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2013年10月25日 (金)

心が曇って・・・

 最近心が曇ってしまって・・・自分に優しく、他の人には超厳しく・・・なんでこんなになってしまったのか・・・。口を開けば批判ばかり、ラジオを聞いていても批判してしまいます。

 原因は心当たりがあるのです。改めなければいけませんね。


ブログ「トマさん祈りの部屋」から『祈りは最大の武器』

人間的に解決が出来ないような状況でも、祈りは万能です。四方八方が塞がれても上(天)が開いているのです。だから、「祈りは最大の武器」と言われます。しかし、これほど誤解されている言葉も無いでしょう。ただ祈っていれば問題が解決すると言う意味ではありません。また、本人の気休めや自己満足だけでもありません。祈りは大切で欠かせませんが、もう一つ必要不可欠なことがあるのです。

こんな経験があります。就職活動している大学生から相談を受けて、最後に「就職が決まるように祈ります」と言うと、「祈りよりも、どこか紹介してください。その方がありがたいです」と言われてしまいました。聖書にも「飢えた人に、安心して行きなさい!」と言うだけで、食べ物を与えないなら役に立たない」と書いてあります。これらの混乱の元は、祈りを物や人間の働きの代わりと考えることです。祈りは物の代わりでも、人間の働きの代わりでもありません。もっと霊的なものです。

「祈りは武器」ですが、武器とは戦う時に使うものです。戦う代わりに武器を持つのではありません。戦いが前提です。しかも、見せかけの戦いではなく、本気で戦う時に必死に使うものです。必死で戦う時、祈りほど頼りになるものはないとうことです。本気で戦う覚悟がないなら、最大の武器である祈りも役に立たないでしょう。曖昧な気持ちで最高の武器を使っても「猫に小判」でしょう。祈りが最強の武器「鬼に金棒」になるのは、必死の気魄で「戦う」時です。

私たちの戦う相手は、自分の弱さや欠点です。それを克服し、良い習慣を作ることです。人々に奉仕して徳を積む戦いです。祈りで全てが解決するのではなく、祈りから前進する霊的な力を受けるのです。本人が努力するとき、神からの物的な助けもあります。私は、就職の世話は出来ませんが、本人と同じぐらいの熱心さで神に助けを願うことは出来ます。飢えた人を満たすことは出来なくても、自分も少しだけ断食して犠牲を捧げて連帯することが出来ます。祈ることで、自分がすべき事柄が明確になり、それを果たすとき神の助けが分かるのです。さあ、神を信じて本気で戦いを始めましょう!■
*2013/07/26夏の研修の説教「祈り」より