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2013年8月13日 (火)

日野原重明先生

 101歳の医師、日野原重明(ひのはらしげあき)先生は、子どもたちに「いのちの授業」を10年間続けてきました。先生の伝えたいことは私も同じです。夏休み、ぜひ子供たちに読ませたいので、朝日新聞から載せます。

 《命(いのち)とは、きみたちが使える時間のことなんだよ。》

 

 6月、日野原さんは、福島県川俣町(かわまたまち)にある仮設(かせつ)小学校の体育館にいた。向かい合うのは、東京電力福島第一原発事故のために同県飯舘村(いいたてむら)から避難(ひなん)してきた小学生約120人。少ししゃがれた、しかしはっきりとした声で、45分間立ちっぱなしで語りかけた。

 《命は見ることも、さわることもできない。》

 

 そう言って聴診器(ちょうしんき)をわたす。子どもたちはそれを互(たが)いの胸(むね)にあてながら、心臓(しんぞう)の音に耳を澄(す)ませた。

 

 《これが生きている証拠(しょうこ)だよ。》

 「授業」は、2003年に始まった。相手はいつも10歳ぐらいの子どもたち。「10歳になると、僕(ぼく)の言葉がわかるの。大人になってから教育するのでは遅(おそ)いから」。海外の日本人学校も含(ふく)めて、これまでの授業は200回を超(こ)えた。

 

 二つの経験が、原点(げんてん)になっている。

 

    *

 一つは、1945年3月10日の東京大空襲(だいくうしゅう)。33歳の日野原さんは、聖路加国際病院(せいるかこくさいびょういん)(東京)の内科医長(ないかいちょう)だった。その日、病院には続々と、大やけどを負った人たちが逃げてきた。  ベッドは足りなかった。院内のチャペルやロビーにもマットレスを敷(し)いて患者(かんじゃ)を手当てした。といっても、できることは新聞紙を燃やした炭をただれた肌(はだ)につけるくらい。「みんな死んでいくの。薬がないもの。なんにもない」

 

 名前や年齢(ねんれい)を尋(たず)ねても、患者たちは「苦しい、苦しい」と言うだけだった。「その日だけで100人くらい運ばれて、ほとんどが亡くなったと思う。見殺(みごろ)しにするような状態だった」。不思議(ふしぎ)と子どもをみとった記憶(きおく)はない。病院にたどり着く前に道ばたで力尽(つ)きてしまったのだろうか。

 「戦争は兵隊が死ぬだけでなくて、一般の人が死ぬ方が多いんです」

 もう一つは、父・善輔(ぜんすけ)さんのことだ。広島に原子爆弾(げんしばくだん)が落とされた8月6日の数日後、かつて広島女学院の院長だった善輔さんは、教え子たちが気になると言って東京から広島に入った。1週間くらいたって帰ってきた善輔さんは、教え子はみな死んでしまった、とうなだれていた。

 13年後、善輔さんは滞在先(たいざいさき)のアメリカで急死した。診断(しんだん)は劇症肝炎(げきしょうかんえん)。日野原さんは、原爆投下直後の広島を覆(おお)っていた放射能(ほうしゃのう)が、父の体をむしばんだのだ、と思っている。

    *

 戦後68年。戦争を語り継(つ)ぐ人が少なくなっている。真珠湾攻撃(しんじゅわんこうげき)さえ知らない若者が多くなったとなげく。「主な国はみんな核兵器(かくへいき)を持っている。世界は平和ではない。もう壊(こわ)れている」

 戦争で焼(や)け野原(のはら)となり、武器(ぶき)を捨(す)てて平和な国になるために、今の日本の憲法(けんぽう)はできた。だから、いのちの授業の「教え子」たちには平和を守れる人になってほしい。平和を守るための憲法を変えることには「NO(ノー)」と言う大人になってほしい。

 「戦争の歴史(れきし)をずーっと知っているの。第1次世界大戦(1914~18年)も知っているのよ」。子どもたちに伝えなくてはならない。人の命を傷(きず)つけることは絶対にいけないんだよ、と。それさえわかってもらえたら、大きくなってから戦争に走ることはないはずだ、と信じているからだ。

 授業では「朝起きたら何をする?」「学校に来たら?」と一日のできごとをきく。「歯をみがく」「勉強する」と返ってくると、ニコニコして、今はすべての時間を自分のために使っていいんだよ、と語りかける。

 でもね、と続けた。

   《自分の命と同じように、人の命も大切にできるような、自分の時間を誰(だれ)かのために使えるような、そんな大人になって下さい。僕の言葉がだいたいわかった人は、手を挙(あ)げて下さい。》

 

 小さな手が、いっせいに挙がった。

                           『朝日新聞デジタル・ヘッドライン』より