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2016年11月20日 (日)

王であるキリスト(祭)

 「王であるキリスト」の祭日の今日は教会暦では一年の最後の主日であり、「いつくしみの特別聖年」閉幕の日でもあります。次の日曜日は待降節第一主日、また新しい一年が始まります。

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閉じられた「聖なる門」 

 さてヴァチカンからは「いつくしみの特別聖年」の閉幕にあたり、いつくしみの扉の閉門とごミサが中継されました。いつものことながらヴァチカンのごミサは荘厳で美しいです。

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 ヴァチカンのごミサを見ていると ごミサの中心はキリストであることがよくわかります。教皇様や司教様司祭様方ではありません。ですからごミサをたてる教皇様はミサの最中に余計なことは話しません(ご自分のショーではないので)。「皆さんこんにちは」や「おはようございます」などのあいさつもしません(当たり前のことですが)。朗読の後には「神のみことば」と言い、会衆は「神に感謝」とこたえます。また「キリストによってキリストと共に・・・・・すべての誉れと栄光は世々に至るまで」ここまでは教皇様が唱え「アーメン」と会衆がこたえています。

 もう一つ私がとても気になっていることがあります。それは私たちの教会ではごミサの最後に司祭は「感謝の祭儀を終わります。行きましょう主の平和のうちに」と言います。しかしミサとは感謝よりもキリストが成しとげた救いの再現です。ミサが終わるとキリストは私たちを派遣します。なので「感謝の祭儀を終わります」ではなくて「ミサ(救いの)聖祭が(は)おわりました」が正しいと思うのです。最近はごミサ=感謝の祭儀だと言う学者さんもおられるようですが、私は違うと思います。「La Messa é finita:andate in pace.」

 こんなことを書くとまた「平信徒が(生意気にも)司祭を導こうとする」と非難されそうなのでこのへんで、coldsweats01 Fr.Zから「告解に行きなさい!」と言われそうです。