCDを買ってしまいます。メモのおかげで以前よりは少なくなりましたがまだまだです。

 自分の心の中の欲望や不安、悪と戦うことの大変さ、難しさを実感しています。

septem peccata mortalia(七つの大罪=カトリック七つの罪源

傲慢・憤怒・嫉妬・怠惰・強欲・暴食・色欲

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謙譲・慈悲・忍耐・勤勉・救恤・節制・純潔 (七つの美徳)

私はこれに「絶望」「希望」を加えたいです。ある聖書学者はイエズス・キリストは絶望のどん底で死んだ(詩編を唱えたのではなく)と話したそうですが、私は違うと思います。何故ならキリストは自分自身が神であり、3日目に復活することを知っていたからです。聖書にも書かれている通りです。

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マリア様の助けを借りて七つの美徳を目指しましょう。そしていつか復活するという希望を持って臨終を迎えましょう。

2018年10月24日 (水)

間違いは直しましょう

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 中野司教様の司教叙階式の時、式が始まる前に神父様から歌の練習とお願いがありました。それはごミサ(上の写真)の時、

司祭:キリストによってキリストとともににキリストのうち、聖霊の交わりの中で、全能の神、父であるあなたに、すべての誉れと栄光は、世々に至るまで、

信徒:アーメン。

のところで、鹿児島では司祭が唱えるべきところ「すべての誉れと栄光は世々に至るまで」を信徒が唱えていますが、信徒は「アーメン」とだけ応えるようにと指導されました。練習までしたのにその甲斐なく本番になるとほとんどの人は司祭が唱えるところも大きな声で唱えていました。

 おそらくこの間違いをおかしているのは日本だけです。ヴァチカンをはじめ他のすべての国では信徒は「アーメン」とだけ応えています。

 間違って習慣になってしまっていることを直すのは難しそうですが、意識してごミサに与れば簡単なことです。間違いは正しましょう。特に典礼に関することはとても大切です。さあ、次のごミサからは「アーメン。」だけ。司祭のことばを横取りしないように!happy01

参考にしたのはこちらの本 ⇩

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この本の112ページ ⇩

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 ついでに、奉納行列の時には行列する人以外は皆さん座りましょうね。カテドラルでは皆さん座るのに、私の教会では立ったままの人が多いのです。奉納行列と奉納は違います。奉納行列は供え物の準備です。司祭が奉納祈願(「皆さん、このささげものを、全能の、神である父が・・・」)を唱える時が奉納なので、その時立ちましょう。

 と、私が何度書いても少しも変わらないのです。おそらく次の日曜日のごミサもいつもと同じでしょう。sad

聖性への招き

 今年の『聖書に親しむ:聖書週間』は11月18日から25日、テーマは「聖性への招き」です。カトリック中央協議会からリーフレットが出ていますが、その中で酒井補佐司教様も書かれています。

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 以前にも紹介しましたが『聖性への招き』と言う本も出しておれれます。とても良い内容の本なので皆さんにお勧めしています。

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2018年10月23日 (火)

誤解されること+ラテン語ミサ

(人から誤解されるのは良いことである。)なぜなら人々から軽蔑され、よく思われないとき、そのときこそ我々は神を内なる証人としてより熱心に求めるからである。(『キリストにならう』bot)

 最近このbotにはまり毎日見ています。

 今回はよく誤解されて良く思われない私の慰めの言葉ですね。確かにそういう時にこそ『主はすべてを知っておられる』と自身に言い聞かせて、「主よ私をあわれんでください」と祈ります。無理に誤解をとこうとしたり、他人からよく思われようとする必要はありませんね。

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 ところで20日土曜日に行われた荘厳ミサはとても良かったそうです。菊地大司教様のブログにその時のことが書いてありました。

 日本全国からごミサに集まっている様子は、今ラテン語ミサを望む人が少なくないことを表しています。菊地大司教様もラテン語ミサを司式するのは初めてだったそうですが、ごミサに与った人は「初めてとは思えない流暢なラテン語で素晴らしかった」と言っています。大司教様の小神学校の頃は日曜日のごミサはラテン語、今も様々なところでラテン語ミサに与る機会があるとのこと。これから日本でももっとラテン語ミサをたててください。

 今回はヴァチカン大使館の参事官が福音を歌ったそうです。私はyoutubeで教皇様のごミサでの福音をラテン語で歌うのを聴いたことはありますが、生ではありません。一度はごミサで直に聴いてみたいです。

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福音を歌う参事官(菊地大司教様のブログより)

2018年10月22日 (月)

