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2015年7月26日 (日)

「教皇講話集」から 洗礼

91iqnzbr2tl  昨日から読み始めた本です。この本を読む限り、私の不安はなくなりました。教皇様の教えはカトリック(不変)であると(当たり前のことですが)安心しました。マスコミが教皇様の言葉を都合のよいように歪曲して報道していることがよくわかりました。

 教皇様はわかりやすく、時には厳しい言葉で私たちに教えておられます。それでは先ず「洗礼の秘跡」について。

「・・・わたしたちは洗礼によってキリストとともに葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しいいのちに生きるためなのです」。それゆえ、洗礼は単なる形式ではありません。それはわたしたちの存在の深みに触れる行為です。洗礼を受けた幼児と洗礼を受けていない幼児は同じではありません。洗礼を受けた人と洗礼を受けていない人は同じではありません。・・・・・わたしたちは洗礼によって、わたしたちを侮辱する人、傷つける人をもゆるし、愛することができるようになります。・・・・・洗礼は、わたしたちが、困窮する人、苦しむ人、また隣人の顔のうちにイエスのみ顔を見いだせるように助けてくれます。それはすべて、洗礼の力によるものです。

・・・・・洗礼はわたしたちをキリストのからだの部分、神の民の一員とするのです。・・・・・いのちが世代から世代へと引き継がれるのと同じように、洗礼の泉から新たに生まれることを通じて、恵みも世代から世代へと引き継がれます。・・・・・わたしたちは自分の子どもたちに、幼子たちに、神の恵みと自分たちの信仰を伝えなければなりません。この子どもたちが大人になったとき、彼らの子どもたちに信仰を伝えることごできるようにするためです。それが洗礼というものです。・・・・・「教会の役目がどんなものであっても、また信仰の素養に差があっても、洗礼を受けた一人ひとりが福音宣教者なのです。・・・・・」(p.19~24)

 私がこのブログを始めたのは、キリストの教えを少しでも他の人たちに伝えたいと思ったからです。すでに信者の方は読んでいてさほど苦にならないと思いますが、信者でない方、まだキリストをよく知らない方はきっと読みづらいかもしれません。けれどもこのブログを読んで少しでもキリストに興味をもたれたらうれしいです。聖書を読んでみようかな?あるいは近くのカトリック教会へ行って、神父様と話してみたいな・・・と思われた方が一人でもいれば幸せです。キリストがあなたの心の扉を叩いたら、ためらわずに開けてください。キリストをあなたの心に入れてください。