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2015年7月13日 (月)

聖ヴィアンネに倣う ④

 『やとわれ羊飼いのふたたび言いたい放題』(酒井俊弘著)を読んでいて、私の言いたいことを酒井神父様が的確に書いておられ、嬉しくなりました。まさにこの通りです。聖ヴィアンネ(霊名日は8月4日)は自分自身はとても清貧な生活をしておられました。貧しい人や困っている人たちをいつも助けていました。そして徒歩でリオン市に出かけては自身の貧相さとは反対に自分のお金で教会のために良い品を買っていたそうです。では、酒井神父様の本から抜粋します。

・・・典礼、ことにミサに関係することに関しては、荘厳すぎるということはありえないでしょう。「キリストは、常に自分の教会とともに、特に典礼行為に現存している。キリストはミサの犠牲のうちに現存している。かつて十字架上で自身をささげた同じキリストが、今、司祭の奉仕によって奉献者として司祭のうちに現存するとともに、また特に両形態のもとに現存している」(第二バチカン公会議『典礼憲章』7)。もちろん、清貧を守り、質素であることは大切ですし、困っている人たちに寛大に施しをすることも教会の重要な役割です。しかし、神様に関わることに対して、まず寛大になるのが自然でしょう。全世界の主任司祭の守護の聖人である聖マリア・ヴィアンネがアルスの村に赴任して最初にしたのが、祭壇、祭器、祭服をできるだけ華麗にすることでした。彼自身は、粗食に耐え、厳しすぎるほどの清貧のうちに生きていましたが、ことこの点に関しては、ぜいたくの限りを尽くしました。・・・・・・

・・・・・結婚式に臨んで、花嫁が選びに選んだウエディングドレスに身を包み、花婿が花嫁に精一杯奮発した結婚指輪を贈るように、司祭は敬意をもって祭服を身に着け、愛情をもって祭具を扱うべきでしょう。・・・洗礼を受けた者は皆、共通司祭職にあずかっている・・・ですから同じ心がすべての信徒にも求められます。そしてその心は、ミサに参列する際の服装や振る舞い、ミサ中の動作や歌い方に反映されるべきです。こうして、司祭も信徒もともにキリストの心で、聖なるいけにえであるミサにふさわしく参加することができ、典礼の本質を具現化できるでしょう。(p.112~113)

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 ヴィース教会(ドイツ)

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ノートルダム大聖堂(モントリオール)

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 聖ヤコブ教会(ローテンブルグ)

 どれも美しい祭壇です。(写真はすべてGoogleから)

 偶像崇拝を禁じているイスラム教でも神様に祈る所はこんなに美しく装飾されています。

Msn

イランのモスク  (写真:Mohammad Reza Domri Ganji)