聖ヨハネパウロ2世教皇

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  聖ヨハネパウロ2世教皇様は晩年パーキンソン病を患いましたが、最後まで私たちに祈る姿を示し、私たちを励ましてくださいました。「主に希望を置く人は幸い」教皇様のお姿から教えられました。

あなたにできるだけのことをしなさい、そうすれば神はあなたの良い意志を助けるだろう。(『キリストにならう』bot)

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ラッツィンガー枢機卿様(後の教皇ベネディクト16世)からご聖体をいただく聖ヨハネパウロ2世教皇様

2018年10月20日 (土)

カテキズムの大切さ

あなたがより多くのことをより深く知るほど、もしあなたが聖なる生活を営まないならば、それだけ厳しく裁かれるだろう。(『キリストにならう』bot )

 知らないでしてしまうのと知っていてするのとでは大きな違いがあります。特に罪に関して。日曜日に特別な理由(病気や仕事など)がない限りごミサに与らなければなりません。そのことを知っていてごミサに与らないのは小罪ではなく大罪です。

 そして大罪を犯したことを意識しているカトリック信者は、ご聖体拝領の前に罪を告白してゆるしの秘跡を受けなければなりません。

 数年前のこと、A神父様が準備ができていない(数年ぶりに教会へ来てゆるしの秘跡を受けていない)とわかっている信徒にご聖体を授けませんでした。それを見てある信徒は「なんて厳しい神父様。やっとごミサに来たのにご聖体をあげないなんて。あの人がかわいそう」と批判し、受けられなかった本人も怒ったそうです。

 A神父様にしてみればその人が重ねて大罪(=ご聖体に対する瀆聖)を犯さないようにとの優しさからそうしたのですが、批判した信徒も本人もそのことがわかっていなかったようです。A神父様も前もって本人に説明しておくべきでした。

 準備無しにご聖体を望む人誰にでも簡単に授けるのはその人に「ご聖体に対する瀆聖」の大罪を犯させることになります。しかし今は誰にでもその人が望むならご聖体を授ける司祭が実際におられるから、逆にA神父様を非難するような信徒が増えてきたのかもしれません。

 司祭はほとんどの場合その人の準備ができているかどうかはわかりません。ですから信徒自身が気をつけなければなりません。どんな時にご聖体拝領は控えた方が良いか司祭は信徒に説明し、信徒は学ばなければ、また同じようなことが起こるかもしれません。

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 私たちはたまには『カトリック教会のカテキズム』を読み直し、忘れてしまっていたことを思いだす必要があるでしょう。私もよく忘れてしまったことや解らないことがあればカテキズムを出して確認したり、解っている人に聞いたりしています。

 聖書の勉強会や、信心会はよくありますが、公教要理の勉強は洗礼・堅信の前にするだけです。毎日聖書を読むようにカテキズムも毎日でなくてもたまには読みましょう。

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2018年10月18日 (木)

植物の話題二つ

今日は聖ルカ福音記者の祝日 

 秋ですね~maple 以前切った庭の木から枝ならぬキノコがにょきにょき。ちょっと気味が悪いです。いくら秋の味覚はキノコといってもこれは食べられませんね。

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 もう一つの話題は、とうとう「イ・ペー」の苗木を手に入れました。しかも一鉢たったの200円!指宿道の駅でパンを買おうと入ったところ、左手に植物が並んでいました。その中に「イ・ペー」の名札が! 値段を見て即購入決定 happy01 夫には事後報告。夫も喜んでくれました。

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イ・ペーの苗木

 寒さに弱いので冬を越してから地植えにします。

何年位したら花が咲くのかな?楽しみです。

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 はやく大きくなってこんな風に咲いてね。 confident  とは言え、あまり物に執着してはいけませんね。トマス・ア・ケンピスも言っています。

人間や被造物に自分の希望を置く人は空しい人である。我々の主、イエズス・キリストへの愛のゆえに他人に仕え、この世で貧しいものと思われることを恥じてはならない。あなた自身を頼らず、神にあなたの希望を置きなさい。(『キリストにならう』bot)

2018年10月16日 (火)

聖マルガリタ・マリア・アラコク乙女

 フランスの聖母訪問会シスター聖マルガリタ・M・アラコクと「聖心の祝日」は切り離せませんね。

 神秘体験で彼女に現れたキリストは「聖心の信心」を広めるように命じられました。「聖心の信心」とはイエズス様の愛を私たちが忘れてしまったことへの贖罪として、ご聖体拝領を頻繁に受けて、特に月の最初の金曜日にご聖体を拝領してキリストの愛に感謝し、聖なる時間を持つことです。

 昔から初金のごミサは大切にされてきました。

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2018年10月15日 (月)

アビラの聖テレジア(記)

