« 聖トマス・アクィナス | メイン | 主の奉献 »

2015年1月29日 (木)

気付いたこと

 昨日ブログを書いたのですが、何となくしっくりせずにアップしようか迷っていました。今日いつもの「トマさん祈りの部屋」の「司祭がいない」という記事を読んですぐにアップするのを止めました。↓↓トマさんのブログから↓↓

・・・・・・・初めに念を押しておきたいことがあります。司祭は「つくる」のではなく「育てる」ものだ、ということです。司祭職は「召し出し」であり、神ご自身が造ります。司祭になる人がいないのではありません。司祭になる「種」は、もうあります。必ずあります。ただ、育っていないのです。良い種はあるのに、良い土がないだけです。石地に落ちたり、道端に落ちたり、茨の地に落ちているのです。だから、私たち自身が司祭の種を育てる「よい土」になる必要があります。・・・・・・・ちょっと逆説的な言い方をすれば、立派な人になるのではなく、イエスの生き方を真似する方が尊いのです。イエスの人生は、誤解されても言い訳せず、悪口を言われても言い返さず、それを祈りに変え、神への捧げ物(犠牲)に変えて生きていたのです。排斥され、孤独だった人は、イエスの一言で癒され、慰められ、励まされました。私たち一人ひとりが同じことをすれば「司祭の種」は、元気に育つと思うのです。■
*2015/01/16 カルメル在世会、月例研修会講話より

 司祭がいないいないと嘆くよりも、私たちが司祭の種を育てる良い土にならなければなりませんね。「こんなに私は種を蒔いているのに、司祭の種が芽を出さないのは君たちみんなの責任だよ」と神様の嘆く声が聞こえるようです。

 話とは全く関係のない写真ですが何となく私に似ているような気がして・・・・。でも可愛いでしょう、そう思いませんか?

Ru15010302 写真:「.ru」より