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2017年6月25日 (日)

ふたたび三位一体について

 Fr.Zのブログで「三位一体」について書かれていました。わたしが聞いた水のたとえも載っていました。(私は異端を教えられていたの?catface

一部の司祭は三位一体について人々の理解を助ける熱意で、三位一体は水にたとえられる(水は蒸気、氷、液体の三つの形態で見える)とか、また他の人は三位一体は殻、黄身、白身の異なる部分からなる卵にたとえられるとか主張します。またワインボトルや太陽にたとえたり・・・これらのたとえはすべて創造的だが確かに異端的・・・アリウス主義の支持者がいます。そこには他の異端もあります。[Fr.Zのブログより]

 つまり私が教わった水のたとえは異端的だったのでしょう。Fr.Zは三位一体を正しく理解するためにアタナシウス信条(Athanasian Creed)の三位一体に関するところを薦めています。

[アタナシウス信条]の一部 (「みこころネット」より)

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 カトリック信仰は次の通りである。われわれは三位における唯一の神、一における三位の神を信じ、[三つの]ペルソナを混同したり、その実体を区分したりしない。

 なぜなら、聖父の一なるペルソナ、聖子の別のペルソナ、聖霊の別のペルソナがあるからである。しかし、聖父と聖子と聖霊たる神は一であり、栄光は等しく、威厳は永遠に共存するからである。

 聖父と聖子と聖霊はそのようなものである。聖父は創造されたのではなく、聖子は創造されたのではなく、聖霊は創造されたのではない。聖父は無限であり、聖子は無限であり、聖霊は無限である。聖父は永遠であり、聖子は永遠であり、聖霊は永遠である。しかし、三つの永遠ではなく、一つの永遠であり、また三つの無限や三つの創造されざるものではなくて、一つの無限、一つの創造されざるものである。同様に、聖父は全能であり、聖子は全能であり、聖霊は全能である。しかし、三つの全能ではなくて、一つの全能である。

 そのように聖父は神であり、聖子は神であり、聖霊は神である。しかし、三つの神々ではなく、一なる神である。そのように、聖父は主であり、聖子は主であり、聖霊は主である。しかし、三つの主ではなく、一なる主である。われわれはキリスト教的真理によって どのペルソナも御自身で神であり主であると認めるように強いられるのと同じように、カトリック宗教によって三つの神、三つの主があると言うことを禁止されている。

 聖父は何かから作られたのではなく、また創造されたのではなく、生まれたのではない。聖子は聖父のみからの御方であり、作られたのではなく、創造されたのでもないが、[聖父から]生まれたのである。聖霊は聖父と聖子からの御方であり、作られたのではなく、創造されたのではなく、生まれたのでもなくて、[聖父から]発出なさるのである。それゆえ、一なる聖父がましますのであって、三つの聖父があるのではなく、一なる聖子がましますのであって、三つの聖子があるのではなく、[一なる]聖霊がましますのであって、三つの聖霊があるのではない。そしてこの三位一体のうちには前と後、より大きいとより小さいというものは何もなく、三つのペルソナ全体は共に永遠に共存なさり、共に等しい御方である。

 それゆえに、前に言ったように、すべてのことがらにおいて、一体における三位、三位における一体が礼拝されるべきである。それゆえに、救いの状態にいることを望む者は三位一体についてこのように考えるべきである。

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15Trinity