 アビラの聖テレジアの記念日。私にとっては祝日のようなものです。

 カトリックの聖人たちの中には素晴らしい女性たちが沢山います。*キリスト教は男女平等、男女共に神様の被造物。ですから女性の聖人も沢山います。その中でも私が好きな聖人がアビラの聖テレジア、イエズスの聖テレジア、大テレジアとも呼ばれています。(*女性司祭がいないのは女性が低くみられているからではありません。全く別の理由です。)

 シエナの聖カタリナの強さと同じく聖テレジアの強さにとても惹かれます。真理のためならどんな妨害や障害にも怯まず、どんな相手にも怯まずにキリストだけを信じて立ち向かう強さ。私には無いからこそ、なお一層憧れます。

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何事も心乱すことなく

何をも怖れるな

すべては過ぎ去り

神のみかわらず

忍耐はすべてをかちとる 神をもつ者には

欠けるものなく 神のみにて足りる

-アビラの聖テレジア-

進んで尋ねなさい。そして聖人たちの言葉を静かに聞き、年長者たちの話を不満に思うな。なぜならその話には根拠があるからである。(『キリストにならう』bot より)

2018年10月14日 (日)

列聖式

 HOLY MASS AND CANONIZATION OF THE BLESSEDS:
PAOLO VI, OSCAR ROMERO, FRANCESCO SPINELLI, VINCENZO ROMANO, 
MARIA CATERINA KASPER, NAZARIA IGNAZIA DI SANTA TERESA DI GESÙ, NUNZIO SULPRIZIO 

  今日教皇パウロ六世をはじめ7名の列聖式がありました。ロメロ大司教様については菊地大司教様のブログで紹介されていますのでそちらをご覧ください。http://bishopkikuchi.cocolog-nifty.com/diary/ 

 パウロ6世教皇様については説明はいらないでしょう。第二ヴァチカン公会議を聖ヨハネ23世教皇様から引き継ぎました。パウロ6世教皇様については書きたいことがありますが時には沈黙することも必要でしょう。

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教皇パウロ6世       オスカル・ロメロ大司教


YouTube: Pope Francis - St Peter's Square - Holy Mass with Canonizations and Angelus - 2018-10-14

2018年10月13日 (土)

荘厳ミサ

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 今月の20日(土)に東京カテドラルで荘厳ミサがあります(フェイスブックからの情報)。荘厳ミサなので勿論グレゴリオ聖歌とラテン語ミサです。素晴らしい!!!

 そして主司式は菊地功大司教様、共同司式は駐ローマ教皇大使ジョセフ・チェノットゥ大司教様です。14時40分から諸聖人の連禱があり、15時から荘厳ミサが始まります。

 少し前までは荘厳ミサをあげることがまるで悪いことのように言われ、悲しい思いをしました。でも徐々にその誤解もとけてきました。長い間ラテン語ミサをあげなかったために、ラテン語をあまりできない神学生やラテン語ミサをあげることのできない司祭もいるでしょう。でもできる司祭はもっとラテン語ミサをあげてほしいです。私は荘厳ミサは大好きですがラテン語はできません。でももしラテン語ミサをあげてくださるなら喜んで勉強します。

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公式テーマソング


YouTube: Himno Oficial de la JMJ Panamá 2019 - Hágase en mí, según tu palabra

 2019年ワールドユースデーパナマ大会公式テーマソングです。日本語バージョンもあるのですが、やはりスペイン語の方が曲と歌詞がぴったり合っていて良いのでスペイン語版を載せました。

 最近思うことが色々あります。・・・ワールドユースデーの意味とあり方とか・・・。教皇ヨハネパウロ2世が始めた大会ですが初めはよい考えだと思いましたが、徐々に私が考えていることとずれがでてきたような気がします。うまく言葉にできないのですが。何か微妙に違うような・・・。そう感じているのは私だけではないと思います。

2018年10月11日 (木)

今日の福音

あなたたちのうち、子どもが魚を求めているのに、魚の代わりにへびを与える父親が、いったいいるだろうか。また、卵を求めているのに、さそりを与える者がいるだろうか。このように、あなたたちは悪い者であっても、自分の子どもたちに、良い物を与えることを知っている。まして、天の父が自分に求める者に聖霊をくださらないことがあるだろうか。(ルカ11章11~13節)

 今日の福音朗読は有名な「求めなさい、そうすれば与えられるであろう。・・・たたきなさい、そうすれば開かれるであろう。・・・」に続く言葉です。

 今日のこの聖書の箇所をまさに今日体験しました。本当に不思議です。主は私のことをよく知っておられます。ですから主が望まれることを素直に受け入れて毎日を過ごすことが大切。主の恵みに感謝します。

