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2017年5月 2日 (火)

トマさんの説教

「トマサン祈りの部屋」から(2017/04/23大分教会、復活節第二主日・英語ミサ説教)

ある小学生が詩を書きました。『もし、ぼくが神様だったら・・(略)・・みんなをしあわせにする。でも、不幸な人がいっぱいいる。それは、神様がいないからです。』

 これが世間一般の考えでもあるでしょう。でも、キリストは真っ向から反対して言います。「見ないで、信じる者になりなさい」神様はいます。・・(略)・・カトリックが教える救いとは、人間の望み通りになることではありません。イエスと共に苦しみ、イエスと一緒に復活することです。「私に従いたい者は、自分の十字架を取って私に従え!」とイエスは教えています。

 繰り返しますが、望みが叶うから信じるのではありません。群衆の一人がイエスに言いました。「十字架から降りてみよ。そしたら信じる」と。イエスは降りませんでした。だから、あの人は信じませんでした。自分の願いが実現しないと信じない人です。私たちは逆です。イエスが十字架から降りないから信じるのです。私の代わりに十字架に残られたからです。それが復活したイエスの手と足に釘の傷跡が残された理由です。救いの印であり、信じる印です。・・(略)・・信仰は、神の望み通りに自分の生き方を変えることです。神様が苦しみという十字架を取り去り、人間が楽をすることではありません。その反対です。困っている人がいたら、神ではなく自分が助けるのです。貧しい人がいたら、神ではなく自分が持ち物を差し出します。あの小学生は「もし、僕が神様だったら」と書きましたが、「もし」ではなく、その通りなのです。神が人のうちに居て、一人ひとりが神のように振舞うことが信仰の生き方です。・・(略)・・復活したイエスは「見えない」けど、あなたと共に生き、働いています!アーメン■

 大分教会の信者さんたちは幸せですね。いつもこのような良い説教が聴けるのですから。「トマさん祈りの部屋」はいつも私の信仰の間違いを正し、教え、励ましてくれます。

 「見ないで信じる者になりなさい」見て信じることしかできない人が、見ないで信じる者となれますように。アーメン。

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