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2014年9月16日 (火)

典礼について

 郡山司教様のブログに司祭総会での講演内容の一部が載っていました。私も確かにその通りだと思いました。以下そのブログよりコピー。

今日の司祭総会は専門家を招いての「ミサ司式のしおり」による典礼研修会。「司祭は典礼を私物化してはいけない。典礼は司祭のものではない。典礼は民のものでもない。典礼は伝承。だから、司祭の好みで省いたり加えたりしてはいけない。」とくに若いころそういう傾向があっただけに重たく受け止めた。カテドラルに聖体を置くことの可否が問われたことがあるが、司牧的配慮を優先するボクの判断が可とされたのは嬉しかった。(24時間司教Ken's Page)

 いつも思うのですが、司祭によってミサ典礼が違うことがあります。ミサの前に今日のミサについて少し話をするのは普通ですが、ミサの間や終る頃までに何度も話や注意をする司祭がおられます。なぜ説教の時にすべてを話さないのでしょうか?また福音朗読があるのに説教の時にまた別の箇所の福音を別な人に朗読させる・・・・。司祭の好みで加えすぎのような気がします。

 教皇様も言っておられました。司祭はごミサを自分のショーにしてはいけないと。他の司祭と違うことをする必要はないし、自分を印象付ける必要もないでしょう。

 普通のごミサに与るとホッとします。特別なことは必要ありません。普通で良いのです。数年前溝辺教会のごミサに時々与りました。M神父様のごミサは特別なことは何もしません。余計に加えることなく、省くこともなく・・・普通のごミサです。それでもいつも心が安らぎ、罪の赦しの恵みを心から感謝できました。

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 韓国での教皇様のミサ