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2018年10月 9日 (火)

司教叙階式(動画)


YouTube: F・ザビエル中野裕明司教叙階式【その1】


YouTube: F・ザビエル中野裕明司教叙階式【その2】


YouTube: F・ザビエル中野裕明司教叙階式【その3】


YouTube: F・ザビエル中野裕明司教叙階式【その4】

司教叙階式

 昨日司教叙階式がありました。中野裕明新司教様おめでとうございます。

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 入祭の歌「シオンよ喜べ」に始まり、朗読は「使徒パウロのコリントの教会への手紙9章19節から23節」と「ヨハネによる福音10章11節から16節」。

 司教叙階の儀は「聖霊の続唱」に始まり『使徒座任命書』の朗読、説教、受階者の約束そして連願が祈られました。按手、叙階の祈り、塗油、・・・・・司教座への着座、司教団への受け入れと続きました。

 奉納の歌は「神に向かって(典礼聖歌35番)」、拝領の歌は「マラナタ」「めぐみのパン」「主はわれらの牧者」そして英語の歌「Power of love」も。

 祝典(各あいさつ)の後中野裕明新司教様からの祝福がありました。閉祭の歌は「テ・デウム」(カトリック聖歌12番・日本語)で叙階式は無事に終わりました。

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中野裕明新司教様の紋章

Quaerite autem primum regnum Dei et justitiam eius

まず、神の国とその義を求めよ(マタイ6章33節)より

QUAERITE PRIMUM REGNUM DEI(まず、神の国を求めよ)

 手を広げるキリスト=愛、はかり=正義、鳩=平和、聖書=真理、背景の赤色=聖フランシスコ・ザビエルの情熱、青色=海と、神との対話に沈黙する祈り。十字架についている五つの赤い点=キリストの十字架での五つの傷

 とても良い紋章ですね。特に中野新司教様がmottoとしている言葉「QUAERITE PRIMUM REGNUM DEI」「まず、神の国を求めよ」。私たちキリスト者にとっても、大切な言葉だと思います。

*youtubeで動画を探したのですがまだのようです。

2018年10月 7日 (日)

音楽について

 今呼んでいる本がこちら。⇩

81yo1v5gl9l_2 岡本神父様の『良い音楽は神の姿を映し出す』。ひと口に音楽といってもそのジャンルは広く、音楽について書かれた本も教科書に載っているような有名な曲ばかりに偏っています。

 しかしこの本は神父様が書かれているので宗教音楽が中心。最近ミサ曲にはまってしまった私にピッタリの内容でした。

 グレゴリアン聖歌は勿論のことアンブロジオ聖歌など中世音楽から東方教会の聖歌、バロックではモンテヴェルディやバッハ、ペルゴレージなどについて。古典派はハイドンやモーツァルトなどを、ロマン派のシューベルト・ショパン・ヴェルディ・グノー、・・・20世紀はフォーレやドビュッシー等の宗教音楽について書かれています。

 とても興味深く読んでいます。特に中世音楽については学校でも習った記憶がないくらい何も知りません。今まではただグレゴリアン聖歌をCDで聴くだけでした。

 宗教音楽には天主に対する深い崇敬を感じます。特にグレゴリアン聖歌の素晴らしさ、それはまさに祈りです。教会のごミサで再び普通にグレゴリアン聖歌が歌われることを切に望みます。教会の合唱団やオルガニストの方達もそれを望んでおられると思います。


YouTube: Canto Gregoriano, MISSA DE ANGELIS, Schola Gregoriana Mediolanensis, Giovanni Vianini, Milano, Italia

2018年10月 5日 (金)

『キリストにならう』botより

 ツイートbot『キリストにならう』より、私も同感する文章を。

・すべての人間は生まれつき知ることを望んでいる。ところで神への怖れのない知識が何の役に立つだろうか。神に仕える卑しい農夫は、自分をないがしろにして天体の軌道を測る傲慢な哲学者よりもはるかに優れている。

・また類と種に関する(哲学の)議論がわれわれに何の関係があるだろう。永遠の御言葉が語ることを聴く人は雑多な意見から解放される。

 2018年若者がテーマのシノドスが始まりました。イエズス会のJ.M司祭の言動、また教皇様の杖・・・教会内に分裂を生み出そうとする悪魔の不穏な空気が・・・。

 私はシノドスが例えどの様な結果になっても、「永遠の御言葉が語ること(=聖書)を聴く人は雑多な意見から解放される」の通り、気にせずにキリストの教えに従います。

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 大天使ミカエル、シノドスに参加する教皇、司教、すべての人々を悪魔からお守りください。シノドスが悪に支配されることがありませんように。アーメン。