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2012年7月22日 (日)

創世記

 堀田善衛さんの『天上大風』から

  私にしても何か事があって、気持がドーンと落ち込んでしまうことがある。年に一度か二度くらいのものであろうか。そういう時には、聖書を引っぱり出して、まず旧約冒頭の創世記に目を通すことにしている。少し抄してみたい。

  元始に神天地を創造たまへり。・・・・・神、光あれ、と言たまひければ、光ありき。神、光         善と観たまへり。

 かくて、これが神の仕事の初日であり、光を昼と夜の二つに分けた。第二日目は、穹蒼を創造り、これを天と名けた。そうして三日目には、地と海をつくり、地には植物を生ぜしめた。四日目には、昼と夜を司どる二つの光と星を創造し、季節をも与えしめた。五日目には、水には魚、空には鳥を、六日目には、地に家畜と昆虫と獣を作り、ついで男と女を作った。アダムとエバである。

 神、其造りたる諸の物を視たまひけるに、甚だ善りき。夕あり朝ありき、是六日なり。斯天地および其衆群悉く成ぬ。第七日目に、神、其造りたる工を竣たまへり。即ち其造りたる工を竣て、七日に安息たまへり。

 こういう規模雄大なる文章を読み下していて、神が光を造っておいて、自ら、神、光を善しと観たまヘリ、とか、其造りたる諸の物を視たまひけるに、善りき、というところで、私もこっくりを一つして、神様、うまく行ってよかったですね、と挨拶をしていると、胸の閊えもが下りて行ってくれるのである。・・・・・聖書の、このような阿呆な読み方というものは、おそらく識者やキリスト者たちの顰蹙を買うものであろうが、私はその他の読み方を知らない。五十年以上もこういう読み方をして来た。

 堀田さんのこういう読み方は好きです。神様と対話しながら読み、かつ落ち込んでいた気持ちがすっきりとする。『創世記』を「ただの神話」と間違った解釈をするキリスト者よりもずっと聖書を理解していると思います。

Adam